101.どたばた、屋敷内戦
「……っ」
急に、身体が重くなった。カンナさんの体重が増えたわけでも、押さえつける力が強くなったんでもなくて俺自身の身体が、重くなったんだ。
あーやべえ、周囲真っ暗になりやがった。今目の前にいるカンナさんすら消えてしまって、その代わりにサリュウがそこにいる。何じゃこりゃ。
『守りの先祖は、我が宿り木と戦っておる。だが、我の気配をこれだけ散らしておれば、こちらには気づくまい』
「……んー、んっ!」
カンナさんと同じポーズで俺の口を抑えたまま、サリュウの姿をした誰かはそんなことを言い放ってきた。
そうか、ミコトさんは、植木の方に集中してるってことか。父さんや母さんは無事なんだろうな、ちくしょう。
そんなこと思いつつ睨みつけたら、サリュウの中のやつはテレパシーでも持ってるのか楽しそうにうなずきやがった。
『案ずるな。我らの目的は初めから貴様1人、先祖はその邪魔立てをする故罠に嵌めたまで』
ああ良かった、大丈夫みたいだって俺は大丈夫じゃねえよ!
サリュウも、このままだとヤバイだろ。マキさんもカンナさんも、トキノさんも。
それからミノウさん、オリザさん、どういう状況になってるか分かんないけど負けてくれるなよ、頼むから。ミコトさんも。
……つーかジゲンさん、クオン先生、何やってんだー。ああもう人に頼ってばかりだな、俺。
『シーヤの屋敷は、魔術の壁のせいで難攻不落の要塞であったからな。故に内側を支配すれば、それは我らにとっても同じく強固な砦となる』
……くそ、それで俺かよ。
屋敷の中にいて、何の力もなくて、唯一悪霊除け持ってない、生娘だから。
『この小僧は、まだまだ使いにくい。だが貴様の身体ならば、すんなりと馴染もうぞ』
「んぐ、ぐむっ」
サリュウが使いにくいのは当たり前だ、もう悪霊除けがついてるんだから。ああくそ、何でこんなことになっちまってるんだよ。人の弟に何しやがってんだ、ちくしょう。
『さて、口移しで我が気を流し込んでやろうぞ。初めてだそうだな、たっぷりと味わえ』
「んむ……やめろてめえっ!」
そらまあ、口移しっていうんだから当然押さえてた手は離れるわけで。とりあえず吠えるだけ吠えてみたけれど、奴は平然と俺の顔を包み込むように掴んだ。
あ、やべ、顔近づいてくるのに合わせるように頭ぼんやりしてきた。このままだと、マジやべえ。……あ、もう、駄目かも。
……ごめん、タイガさん。
ひゅ、と風を切るような音がした。
途端、ぼんやりしてた意識が引き戻される。あ、部屋の中元の明るさに戻った。向こうで何かが殴られたような音が聞こえたのが分かる。多分、ミノウさんがトキノさんぶん殴ったか、その逆かだ。
目の前にいるのも、カンナさんに戻ってる。何か凍りついたように固まってるけど……足元のサリュウは、手が離れてるのだけ分かった。
「んのっ!」
「ぎゃっ!」
重みもだいぶ軽くなってたから、無理やり寝返りしてみる。途端、立ち上がろうと下手に動いてミスったらしいカンナさんが俺に引っかかって、ずでんと間抜けに転ぶ。で、そのまま動かなくなった。
そのカンナさんを、誰かの腕が無造作に抱え上げてどけてくれた。それから俺に、手を差し伸べて……あれ。
「ご無事でございますか、セイレン様」
「え? あ、はい」
俺の名前を呼んでくれたのは、えーと確かに手を伸ばしてくれたその人なんだけど、何でここにいるんだと一瞬混乱した。ま、まあ立ち上がらせてもらおうか。
「カヤ、さん」
「本来ならば出せる顔ではございませんが、ミコト様のたっての命により参上いたしました」
頭のあれとかエプロンとか着けてないメイド服で、俺を立たせてくれたカヤさんはすっとその前に跪いた。その手にあるのは、ほら馬の尻叩くときとかに使う短い鞭。さっきの風切り音、これだったのか。
ああいや、俺はいいんだけどでも、これでびしばしとかか。俺の足元に逆大の字でぶっ倒れてるサリュウ、あの鞭でびしっとやられたわけか。
その俺の横で、がんごんと鈍い音がした。慌てて振り返るとそこにもう1人やっぱりエプロンしてないメイドさんがいて、どうやらマキさんをぶっ飛ばしたらしい。オリザさんがぽかーんと、そのメイドさん見つめてる。
ミノウさんはトキノさんを布団巻きにしてたみたいなんだけど、やっぱりえーという顔してるな。
「私が言うのも何ですけど、こういった手は好きじゃないです。セイレン様、ご無事でよかったですよ」
ひらりとおさげなびかせて振り返ったのは、アリカさんだった。両手に構えてるのは長い棒じゃなくて、どうやらトンファーみたいなやつだ。前にサヤさんが使ってた、あれ。
え、あれでも、カヤさんもアリカさんもジゲンさんちで療養中だったよな。めちゃくちゃ凹んでたって聞いたけど、もういいのかな。こう、精神的に。
「た、立ってくださいよ。2人とも、大丈夫なんですか?」
「ご迷惑をお掛けしました、セイレン様。私は処置がかなり早かったので、もう何とも」
「私も、もう大丈夫というお墨付きを頂いております」
俺の問いにアリカさん、そして立ち上がったカヤさんが続けて頷いてくれる。そっか、大丈夫なのか。良かった……って、カヤさんてばサリュウを手早くくるくると縛り上げてるよ。ああ、また何ぞやったら偉いことだからか。
…………襲われたの、俺だろ。しっかり現実見ろよ、シーヤ・セイレン。
「ミコト様はクオン先生と共に、玄関ホールにおられます。植木屋が持ち込んだ木が今宵の元凶、そして悪意の中心であろうとおっしゃっておられました。サリュウ様を操っているのは、その悪意だとも」
「あ、さっきサリュウの中にいた誰かもそんなこと言ってたな。宿り木って、そういうことか」
カヤさんの説明で、すげー納得した。ああ、やっぱりあの木か。サリュウとメイドさんたちが皆で運んでたから、その時に何かしやがったわけだな。俺がトーカさんに掛けられた、接触魔術とやらと似たようなもんだろうか。
んで、クオン先生はそっちにかかってるわけか。じゃあ、ジゲンさんは?
「……う、うーん……」
ありゃ、変な声……ってごめん、サリュウの声だよな。もそもそ動いてるってことは、気がついたのかな。
「サリュウ?」
「……あ、あれ、姉さま? カヤに、アリカも」
おう、元に戻ってる、ような気がする。
サリュウは室内をきょろきょろと見回して、何故か増えてるメンバーに首を傾げた。自分がぐるぐる巻きなのに気がついたのはその後で。
「ちょ、これ何だー!」
「……申し訳ありません、サリュウ様。私やアリカと同じ状態になってセイレン様を襲っていらっしゃったので、緊急回避措置として拘束させていただきました」
「え、え?」
カヤさんが、自分が何でこうなってるのか分かってないサリュウに割と端的に説明する。その言葉を、ほんの少し考えてサリュウは、どうやら理解できたらしい。
「え、姉さま襲って…………………………うわああああああああ!」
うん、もしかして操られてる最中のこと思い出したかな、サリュウ。両手空いてたら、頭抱えて床に突っ伏してたところだな。空いてないから縛られた身体で、床の上でのたうってるんだけど。
その間にマキさんをぐるぐる巻きにして、トキノさんもろとも寝室に放り込んできたオリザさんとミノウさんがこっちに戻ってくる。どったんばったんしてるサリュウ見て、冷や汗かくのはまあしょうがないか。
「サリュウ様、どうなさったんですかあ?」
「いや、正気に戻った途端自分が何やったか思い出したらしい」
「……ご愁傷さまです」
ミノウさん、でかいため息。まあなあ。
……っと。そういえばカヤさん、アリカさん、よくこっち来てくれたな。下でミコトさん、戦ってるんじゃないのか。
「にしても、よく分かりましたね。来てくれて助かった身で、こんなこと言うのも何なんだけど」
「困ったことに私もアリカも、一度影響を受けたせいか悪霊の気配が分かるのですよ」
「それで、ミコト様にセイレン様の守りを仰せつかって馳せ参じた次第です」
カヤさんが苦笑して、それからアリカさんがちょっと困ったように笑って答えてくれた。ミノウさんもオリザさんも、2人の言葉に何か感じるものがあったのか特に何も言ってこない。
……そっか。それで、俺がやばいの分かって駆けつけてくれたんだ。ミコトさんだって、援軍欲しいだろうに。というか、呼ぶって言ってなかったっけか。
「……あ、ありがとう。ほんとに、助かりました」
「礼には及びません」
ともかくお礼を言う。でもカヤさんの返事はそっけなくって、ああほんとにカヤさんだって何だか安心した。
……安心したところで、思い出す。3階にいるはずの、父さんと母さん。
「あ、そうだ。父さんと母さん、ほんとに大丈夫なのかな」
「旦那様と奥様のおられる階層は、ご夫妻どちらかの許可さえあればカサイの魔力で封鎖することができます。おそらくは旦那様が、お許しを出したのかと」
「封鎖?」
3階だけ封鎖できるのか。魔力で封鎖って、えーと魔力の壁とかそういうやつでかな。つかカサイ、ってことはジゲンさんとクオン先生、どっちでもいいってことか。
よく分からないけど、悪霊は上には行けないってことか。それならいいんだけど、でも何でまた。
「そうしなければシーヤの家が滅ぶ、という状況に陥った時にのみ、そういった措置を取ることがございます。古い時代には、領主家の滅亡は即ち領地の混乱と破滅を招くものでございましたから」
「……そっか。そうだな、確かに」
古い時代。レオさんのご先祖様が王様になって、領主たちをまとめるようになってからこの国は、割と平和になったらしい。そのくらいには、俺もこっちの歴史勉強してるよ。その割に、まだまだ知らないことも多いんだけど。
それより前はきっととても大変で、だから領主の家は家を守ることに一所懸命になって、それでいろんな仕組みとか掟みたいなもの作った、らしい。
「今回はなあ、マジでそうなるとこだったみたいだし……ちくしょう」
俺が陥落してたら、多分その後屋敷の中は悪霊の住処になっちまってたんだろう。一度入り込んでしまえば悪霊でも平気、みたいだし。だけど、もしそうなっても父さんと母さんだけは無事に助かるようにって、2人のいる階を封鎖した。
俺とサリュウを切り捨ててでも、守らなきゃいけないものがあるから。跡継ぎなんて、その気になればどうとでもできるもんな。
「事態の解決まで、封鎖を解くわけには参りません。ですからセイレン様もサリュウ様も、もうしばらくご辛抱くださいませ」
「僕はいいよ。姉さま襲ってしまったんなら、これもしょうがないし」
カヤさんの言葉に、意外にあっさりとサリュウが頷いた。……このシスコンなところ利用されたんだよな、あー腹の立つ。
で、サリュウはそのシスコンっぷりをしっかり発揮してくれた。
「でも、姉さまはどうすんだよ。悪霊の狙い、姉さまなんだろ? 何かあったら一番大変じゃないか」
「我々が、お守りします」
だけど、サリュウの言葉には間髪入れず、カヤさんが答えた。今まで聞いたことのない、強い口調だ。
そのせいか、俺も含めて全員の目がカヤさんに向けられる。その中で彼女は、一度目を閉じた。
「アリカやサリュウ様はセイレン様への好意を利用された形でしたが、私はほんの少しの悪意を利用されてしまった愚か者。主のご家族に対しそのような感情を持った私が、この程度の働きで詫びになるとはとても思えません」
「……え、それって」
「これを持って、私のシーヤ家に対する最後のご奉公とさせていただきます」
まぶたを開いたカヤさんは、胸の前でびしりと鞭を伸ばしてそう言い放った。




