107.さめざめ、義弟失恋
さて。
玄関ホール、散らばってた飾りやら樹の枝やらはほとんど片付いたんだけど。それはつまり、飾り付ける前の状態に戻った、ってことだ。あと、よく見るとじゅうたんの一部が剥がれてたり、壁にひび入ってたりするんだよな。
これ、どうすんだろう。
「後は飾りつけ直し、ですね」
「徹夜ですかな。ま、構いませんが」
「その代わり、明日は早く終わらせて寝ますか!」
……使用人さんたち、当たり前のようにそんなこと言ってるよ。まるでクリスマス会の前の院長先生みたいだ。ってつまり、悪霊襲来はともかく徹夜沙汰は慣れてるってことか。駄目だろ、それ。
そんな中、ジゲンさんがひび割れた壁に手を当てて、何やらもにょもにょと口元を動かした。……あ、すげえ。CGか何かみたいにひびがうにょんとくっついて消えた。で、俺の視線に気づくとふぉふぉふぉ、といつものように笑ってみせる。
「おやおや、見られましたかの。まあ、壁や床はこの爺が直しておきますでな。ご心配なく」
「え、あ、はい。お願いします」
いや、そう答えるしかないだろ。魔術で壁とか直せるんなら。ははは、ほんとお願いします。
と、屋敷の中で魔術が使えるくらい、魔術の壁が弱ってるって言ってたっけ。警備とか、大丈夫なのかな。
「どうなんですか? ミコトさん」
『まあ、屋敷の守りは妾とダーリンがおれば大丈夫であろ。年越しの週にも悪霊は出るが、人間が大騒ぎする故その力もさほど強くはないしの』
こちらはご先祖様がお気楽に答えてくれた。ダーリンことコヤタさんも、ミコトさんをぎゅーと抱きしめながら頷いてる。ええいあんたら、恥ずかしくないのかそれ。
って、そこじゃないな。うん。
「……てことは、これでひとまずおしまい、ですか」
『うむ。よう頑張ったの、セイレン。皆の衆も』
『お疲れ様。元凶は消したし、もう大丈夫だよ』
2人のご先祖様が、同時に頷いてくれた。あー、悪霊問題、やっと終了かあ。疲れた。
……タイガさんに、会いたいよう。
『これセイレン、愛し君に会いたいのは分かるがまだ、そなたにはやるべきことがあるぞえ』
「はひっ?」
「セイレン、お顔がデレデレしていてよ?」
「まあ、タイガ殿もセイレンのことを案じておろうからのう。後で文でも出しておきなさい」
うわあ、ミコトさんだけならともかく父さん母さんに見られてたし。っていうか、玄関ホールにいる全員、何で俺に視線集中してるんだよ!
「いえ、タイガ殿にお会いしたい、とおっしゃいましたので」
「へ? ユズルハさん、俺声に出してた?」
「はい、はっきりと」
俺の質問にユズルハさんは、クソ真面目な顔をして大きくうなずきやがってくれた。
あああああ、今すぐ穴掘って入って埋まりてえ。
『ほれほれ、のたうっておらんとセイレンはとっとと休め。そなたには明日、菓子を配るという大役が待っておるからの』
ぺん、と叩かれる代わりに呆れた声を投げつけられて、俺ははっと正気に戻った。え、お菓子配り?
「え、俺も配るんですか」
『嫁入り前の御披露目じゃからの。気合いを入れよ』
「そうね。ここはいいから、もう休みなさい」
「は、はーい」
嫁入り前。
そっか。来年は俺、タイガさんのとこにいるんだ。父さんと母さんのもとで年越しするのは、もしかしたらこれが最初で最後。
それならちゃんと年を越せるように、さっさと寝るべきってことか。
最初で最後の年越しの週、領民の人たちにお菓子配ってちゃんとごあいさつ、しないとな。
よ、よし、頭切り替えて、まずは部屋に逃げるとするか。まだ顔熱いし。
「そ、それじゃ、こっちはお願いします。すみません、お先に」
「おやすみなさいませ、お嬢様!」
「ゆっくり休んでくださいねー!」
俺が頭を下げると、使用人さんたちは何だか楽しそうに答えてくれた。そういえば、この人たちとちゃんとお休みの挨拶するの、初めてだっけな。
「あ、姉さま!」
「せ、セイレン様、お帰りなさいませ」
「おかえりなさい、早かったですねっ」
ミノウさんとオリザさん連れて部屋に戻ると、拘束を解かれたサリュウとおつきメイドさんずが迎えてくれた。正座で。
床の上で同じように正座して向き合っていたカヤさんとアリカさんが、俺を確認すると慌てて立ち上がる。あんたら何やってたんだ一体。
と思ったら、サリュウのメイドさんたちが一斉に頭を下げた。
「セイレン様! この度は大変ご迷惑をお掛けしました!」
「その、覚えてないんですが、誠に失礼しました!」
「ほんとにごめんなさいっ!」
トキノさん、マキさん、カンナさん。3人揃って深々と頭を下げてる……あー、これは。
「皆、正気に戻ったんだ?」
「は、はい、何とか……それでその、カヤさんやアリカと話をしておりました」
「そっか」
あーうん、多分事情聴取だろうな。カヤさんが難しい顔してたの、多分自分と重ね合わせてたんだろ。
と言ってもこの3人の場合、見るからに意識なかったっぽいしなあ。サリュウは覚えてたわけだけど。
だから、俺は屈みこんで彼女たちの様子をうかがった。
「なら、良かったよ。怪我とかない?」
「あ、はい。それは大丈夫です」
代表して答えてくれたのはカンナさん。しょぼーんと凹んでるのはまあ、しょうがないというか。
こういう場合、俺が何言っても結構凹みっぱなしなんだよな。そういう時は、どうするか。
気分転換、これに限る。
「うん。じゃあ、カヤさんと一緒に玄関ホールの片付け、手伝ってあげてくれないかな。ちょっとえらいことになってて。サリュウ、いいかな?」
俺がいきなり話を振ると、カヤさんは「私ですか? 分かりました」と即座に頷いた。サリュウは目をぱちくりさせてそれから首を大きく振る。縦に。
「え? あ、そ、それで姉さまがいいのでしたら」
「俺がいいっていうか、多分手が足りなさそうだし。トキノさんたち手伝ってくれれば、助かると思うんだ」
「なるほど」
サリュウたちは玄関ホールの現在の惨状知らないけど、まあ行けば分かるだろ。そうでなくても、サリュウの部屋に戻る時ってあの横というか上というか通るしな
で、弟はすぐにメイドさんたちに視線を向けて、きっぱりと命じた。ここらへんはほんと、領主家の跡継ぎって感じ。俺よりも、ずっと。
「マキ、トキノ。僕は大丈夫だから、片付けを手伝ってこい。カンナはちょっと、いてくれるかな」
「了解しました。行ってまいります」
「分かりました」
「へ? あ、はい」
サリュウの命令で、マキさんとトキノさんはすぐに立ち上がった。カンナさんだけきょとんとしてたけど、すぐにおとなしく姿勢を正す。
立ち上がった2人と一緒に動いたカヤさんを、俺は呼び止めた。一応、言っておかないとな。
「カヤさん」
「はい」
「これからどうするのか、俺は母さんには何も言ってないから」
「……はい。自分の口で、申し上げるつもりです」
「うん」
俺が頷くと、カヤさんは小さく頭を下げてマキさん、トキノさんと一緒に扉の向こうに消えた。
ちゃんと、自分から言ったほうが母さんも納得するだろうし。後のことは、母さんに任せる。
さて、俺がしなきゃいけないのは。
「アリカさん、オリザさん、ミノウさん。先に、寝室の方お願いできるかな」
「え? あ、はい」
「奥からですかあ?」
「……了解しました。とりあえず行くぞ、2人とも」
ミノウさんに押し込まれるように寝室に消えたメイドさんたちを見送って、俺はカンナさんと共にこの場に残っていたサリュウに、向き直った。
「……さてと、サリュウ」
俺がしなきゃいけないのは、多分そのつもりであろう弟に、引導渡すこと。
こいつは俺のことを好きでいてくれて、だからあんなことになっちゃったんだから。
「はい」
「俺にとってお前は、可愛い弟なんだよな。血がつながってるとかそういうのはまるっきり関係なくて、弟」
「……はい」
「俺はお前がこの家継ごうって頑張ってるの知ってるから、応援してる。でも、一番そばで応援するのは多分俺じゃなくて、他の誰かだと思うんだ」
「……はい、姉さま……」
「少なくとも、お前が俺のこと好いてくれてるのは嬉しいけど。でも俺は、あくまで姉だから」
俺は、あくまでもサリュウの姉、セイレン。
姉っていうのは、恋する相手でも結婚する相手でもないんだ。
それに俺には、もうそういう人、いるから。
サリュウもそれを分かってたはず、だけどな。
「ははは。僕、失恋しちゃったんですね」
あー、でも何か、男を振るってすっげえ気まずいのな。それが身近にいてくれるやつだから、余計に。
サリュウは大きな目に涙ためて、それでも泣かないぞって頑張りながら、必死に笑った。あー馬鹿、泣いていいんだよこの野郎。
「ごめんな」
「姉さまは謝らないでください。悪くないんですから。姉に初恋した、僕が悪いんですから」
「……」
そうなのかな。ってか、俺が初恋かよお前。
俺は初恋って……多分院長先生と一緒に育ててくれた先生、だと思うんだけど、あんまり覚えてない。もしかしたら、実は院長先生が相手だったかもしれない。
ほんと、よく覚えてないんだよ。このへんあやふやなのは、自分の性別が実際のところあやふやだったのかもしれない。俺は女として生まれてたけど、向こうの世界では男として育ったしなあ。
だけど、多分これ、すっごくサリュウにとってはきついことだから。
「……カンナさん、サリュウを頼めるかな。部屋で休ませてやって」
「はい、承ります」
「ね、ねえさま、しつれいします……」
ぼろぼろ泣きながら部屋を出て行くサリュウとそれに付き添うカンナさんを、俺はその場で見ているしかなかった。