110.ひらひら、屋敷年越
慌ててゲンジロウの手綱を取りに行くミノウさんを見送りながら、俺はタイガさんに歩み寄っていった。ふかふかした白いマントを着た彼は、こうやって見ると王子様だなあって感じがする。
こっちでも寒い時の息は白いんだな、とかちょっとずれたことを考えながら俺はタイガさんを見上げた。
「セイレン様、ご無事でしたか」
「え、あ……うん」
えらく心配そうな顔して俺の手を取りながら、そんなことをタイガさんは言ってきた。
俺は頷いてしまってから、やっと気がつく。そりゃそうだ、俺悪霊に狙われてますって手紙書いたけど、解決したって手紙は……ドタバタしてて忘れてたあああ。うわ、マジごめん。
「そっか。ごめんなさい、ご先祖様や皆のおかげで、昨日解決したんです」
「いえ。ご無事なのでしたら、それでいいのですよ。そうか、良かった……」
わ、抱きしめられた。いやちょっと待て、全力で領民さんたちがこっちガン見してるじゃねえか、待て待て待て。
いやあのえーと、さすがにこの状況だと暖かいけど、ってそうじゃないだろ俺。
「あの、ちょっとタイガさん、ここ人前っていうか……」
『おお、そなたがセイレンの婿殿じゃの』
『へえ、シキノの若当主か』
「え」
ある意味救いの神というか何というか、空気の読めないご先祖夫婦がひょっこりと顔を出してくる。呼ばれて目を見開いたタイガさん、目の前で楽しそうにによによしている夫婦と視線が合ってしばらく、硬直していた。
「……あ、も、もしかして、セイレン様?」
「あ、うん。俺のこと助けてくれたご先祖様」
『シーヤ・スメラギ・ミコトじゃ。どうぞよしなに』
『シーヤ・コヤタ。よろしくね』
こっちの人は、この時期にご先祖様が来ることがあるって知ってるはずだから、ちゃんと言えば分かるんだよな。2人も自己紹介してくれて……タイガさん、慌てて俺から離れたし。
うん、ご先祖様の前で挨拶もせずにいちゃつくのは駄目だよなあ。挨拶したらいいのか、とかそういうことはなしな。
「し、失礼をいたしました。シキノ・タイガでございます。突然押しかけた無礼は平にご容赦を」
『よいよい。セイレンが心配で、それこそ飛んできたのじゃろ?』
さすがにこの場でひざまずくわけにもいかないらしく、タイガさんは胸に手を当てて深く頭を下げた。それに対して笑って済ませる辺り、さすがミコトさんというか俺のご先祖様というか。いやもう、開き直るしかないっていうかな。
『何、マイ・ダーリンも妾が病で寝込むと気が気でなくてな、仕事もよう手につかなんだ。妾が床から仕事せえ、と怒鳴りつけても無理じゃったからのう』
『当たり前だろハニー。僕の大事な奥様が病で寝付いてるなんて、気が気じゃなかったよ?』
ええい、子孫をダシにしてイチャつくのやめい。見ろよ、タイガさん胸に手を当てたままぽかーんとしてるじゃないか。
「……あ、あの、セイレン様。この方々は……」
「王家から押しかけてきた奥さんと押しかけられた旦那さん。ご覧の通り今でもラブラブ」
「は、はあ……な、仲のよろしいことで……」
「あきらめてください、タイガ様。あ、ゲンジロウは厩につないでおきました」
冷や汗かいたタイガさんに、ミノウさんが声をかけてきた。あ、お疲れさん。ゲンジロウも、いきなりの遠距離で大変だったろうなあ。
「あ、ああ、済まない」
「タイガ様ー。客間の準備すぐ終わりますんで、今晩はお泊まりくださいませねー」
「え、あ、ありがとう」
オリザさん、いつの間に。いやまあ、今から帰れってわけにもいかないもんなあ。しかし。
「うわ、そこまで手配終わったの? 早いねえ」
「シーヤのメイドとして当然ですー。というか、すぐに飛んで帰るにはお馬さんがお疲れなのでー」
「す、すまん。世話になる」
だよなー。全く、周りのこと見えないのなこの人。
ま、こんな感じでわいわいやってると、当然周りには人だかりができるわけで。で、その中で勇気のあるおばちゃんが、声をかけてきた。どこの世界でも、おばちゃんは強い。
「おやおや。シキノの若殿様、お姫様が心配なのは分かりますけど、御領地はよろしいんですか?」
「ご心配なく。ちゃんと、年越しの挨拶は済ませてきました。そこから全速力で」
おばちゃんに、えへんと胸張って答えるところはすごく子供っぽい。ていうか、サリュウとほんと、よく似てる。そりゃ、実の兄弟なんだから当然だけどさ。
まあ、それはそれとしてだ。
「ゲンジロウのこと、あんまりこき使わないでやってくださいよ。大変でしょうが」
「え、あ、はあ。し、しかしゲンジロウは私を乗せるのが仕事で」
「馬だって疲れるものは疲れるんです。さっきオリザさんも言ったでしょう?」
「はいー。ご主人様におつきあいするのも、大変ですねー」
「……ぐ」
まったく。馬だって生きてるんだから、無理に突っ走らされたりしたら疲れるに決まってんだろうが。そのくらい、考えれば分かるだろうに。
さて、この人どうするかな。せっかく来てくれたんだし、よし。
「……よし。せっかくですからタイガさん、お菓子配り手伝ってください」
「え」
「そうですねー。今夜はお泊まりですから、時間には余裕がありますしー」
「ほらほら、手が空いてるんですから」
「クッキー、お持ちしましたよ」
俺だけじゃなくてオリザさんにミノウさん、とどめに追加のクッキーを持ってきたアリカさんににっこり笑われて、タイガさんも断れないよな。
それに、断れない要素がもう1つ。
「若様あ」
「姫様ー、お菓子くださあい」
子供がいっぱい集まってきたんだよね。アリカさんがクッキー持ってきたの、見たから。さあ、もう逃げられないぞー、とニヤニヤしながら俺は、クッキーをいくつか取って子供たちに渡し始めた。
「はい、どうぞ」
「わーい、姫様ありがとうー」
「ささ。タイガ様もどうぞ」
「え、は、はいっ」
アリカさんがぽんと手渡したクッキーを思わず受け取って、タイガさんは目を白黒させた。それでも目の前の女の子がじーっと見てるのに気が付くと、ちゃんと笑顔になって腰を落とした。
「ど、どうぞ」
「ありあとー、おーじしゃま」
「うん」
へえ、王子様だって、とクッキー配りつつ微笑ましく見てたら、タイガさん何だか複雑な顔をしてる。はて、王子様って呼ばれて……いやまあ、今王子様っつったら主にレオさんのことなんだろうけど、うーん?
「どうしたんですか? タイガ様」
「おじさま、ですか。私、年食ってますから」
「王子様、でしょ? セイレン様が姫様なんですから」
おい。
何聞き間違えてるんだよ、誰がどう聞いても王子様だったよ。っていうか、一応年齢気にしてたのか。
「はあ、なるほど……いや、私には王位継承権はないんですが」
「このくらいなら、レオ様も笑って済ませられますから大丈夫ですよー」
多分突っ込むところはそこじゃない、と思う。領主様で、一応、ここ重要だけど一応王位継承権持ちの俺の婚約者って、まあ王子様って言われてもいいよな、と思うんだ。いや、俺の感覚だからこっちとは違うのかもしれないけどさ。
ふ、と顔の前を何かが落ちてきたような気がして、空を見上げる。ちら、ちらと暗い空から降ってくるのは、向こうの世界でも何度か見たことのある、氷の結晶
「……あ。雪」
「ああ、本当ですね」
タイガさんも、メイドさんたちも、そして領民さんたちも空を見上げた。子供たちはすぐにわあい、とはしゃぎ始める。はは、どこでも反応おんなじだな。
しばらく空を見上げてると、タイガさんに尋ねられた。
「セイレン様のお育ちになったところでも、雪は降るんですか」
「はい。ま、年越してから降ることがほとんどですけど」
「ほう」
それだけかよ、って思ったけど、まあいいか。こうやって、のんびりと空を眺めたのはいつぶりかなあ。
なんてことを思いつつ周囲を見渡すと、えーと。
「姉さま、兄さま、仲いいなあ。見ててください、僕もいつかきっといい人をっ」
いや、サリュウ、聞こえてるから。てーか、ほんと頑張れ。
「あらあら。ねえあなた、妬けちゃうわねえ」
「まあ、いいじゃないか。いずれ嫁ぐ相手だ、仲が良いのが一番だよ」
母さん、父さん。あなたがたが仲が良いのが、俺にとっては一番だと思う。今年の春まで親ってもの知らなかった俺に、いろいろ教えてくれたあなたがたが。
『ふーむ。モンドもメイアも、己らの鏡とは気づかないようじゃの。のうダーリン』
『そうだねハニー。でもさ、モンドも言ってるけど仲が良いのが一番じゃないか? 僕たちみたいに』
ご先祖様たちは勝手にしてくれ。何か、ご先祖様になってからもこうやって仲の良い夫婦でいられるなら、それが一番だぞ。
……俺とタイガさんも、そうなれるかなあ。
あー、あったかいなと思いつつ俺は、タイガさんの胸元に頭を寄せた。