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ぽろり  作者: はち味
第一章
9/25

りくぶっ!

「これから、私は猫をかぶる」


 保健室から校庭に移動している途中だった。校舎から青空の下に出ると、いきなり高野は立ち止まり、ぽつりとそんなことを言った。


「お前と中瀬古以外の連中の前では、素の自分を隠すつもりでいる」


 俺が「どうしてなのですか」と質問する前に、高野は言葉を続けた。


「ありのままの私を見せると、たいていの人は怖がるのだ。私みたいながさつでぶっきらぼうな女よりも、おしとやかで柔らかいイメージの女の方が、人から受け入れられやすそうだろ」


 たしかに、と俺は心の中で同意した。


「……いやはや、あんな辛い体験は教育実習のときだけで充分だ。時代錯誤なリーゼント高校生たちが己のプライドを曲げて七三分けに――」


 ぶつぶつと独り言のように喋るので後半の部分があまり聞き取れなかったが、高野はえらく波乱万丈な教育実習を過ごしたらしい。――なのに、どうして教師になろうと思ったのだろうか。


 機会があれば、いつか訊いてみたい。


「まあ、なんだ」


 高野は大きく息を吸って、大きく息を吐いた。


「これは、私の弱みと思ってもらってかまわない」


 どうしてそんなことを言うのですか、と訊ねようとする前に、またしても高野の言葉に遮られた。


「弱みを握られていた方が、お前が私と対等に付き合ってくれそうだしな」


 高野は小悪魔のような笑顔を浮かべながら俺を見て――しかし、すぐに平然とした顔つきになった。


「何か言いたそうだな?」


「……はい。そんな風に言えることが弱みだとは思えません」


 俺が正直な感想を述べると、高野は小さく鼻で笑った。


「そうでもないぞ。本当、人から怖がられるのは嫌なもんだよ。私は昔から――そうだったからな。じゃあ、行くぞ」


 高野はそう言って、再び歩き出した。その後ろを追いながら、俺は彼女の言葉を反芻していた。


 しかし、まるで納得できなかった。


 彼女が人から怖がられていた要因が、はたして言動によるものだけだったのだろうか。疑問だ。見た目は気後れするのほど美人だが怖くはないし、口調も男よりも男っぽいが怖くはない。俺が彼女を恐れている理由は、単に彼女が俺より年上の女性だからだ。彼女が猫をかぶっていようがかぶっていまいが、関係ない。


 そこのところを勘違いされちゃあ困るので、この際年上の女性が苦手であることをぶっちゃけてしまおうかどうしようか、なんて悩んでいたが、すぐに校庭にたどり着いてしまい、俺はいったん思考を中断した。


 校庭は縦、横400mくらいの広さがあり、その中心には一周200mのトラックがある。グラウンドで活動を行っているクラブは、陸上部のほかに、野球部、ソフトボール部しかなく、それぞれが均等に三分の一ずつの面積を使用している。


 今日は野球部、ソフトボール部ともに活動していないらしく、校庭は閑散としている。ということで、トラックの周りをだらだらと走っているのはもれなく陸上部の連中だ。


 砂交じりの冷ややかな風が顔に当たる。俺は目をつむって、風が収まるまでじっとしていた。


「なあ、九条」とすぐ隣から名前を呼ばれた。


「どうされました?」


 答えながら目を開いて隣を見ると、高野は手の甲で目をこすっていた。


「ごめん。ちょっと待ってくれ」


 どうやら砂が目に入ったらしい。始業式のときと言い、彼女は案外間抜けだ。


「……よし、もう大丈夫だ。さて、改めて。なあ、九条」


「どうされました?」


「陸上部の部員数は、計九人だったはずだよな?」


「そうですよ」


「しかし、校庭には、お前も含めて四人しかいないじゃないか」


 高野の言うとおりだ。女子二人と男子一人、そして俺を含めた四人しか存在しない。


「陸上部でまじめに活動しているのは、そこにいる三人だけですよ。他は幽霊部員です」


「……そうなのか。前顧問の方からは、お前だけが幽霊部員だと聞かされていたんだが」


 高野は確認するように言いながら、親指と人差し指であごをつまんだ。


 彼女の言葉から推測するに、俺は練習にはほとんど顔を出さなかったが、いちおう試合には出ていたし、かつ結果も出していたので、前顧問の記憶に残っていたのだろう。つーことは、他の部員は完全に記憶から消されてるのか。ひでえ前顧問と、ひでえ部員だ。まあどっちもどっちだけど。


「もしかして、がっかりされましたか?」


 訊ねると、高野はぴくっと頬を動かしてこちらを向いた。


「……いいや。やることは同じだ。うん、そうだ」


 自分の言葉に納得するように、高野は二度うなずいた。


「教えてくれてありがとう、九条」


「……い、いや、れ、礼には、及びませんよ」


 高野があまりにも綺麗な笑顔を見せるので、俺は返事に戸惑ってしまった。彼女には、年上の女性に抱く『怖れの感情』とは別の理由で緊張する。


 そういや、いつの間にか『怖れの感情』はほとんどなくなっていた。ほんの短い時間だけれど、これほど自然に年上の女性と会話できたのは何年ぶりだろうか。


 などと感慨にふけっていた矢先のことだった。


「お前の言葉で決心がついたよ」


 高野が意味深な言葉を呟いて、一歩、一歩と校庭の土を踏みしめた。


「あ、高野先生だ!」「隣に九条もいる!」


 遠くにいる二人の女子が俺たちの存在に気がついたらしく、やや興奮気味に騒いでいる。その一方、残る一人の男子はこちらを見向きもせず、黙々とジョギングを続けている。


 高野は両手でメガホンの形を作り、それを口元にあてて叫んだ。


「おーい、陸上部のみんなー! 挨拶するからこっちにきてー!」


 思わず笑ってしまうところだった。なぜなら高野の発した声が、幼児向けテレビ番組のお姉さんのような添加物まみれの声だったからだ。素の状態とのギャップがあまりにもひどい。


 女子二人は駆け足で、男子一人はジョギングのペースのままこちらにやってきた。これにて陸上部、全員集合である。


 女子の二人。一人は、臼井幸子である。陸上部主将。まじめで謙虚な優等生だ。


 もう一人は、ポニーテールが特徴的な鶴本茜音つるもとあかねだ。彼女は俺好みの小柄な体格をしていて、臼井に引けを取らないくらいの可愛らしい顔をしている。性格は素直で人当たりもよい。つまり、超俺好みである。


 ところが、まっこと恨めしいことに、彼女は彼氏持ちだ。本人いわく、「高校生の彼なの」とのこと。


 その事実を知った瞬間から、俺は陸上競技で頑張ることを辞めた。


 ――そう。実はそういうことのなのだ。俺の心のかさぶたを剥がすと、彼女への思いの深さが垣間見えるかもしれない。


 ……さて、気を取り直して。


 男子は一人。名を谷垣元春たにがきもとはるという。彼は俺の後輩にあたる。無口でクール。最近の流行り言葉で言うと、いわゆるイケメンというやつだ。なおかつ高身長で学業も優秀。一見、非の打ちどころのない完璧人間のように見える。


 しかし、彼には一つだけ致命的な欠点がある。


 それは――体毛が濃すぎることだ。首から下の体毛がハンパではない。その見た目から、俺は彼のことを「実は四足歩行」というニックネームで呼んでいる(心の中で)。だって、どこからどう見ても知能の高い動物のそれとは思えないからだ。


 よく言えば、ワイルド。悪く言えば、初期人類。


 これ以上は悪口になるので、彼の紹介はここらで終わっておく。


「これでみんな、集まってくれたね」


 高野は満面の笑みで部員たちの顔を見回した。


「それではさっそくミーティングを始める――前に、自己紹介をします。今日から陸上部の顧問を務めます、高野です。陸上競技の経験はないけど、これから精一杯専門的な知識をつけて、みんなと一緒に頑張っていこうと思います。よろしくお願いします」


 言い終えて高野が頭を下げると、女子二人が勢いよく拍手を鳴らした。少し遅れて、俺もそれに続いた。谷垣は微動だにしなかった。


「ありがとう、みんな。それじゃあ、ミーティングを始めますね」


 顔を上げた高野は、ぴくぴくとニヤついている唇を真一文字に結び、白々しくごほんと一つ咳をした。


「いきなりだけど、みんなに課題を出したいと思います。その内容は、難しい人には難しく、簡単な人には簡単なものです。そのテーマは――」


 高野の目つきが一瞬するどくなった。が、すぐに丸みを帯びた状態に戻った。


「陸上競技を行う目的です。目的の内容はそれぞれ異なりますから、内容は自由です。目的を紙に書いて、私に提出してください。紙はどんなものでも構いません」


「はいはーい、高野先生質問でーす!」


 小柄な身体を大きく動かして、鶴本は手を挙げた。


「提出期限はいつですかー?」


「いい質問ですね。提出期限は設けません。目的が見つかり、その目的を私に教えたくなったら提出してくださいね」


「はいはーい、わっかりましたー!」


 美女と美少女が互いに微笑み合う。今すぐにでも願いが叶うならば、一眼レフで撮影して、永久保存したい光景だ。


「……あの、俺も質問していいですか?」


 珍しく谷垣が声を出した。


「どうぞ」と高野が先を促すと、谷垣は宙に目線を泳がせた後、再び口を開いた。


「どうして『目標』じゃなくて『目的』なんですか?」


 これまた珍しい、どこかいらだっているような、反抗的な声色だった。いつもは声に感情を出さない彼なのに、突然どうしたのだろうか。


「よく気がつきましたね、谷垣くん」


 高野は、さっき鶴本に見せた笑顔とは違う、小悪魔的な笑顔を浮かべた。


「まあ特に深い意味はありませんけどね。今後いつか目標を訊ねることもあるでしょうし」


 谷垣は数拍の間を置いてから、「そうですか」と言った。いつもの冷淡な声色だった。


「他に質問はないですか?」


 高野が言いながら、臼井と俺に目を向けてきた。


「ありません」「ありません」


 偶然にも臼井と返事が重なった。


 それがおかしかったのか、高野は「大きな蛾がやってきそう」とくすりと笑った。いやいや。モスラが呼べるほどの、美しいハーモニーではなかったのだけれど。


「わかりました。ミーティングは以上です。では、今日は君たちのふだんの練習風景を見学させてもらいます。各自、準備を終えたら、練習に取り掛かってください」

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