106.かたづけ、屋敷玄関
「はあ……」
ずる、と身体から何かが抜けていく感覚とともに、俺はその場にへたり込んだ。べたーんと座り込んで、後ろに手をつく。あー、全身だるい。
「な、なんか疲れた……」
『そりゃそうじゃろ。ダーリンや妾に身体を貸したんじゃからな』
『お疲れ様。ハニー、セイレン』
『うむ、ダーリンもお疲れであったな』
『何の何の、可愛いハニーと子孫のためだもんね』
あ、ミコトさんの声が前からする。顔を上げると、コヤタさんと一緒に俺を覗きこんでいた。そっか、さっき抜けだしたの、ミコトさんか。
いやほんと、だるいとしか言い様がない。しばらく使ってない筋肉とか使ったからかな、すごく疲れてる。あと、目の前でいちゃいちゃしてるご先祖様夫婦のせいでもあるかな、多分。
……俺とタイガさん、外から見るとあんなふうに見えるんだろうか。わーお。
「大丈夫ですか? セイレン様」
「うん、俺は大丈夫。めちゃくちゃ疲れただけだから」
顔をひきつらせながら駆け寄ってきたアリカさんに、どうにか笑ってみせる。この場合ご先祖様のいちゃいちゃに苦笑してると思われてもいいや、大して違わないし。
っと、それどころじゃなかったな。俺は役に立たないけど、でも。
「それより、他の人たち見てあげて。何あったのかよく分かんないけど、怪我してたら大変だろ」
「承知しました。ミノウ、オリザ!」
「分かっている」
「はいはーい、了解でーす」
うんまあ、俺が指示するまでもなくやってくれてるんだけどさ。ほんと俺、ミコトさんに身体貸したくらいしかできなかったなあ。
「ん?」
そんなこと考えてると、上からばたばたと駆け下りてくる音が聞こえた。それも複数。
慌てて見上げると、階段を転がるように降りてくる集団。
「セイレン!」
「セイレン様!」
「セイレン、大丈夫だったのか! ……あ」
母さんを先頭に父さんとユズルハさん、それから上にいたメイドさんや使用人さんたちだ。そっか、安全になったから封鎖解けたんだ。良かったあ……って父さん、いきなり何土下座してるんだ?
「コヤタ様! コヤタ様のご出陣とはついぞ知らず、失礼を!」
『ああうん、気にしなくていいよモンド。マイハニーがちょっと大変だって言うから、お手伝いに来ただけだし』
深々と頭を下げる父さんに、コヤタさんはもう大丈夫だって感じで手をひらひらさせつつ答えてる。
床えらいことなってるけど、土下座して大丈夫か父さん。いや、俺もへたり込んでるけどな。
というか、コヤタさんってすごいご先祖様だったわけか? 父さんが土下座なんぞしちゃうところ見ると。いや、ミコトさんを嫁にした以外で。
『それより、セイレンを気にしてやってよ。頑張ったんだからね』
「心の広いお言葉、ありがとうございます。セイレン、よく無事でー!」
「だあっ」
うん、大丈夫だからハグはもう少し弱くしてくれ、父さん。
……父さんたちのおかげもあるんだぞ、俺が無事だったっての。くれた指輪が、お守りになったんだから。
だから俺は軽く父さんの背中に手を回した後、頑張って笑ってみせた。今度はちゃんと、笑えてるかな。
「父さんたちに守ってもらえたから、俺は大丈夫です。心配しなくていいですから」
「本当か? 怪我も何もないな?」
「本当ですって。ほら」
今にも泣き出しそうな顔で尋ねてくる父さんに、手を広げて見せてみる。と、そこに横から母さんが割り込んできた。
「ちょっとあなた。私の分も残しておいてもらえる?」
「何を言う。セイレンが減るわけではないだろう」
「そりゃ、減ってもらっては困りますけどね。そうじゃないのよ」
いきなり夫婦げんかを始めるな。しかも原因が俺って。
この場合、収める方法はこれしかないな。うん。
「母さんも、俺大丈夫ですから」
「おお……セイレン、本当に良かった!」
というわけで、今度は母さんごとハグしてみた。ああもう、父さんも母さんも心配症なのは分かってるけどさ。でもほんと、大丈夫だったから。
えー。
でまあ、俺と両親が空気も読まずにハグしまくってる間にアリカさんたちは、倒れてる使用人さんたちを回収したり様子見たりしてくれてた。クオン先生がてきぱきと治療の手はずを整えてくれたので、手当も早く終わるようだ。
魔術師って、一種お医者さんの役目もあったんだよなそういえば。いや、他にお医者さんっていう存在もちゃんといるんだけど。
うちはまずジゲンさんかクオン先生に診てもらって、その結果で専門医を呼んだりするそうだ。ちょっとの怪我なら薬とかでどうにかなるし。……そういや、ちゃんとしたお医者さんのお世話になったことってないなあ。健康ってことでいいのかな、俺。
ま、そのへんは置いといて。
「こほん。使用人には、特に医師の治療を必要とする負傷者はおりませんでした」
「まあ、それは良かったわ。手当だけはちゃんとしてあげてね」
「もちろんです」
クオン先生と母さんの会話は、ホッと一息つけるものだった。そっか、あんだけ派手にやっても重傷の人いなかったんだ、良かったよほんと。
あ、やべえ。派手にとか何とかで急にサリュウたちのこと思い出した。あいつら、俺の部屋で縛り上げられたままじゃん。
「思い出した。アリカさん、カヤさん連れて俺の部屋行って。サリュウたち閉じ込めっぱなし」
「はっ。りょ、了解しました」
「あら、そうなの。カヤ、ここはいいから行きなさい。サリュウのこと、よろしく頼みましたよ」
「……はい、奥様」
俺と母さんの指示に、2人は慌てて階段駆け上がっていく。悪霊も消えたし、多分メイドさんたちも正気に戻ってると思うんだけど。戻ってなかったらまあ、2人が何とかするか。
……カヤさんが辞める気っぽいってのは、とりあえず後回しにしよう。カヤさんだって自分の口で言いたいだろうし、今はやることいっぱいあるし。
「ユズルハ。無事な使用人たちと共に、ホールの片付けを急いでくれ。明日は飾り付けのやり直しだ」
「はい」
父さんの指示で、ユズルハさんが玄関ホールの掃除を始めている。クオン先生たちが光の壁張っててくれたおかげで、飾りや樹の枝がだいぶ散らばってるけどまあ、何とかなりそうだよな。すごいな魔術……ん?
「……あれ。そういえば屋敷ん中って、魔術使えなかったんじゃないですか?」
「それがね、この時期だけどうしても少々結界が弱るんですって。太陽神様のお力をお借りしておるので、当然ってことみたいだけど」
「だからわたし、バリヤー張れたんですよー」
「あー」
母さんとオリザさんの説明で納得。そうなると、ジゲンさんでもどうしようもなかったんだろうな。
まあ、いろいろ条件が重なった結果の、悪霊沙汰だったわけか。うわ、これで俺どうにかされてたらほんとに大変なことになってたわけだ。助けてくれた皆に、感謝しないとな。
「おお、中の方は終わられましたかの」
怪我人の手当のほうが落ち着いた頃、玄関扉が静かに開いた。ひょっこりと顔を出したのは、ジゲンさんである。
その顔を見たコヤタさんが、楽しそうに笑って尋ねた。
『おや、ジゲン殿。外は終わったのかな?』
「もちろんでございますよ。お達し通り、屋敷にも庭にも傷はつけておりませぬ」
『うん、ありがとう。せっかく年越しの祭りの直前だしね、ジゲン殿ならできると思ったよ』
おいおい、爺さんも何かやってたのかよ。つーか、まさか。
「……外って、悪霊の援軍とかですか」
『うむ。妾は中で手一杯じゃったからの、ジゲンに任せた』
「ふぉふぉふぉ。結界の弱体化はやむを得ませんが、やってくる虫どもを片付ける位ならこの爺にもできますでな」
……結構さらっと言ってるけど、こういう場合の援軍ってこう、すごいことになってるんじゃないだろうか。
全く見たことないんだけど、ほんとにあの人すごいんだろう、な。
『真の強者というものはな、己の力を誇示なぞせぬのじゃ。ダーリンもな』
『やだなあハニー、僕は君のためなら何だって出来るだけだよ?』
……とりあえず、このご先祖様は放っておこう、うん。