114.さまざま、奥様仕事
とりあえず、シキノさんちに必要なことをタイガさんに聞いて、勉強は進めよう。春までもうちょっと、時間はあるしな。
それと平行して覚えることにしたのは、裁縫だった。いや、ちょっとした繕い物までメイドさんにやってもらうのもあれだしさ。ただでさえ、仕事忙しいんだから。
そう言うと、俺の後ろについててくれたアリカさんがああ、と頷いてくれた。
「セイレン様、もともと縫い物はなさっておられましたものね」
「縫い物……って、ああ、お守り袋か」
アリカさんは、よく知ってるもんなあ。あのお守り袋、今は制服やスニーカーと一緒にタンスの中に入ってる。タイガさんとこに行くときは、ちゃんと持っていくつもりだ。
「あと、靴下繕ったりしたことはあるけど……」
「あらあら。セイレン、そういったことはちゃんとできたのね」
「そりゃできますよ」
母さんが楽しそうに笑うのに、俺は苦笑するしかない。いやだって、俺が縫い物できる理由ってさ。なあ。
向こうじゃ、親無し子として施設で育ってたから。新しい靴下なんて、弟分や妹分に回すもんだったし。
だから俺は、ちょっとくらいの穴ならちゃんと自分で繕ってた。そのうち、院長先生が気がついて新しいの買ってくれるようになったけどさ。最近は安くなったんだぞ、って言って。
「それなら、基本はできるってことでいいかしら」
「どうでしょう。ほぼ自己流だし、どうせならちゃんと覚え直したいですね」
いやもう、ほんと適当にちくちくやってるだけだし。靴下って伸びるだろ、縫ったところだけ上手く伸びなくて結局破れたりしたしさ。
うーむ、と考えかけたところで、タカエさんが「あの」と口を挟んできた。恐る恐る、って感じ。
「それでしたら、クオン先生にお願いしてみたらいかがでしょうか。ジゲン先生の衣を、よく繕ってらっしゃるそうですし」
「え、魔術で直すんじゃないんだ」
「そこまで大げさには破れない、って言ってたわよ。クオン」
あ、そうなんだ。ちゃんと針に糸通して縫って直すんだ、ジゲンさんの服。何というか、そこでほっとしたよ。
いやだって、玄関ホールひょいと直しちゃったんだぞ。洋服のほつれとか破れとかも、同じようにほいって直すもんじゃないのかよ。
「よく分かりませんが、そういうものだとジゲン先生はおっしゃってましたね」
タカエさん自身よく分からない、と言った顔で答えてくれた。まあ、ジゲンさんがそう言うんなら、そうなんだろう。服は縫って直すもの、なんだろうね。
ひとつ問題は片付いた。さて。
「よし。じゃあ縫い物はクオン先生に頼んでみるとして……他に、何かできた方がいいことってありますかね。家にいて何もできない、っていうのはさすがに問題だと思いますし」
俺は、母さんに聞いた。
こっちの世界で俺は、多分今のところろくな役には立たない。だったらせめて、タイガさんのためにちょっとでも役に立てるようになりたいんだ。
「他に、ねえ……必要なことは必要になれば覚えるものだけど」
「まあ、お客様とのお付き合いなんかは十分お出来になると思いますが。室内でできることといいますと」
母さんもタカエさんも、割と呑気に構えてる。いや、確かに必要なことは頑張って覚えるつもりだけどさ。でも、行く前に何か覚えるもの、ないかな。
と、タカエさんが思い出したように手をぽんと打った。
「そうだ、編み物なんかいかがですか? シキノ領では羊毛が特産品ですし」
あ、そういえば聞いたことあるな。トーカさんが作ってた裏金、上質な羊毛の製品の価格つり上げた差額だって言ってたし。
そっか、確かにいいかもな。地元で作った羊毛、ウールで編み物かあ。
「編み物、ですか。マフラーとか、ですかね」
「他に手袋ですとか、ひざ掛けもありますね。領主様ともなりますと夜遅くまでお仕事なさってることもありますし、身体を冷やさぬように作って差し上げてもよろしいかと」
タカエさん、割と詳しいな。もしかしてあっちの方で暮らしたこととか、あるんだろうか。それとも、母さんを側で見てたからかな。
とはいえ、俺は縫い物はやったことあるけど編み物は未経験なんだよなあ。あれ、棒と毛糸だけでよく出来るよ。信じられない……とは言っても。
「あ、でも編み物、やったことないんです。人が編んでるの見たことはあるんですけど……大丈夫かな」
「基本的な編み方さえ覚えれば、大丈夫だと思いますよ」
タカエさん、カヤさんより表情柔らかめだからちょっとホッとする。いや、カヤさんのきりっとした感じが悪いってわけじゃないけどさ。
で、ちょっと笑った顔のままタカエさんは、母さんに顔を向けた。
「僭越ながら、奥様。セイレン様に編み方をお教えなさっては?」
「え?」
「母さん、編み物できるんですか」
うわ、初耳。
全員の視線が集中した真ん中にいる母さんは、目を白黒させてキョロキョロした後、顔を真赤にした。ありゃ、もしかして内緒の話だったりする?
「え、ええまあ一応、ね。その、あまり人に見せるものじゃないからその」
「ご自身のベッドカバーを作り上げられたことがございますよ」
「うわ、大物」
編み物にはまあ驚かなかったけど、作ったものには驚いた。ベッドカバーて。
いや、向こうで見るようなシングルベッドでも大概でかいけどさ、こっちで、もしかすると俺が寝てるよりでかいベッドだぞ。それのカバーって、どんだけかかって編んだんだ。
でも、母さんの続く言葉を聞いて、俺はちょっと胸が痛んだ。だってさ。
「本当ならね、あなたにいろいろ編みたいなって思ってたの。でもあなたは春に生まれて、すぐにいなくなったでしょう。だから、機会がなくなっちゃって」
少し困ったようにうつむいて、母さんは寂しそうに呟いた。ああ、そっか。編み物って、秋から冬にかけて使うもんだもんなあ。春の間にいなくなった俺に、母さんは何も編めなくて。
でも、今俺は目の前にいる。それで気を取り直したのか、母さんは顔を上げると俺に向き直った。拳握って、上半身を乗り出してくる。
「そうね、一緒にひざ掛けでも編んでみない? セイレン」
「え、いいんですか」
「どうせなら、隣に見本がいたほうがいいでしょう? それに、一度くらい娘と一緒に編み物してみたいじゃない」
「……あ」
うん、そうだ。
母さんにとって俺は一人娘で、ずっとこの屋敷で育ってたならもう何度も、一緒に編み物してたんだろう。
それが、もうすぐ俺は屋敷を出て行くことになるのに、まだ一度も。
この機会を、逃す訳にはいかない。いや、そこまで深刻な話じゃないんだけどさ。
「わ、分かりましたっ。母さん、お願いします」
「ええ、もちろんよ」
よ、よーし。
何かやること思い切り増えたけど、もうどうせやるなら全力でやってやる。タイガさん待ってろよ、あんたにふさわしい嫁になってやるからな。