汚れた世界
「夢は妄想と幻想の塊」
そう謳った人間がいた。
夢を見るか否かは自由であろう
叶うか否かはわからないのだが
幼い頃は君だって夢を見ただろう
例え夢が偽りでも。
何時だって夢を見るのは、
大切なことであろうに。
「何ともならないかも知れない
夢は叶えられないのだとしても」
「私は、この世界を。
大ッ嫌いな世界を信じきる」
「叶わないのが前提なのだから」
言ったって通じないのは知ってる
だからこそ、私はこう言うのだ
諦めたら全ておしまいだと
これを否定したきゃ
否定すればいい
否定されて生きてきたのだから、
別に今更否定されても泣けない。
大人達の悪い事を見て生きる
子供達は悪い事ばかりを覚える
世間体に縛られるのが大人なら
教育機関に縛られるのが子供。
型に嵌った子供になり大人になり
碌でもない人間に成長する。
他人を否定しかしない大人なる。
今もそんなのがたくさんいる。
馬鹿みたいじゃない?
寄って集って否定して、ね?
夢を見ることを子供がしなくて
未来が開けるわけ無いだろう。
夢を見ることを子を否定して
前向きになるわけ無いだろう。
そんな世界でも私は生きている。
世界が崩れようとも。生きる。
私は多分世界では、不思議な子。
型に嵌らない、変わった子。
世間体とか他人の目とか関係ない
この正直な口はいつも言う
「それはあくまで
大人が言ったことでしょ?」
「本当にそれが真実と
言いきれるのかい?全て真実と」
「それを型に嵌った奴て言うの」
そう、ハッキリいう口なんだよ
私は嫌いだ。
この世界も
汚く汚れた世界も
嘘に塗れた世界も
「本当」を追求できない世界が
嫌いだ、大嫌いだ。
まぁ、所詮、この汚れた世間で
私達庶民には、
「本当」を知る権利も無いんだろうに
夢は小さな頃幼いなりに見た夢があるかと思います。今の子は小さい子らしい夢を見ない、否定される・暴力を振られるなどで夢を見ない子が増えたそうです。前向きな青年がいないと言われるのはそれが原因と私は考えます。
それに、親がちゃんとした見本になってやらないと子供達は悪い事しか覚えません。
そして、今の社会、事件が多いです。その中でも真実を伝えないといけないというのに伝えない物が増え、本当を追求されることはないのだろうな、と考えているのです。