呼び出し
アンビリーバボー。奇跡体験とまでは言わないが、そのまさかだった。
現在、体育館で始業式が行われている。
「今年から赴任することになりました、佐藤ノリオです。体育の教科を担当します。大好物はごはんです。サトウの――」
新任、転任してきた教師たちが各々大スベリの挨拶をする最中、昨日の女は檀上のすみで異彩を放っていた。一人だけ醸し出すオーラが違う。ひたすら黙ってパイプ椅子に座っているだけなのに、それがなぜだか様になってしまうのだ。
たとえば、見知らぬ誰かに「あの人、実は女優なんだぜ」と言われても、それが真実であれ嘘であれ何の疑いもなくうなずいてしまうだろう。俺が映画監督なら、彼女がオーディションにやってきた段階で、すでにできあがった脚本を変更してでも彼女を主役に抜擢するだろう。
俺は断じて年上好きじゃないが、個々人の有する魅力はわかる。まあ、いくら魅力があろうとも、トラウマを刺激されるような存在に近づこうとは思わないが。ましてや万が一にも恋愛感情を抱く可能性なんか皆無だ。
「――今後ともよろしくお願いします」
色黒のイケメン体育教師が頭を下げて、周囲から拍手が鳴った。
がたっ。
女がパイプ椅子から立ち上がった途端、拍手がぴたりと鳴りやんだ。体育館にいる全員が、女に注目しているようだ。
「………」
女はさして衆目を気にする様子もなく、威風堂々たる足取りで壇上の中央へと移動する。上向きにセットされていたマイクを口元に向けて、ごほんと咳払い。
して、曰く――
「……ああああああ、あの! わわ私は、高野香奈です! よろしくお願いしますっ!」
上ずった声で言いながら、深々とおじぎした。
その後、一秒、二秒……数秒の沈黙を経て――
『うぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ!』
『きゃああああああああああああああああっ!』
学生たちが爆発的な喚声をあげた。体育館の窓が、びりびりと揺れている。まるで人気歌手のコンサート会場のようである。この分だと失神者とか出そうだな。俺も失神しそうだ。
女――高野は口をぽかんと開けて、しきりに周囲をきょろきょろと見渡していた。彼女の心境を察するに、
『何が起こったのかわからない』
といったところだろう。断言してもいい。なぜなら俺も同じ心境だから。いやマジで何なのこれ? どうなってんの?
『――こら、静かにしなさい! 静粛に! 静粛に!』
それから約一分後、教頭と各教員の懸命な努力によって、喚声がざわめきに変化した。俺は耳に届いてきたざわめきをいくつかピックアップし、ようやくこの不可思議な状況を何となく理解できた。
ざわめきは以下の通りである。
『すげえ美人じゃね?』
『でも、ドジっぽいところがかわいいな』
『俺ファン第一号!』
『……お姉さまと呼びたいわ』
『ボクは佐藤ノリオ先生のごはんになりた――』
結論。みんな彼女の魅力にやられてしまったみたいだ。一部、不適切な音声が混じっていたが、気にしないでおこう。禁断の恋愛には関知しないのが吉。ロクなことがなさそうだから。
「えっと、あの……」
ざわめきの途絶えぬ中、高野は再びマイクに向かっておずおずと喋りだした。
「こ、今年から新卒で採用されました。担当科目は英語です。新米のひよっこです。つたないところも多々ありますが、ぜひとも温かい目で見守っていただければ幸いです」
『美人英語教師サイコー!』
『英語で罵りながら指示棒でバシバシ叩いてください!』
『舐めるような目つきで見守っちゃうよー!』
すがすがしいくらい下品なヤジが飛びかう。発言した連中は、昨日の中瀬古みたいにぶっとばされればいいのに。
それにしてもあの女、初対面のときと雰囲気が全然違うな。ガサツで男勝りでヤンキーなイメージがあったんだが、それとは正反対の様子だ。もしやネコを被っているのだろうか。……年上の女ならそれもありうる。
「……あはは」
高野はヤジに照れ笑いしながら、弱々しい口調で言った。
「さ、最後になりますが、これだけは言わせてください!」
またもや体育館が静寂に包まれる。
「――三年三組の九条高明くん」
俺の名前が呼ばれた瞬間、今度は全校生徒の視線がこちらに集中した。数瞬のことなのに殺気すらただよっている。やべえ! 何か知らんが大ピンチだ!
「大事なお話があるので、放課後、職員室に来てくだ――」
途中で声がかき消された。それはなぜかって?
『おらぁあああああ、クラスメイトになっていきなりだが死ねよ九条!』
『お前のことは小学生のときから知ってるぞ! ロリコンで変態でブサイクのくせに!』
『デジマハケダエマオイタッゼスロコ!』
突如、暴徒と化したクラスメイトに揉みくちゃにされたからだ。男女関係なく殴る蹴るの暴行を加えてきた。南米の熱狂的なサッカーサポーターでもさすがにここまではしないだろう。フーリガン反対!
「いやいや俺は無実だ、くっ! 何もやっていな、がっ! つーか、何なんだお前ら、ぐふっ! そのチームワークは、うっ!」
クラスメイトの容赦のない猛攻に抵抗しながら、俺は死に物狂いで弁解していた。が、誰も聞く耳を持たない。こいつらは俺を半殺しにすることしか考えていないみたいだ。ちくしょう! 八方ふさがりだ!
『やめんか君たち!』
『男の人誰か止めてー!』
『いいぞヒジで打て!』
教師たちも必死になって暴れる生徒たちを抑えようとしているが、まるで無力。一部、教師にあるまじき肉声も交じっていたが、後日記憶した声質を頼りに人物を特定して、卒業後はお礼参りしてやろう。絶対に許すまじ!
なんて、そうこう考えている間にも、
「ぐっ! ぶっ! うっ! ぅえっ!」
拳、靴底、ヒジのどれかが次々視界に映るようになった。俺の顔面、袋叩きである。リンチと言ってもいいだろう。
はたしてここは教育現場なのか?
そんなことを思った刹那だった。
「……っ!?」
あごにがつんと強い衝撃を食らって――俺の意識は強制的にシャットダウンされた。