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ぽろり  作者: はち味
第一章
23/25

作戦会議

「遊ぶ、という表現は……なんか、響きがいやらしいな」


「顔を真っ赤にしながら妙なことを言うな! てか、そもそも遊ぶって表現を最初の言い出したのは先生だろ!」


 もじもじする高野に向かって、俺は怒声を張り上げた。


 せっかくのリップサービスだったのに、台無しじゃねえか!


 ……まあ、冷静に考えてみれば、その表現はどうかと思うさ。先生と生徒が「遊びたい」と言い合うなんて、どこのエロマンガ諸島の物語だよ。


「それにしても驚いたな」


 高野は腕を組んで、俺の目をじっと見据えながら言った。


「この前、臼井から聞いたのだが、お前は小学生にモテるために陸上競技をやっていたらしいじゃないか」


「………」


 真実だから否定はしない。しかし、勝手に人の性癖をリークしやがった臼井は許さん。呪ってやる。


「実は、臼井と相談していたんだ。お前を陸上部に復帰させるために、近隣の小学校との共同練習を申し出ようかとな。でも、まあ、私と遊ぶのが復帰の目的になったのであれば……」


 高野は数拍の間を経て、うなずいた。


「その必要はなさそうだな」


「いや! ぜひともその計画は進めておいてください! お願いしやす!」


 臼井と高野の二人に最大限の感謝の意を込め、俺は深々と頭を下げた。


 すると、高野は豪快な笑い声を上げて、考えておくよ、と言った。よし、言質ゲットだぜ!


「何はともあれ、お前が部活への参加を表明してくれて、私は嬉しいぞ!」


「……姉さんの説得に成功したら、の話だけどな」


 喜ぶのはまだ早い。最強にして最大の問題は、これから解決しなければならないのだ。


「もし姉さんの説得に失敗したら、俺はもちろんだが、先生も何か手痛い目に遭うかもしれないからな」 


「お前を連れ去った時点で、その覚悟はできていたさ」


 まあ、と高野は言う。


「そうならないように最後の最後まで頑張るよ」


「なら、いいけどな」


 自信満々の表情を浮かべる高野を見て、俺はうなずいた。


「でも、あらかじめ言っておくけど、姉さんに口論で勝つのは、並大抵のことじゃない。俺ひとりじゃ絶対に無理だからな」


「……ああ、それについてなんだがな」


 高野は次の言葉を探すように視線を宙に漂わせた。


「実際のところ、お前は――口論では勝てるんじゃないのか?」


「えっ?」と俺は聞き返した。


「いや、なんてことはない。私には、そもそもお前が姉ちゃんとの口論を避けたがっているように見えるんだ」


「……そ、そりゃ、できれば口論なんてしたくはないさ」


 口ごもりつつも、そう言い返すと、高野は不敵に笑った。


「それが、絶対に勝てる口論でもか?」


「……絶対に、勝てる口論」


 俺は瞬時に頭の中でシミュレートしてみた。


 俺が正論を言い放ち、姉さんが戸惑いの表情を浮かべる――その先は想像できなかった。高野が喋り出したからだ。


「受験勉強がしたい。部活に出たい。だからアシスタントの時間を減らしてほしい。そんな正当な意見に対して、姉ちゃんはどうやってケチをつけるんだ?」


 俺は数秒の間をもって、こう答えた。


「……ケチの、つけようがないな」


「そうだ。仮に姉ちゃんがケチをつけて口論になっても、お前が断固としてその意見を曲げなければ、誰がどう考えたってお前の勝ちは揺るがないだろう」


 それが当たり前だ、ということくらいは俺もわかる。わかっている。だけど――


「だけど、いくら口論で勝っても、結局はケンカで負けてしまう」


 高野は、俺の思考をそっくりそのまま読み上げて、はにかんだ。


「だからお前は口論で勝つのも無理だと、自分で思い込んでしまっているだけなんじゃないのか?」


「……そうかもしれない」


 否、そうかもしれないではなく、俺は認めざるを得なかった。つまるところ、痛い思いをするのが嫌だから、争いを避けてきたのだ。自分の本音を隠して、ずっとそうしてきた。


「ケンカに負けない方法がある」


 高野は力強く、断言した。


「その……負けない方法とは?」俺はつばを飲み込み、先を促す。


「私が、お前を、守るんだ」


 高野は親指で自分の顔と俺の顔を交互に指しながら言った。


「こう見えても、私は空手の有段者だからな」


「ああ見えて姉さんも、合気道の有段者だけどな」


 姉さんは幼いころから父親の経営している道場で、(俺が五歳のときに嫌になって逃げ出した)厳しい訓練を受けている。また、父親の指導方針により、姉さんは柔道や柔術などの技も習得しており、実践に強い合気道家を目指していたこともある。今は現役から退き、漫画家の道を究めようとしているのだが、肉体的な勝負における強さは尋常ではない。


 そんな姉さんに勝てる人物を、父親以外に俺は知らない。


 ところが高野は、俺が姉さんの情報を補足した瞬間、にやりと笑んだ。


「心配は無用だ。ふっふっふ、合気道の有段者なのか……面白いな」


 高野の言葉を聞いたとき、俺はどんな顔をしていたのだろうか。


 そして高野は、俺の表情をどのように解釈したのか、姉ちゃんに危害を加えないことも約束しよう、と条件を付け加えた。


 そこで、俺はある疑問を抱いた。


「でも、守るって言っても、限界があるだろ」


「限界?」


「姉さんの手の届く範囲に俺がいる間、ずっと先生は俺の近くに待機するつもりか?」


 いわゆるボディーガードという連中は、四六時中、要人の近くにいると聞いたことがある。


「いや、そうじゃないさ」


 高野はかぶりを振った。


「そんなことをしたら、お前も迷惑だろうし、私も教師としての仕事を果たせなくなる」


「だよなあ」


 しかし、それならどうやって守るんだ?


 頭をひねっていると、高野はしたり顔で話し始めた。


「お前は『抑止力』という言葉を知ってるか?」


「えっと……行為を思いとどまらせる力のことだったか」


「そうだ。悪く言えば、脅し、恐喝という言葉に似ているが、それらを柔らかくしたような表現だと思えばいい」


「……てことは、姉さんに何かしらの圧力をかけるのか?」


「その通り。つまり私があらかじめ宣言しておくんだ。弟をいじめたら、次は本当に拉致して国外に逃げる、とな」


「いやいやいやいや。そんなのが姉さんに効くとは思えないけどな」


 俺の拉致なんざ、姉さんにとっては脆弱な抑止力だろう。


「つーか、拉致は犯罪だぞ。法律は、先生にとっての抑止力にならないのか?」


「日本の法律の届かない国に逃げればいい」


「すげえ無茶な計画だな!」


 俺が言うのもなんだが、中学生の考えそうな夢物語だ。絶対に成功しねえよ。


「もちろんそれは、今のところは冗談だが。それでも最悪のケースとして、お前が人間サンドバックになりかけたら、私は法律を犯してでもお前を守り抜くことを誓おう」


「……それは、助かるが」


 あんまり無理すんなよ、と言いかけて、俺はやめた。心配の言葉をかけて、またしても気恥ずかしい展開になるのは御免だからな。


「ひとまず、これにて姉ちゃんの説得の戦略は整ったところで。今度は別の話だ」


 高野は声のトーンを落として、自信なさげに言った。


「私がいちばん危惧しているのは、今からお前の家に戻ってからのことなんだ」


 それは俺も懸念していた。


 空腹時の姉さんの不機嫌さたるや、誰も手がつけられないくらいひどいからな。


 結局、買ったお菓子はどこかに落としてしまい、姉さんには届けられなかった。落とした場所が、家の前だったら不幸中の幸いなんだけど、はてさて、どうなっていることやら。


 ……はあ、憂鬱だぜ。


「姉さん、怒ってるだろうなあ」


「……うむ。事前に姉ちゃんの怒りを鎮める手立てを考えておいた方がいいな」


 高野は頭痛を堪えるかのように人差し指をこめかみに当てる。


「誠意をこめて、土下座でお詫びをするというのはどうだろう?」


「それで許してもらえるほど姉さんは甘くないぜ」


 少なくとも俺の場合は、確実に許してもらえない。


「なら菓子折りもオプションとしてつけるか」


「食い物は逆効果だ」


 むしろあてつけになるだろ。火に油を注ぐようなもんだ。


「現金は……初任給もまだもらってないから、あまり持ち合わせていないんだが」


「一応、九条家の名誉のために言っておくが、姉さんは守銭奴じゃねえぞ?」


 高野の謝罪に関する発想力が貧困すぎる。


「やっぱり、俺が人間サンドバックになるしか……」


「いや、待て。それはさせないと言っただろう」


「だったら、どうやって姉ちゃんの怒りを鎮めるんだ?」


「最終手段だが……お前の弟という属性を活かして――」


 高野は何を考えているのか、流し目で俺を見た。


「色仕掛けはどうだ?」


「……はあ?」


 言っている意味がわからない。姉さんに、俺が色仕掛け?


「可愛い弟に迫られたら、たとえお前の姉ちゃんとは――」「ちちち、ちょ、ちょっと待ち! 先生は何を――!」


 慌てて言葉の続きを遮ると、高野は「ん?」と言って、首を傾げた。


「可愛い弟に迫られて、それを無下にできる姉というはこの世に存在するのか?」


 ……あれ、何こいつ? 天然で言ってるのか?


 俺は混乱のあまり口を閉じられずにいた。すると高野は突如、人格が変わったかのような顔つきで、こんな自論を展開し始めた。


「……そう、可愛い弟がいるとして! 涙目、上目使い、甘えるような声で、『ごめんなさい』の一言! 加えて『許して、お姉ちゃん?』なんて言われた日には……もうダメだ! もし私がそういうシチュエーションになったらと考えると! 胸がキュンキュンしてどうにかなってしまうっ! やばい! やばいぞ!」


 その間、俺は口を閉じることを許されなかった。


 こいつはもしかしてアレか? 弟好きという異常性癖の持ち主か? 普通のショタコンよりもタチの悪いやつか?


 しばらく高野は両手で胸を押さえて身悶えていたのだが、これまた突如、正気に戻ったらしく、不自然に何度も咳払いをしていた。


「まあ、今のは冗談だ。話を進めよう」と高野。


 言葉とは裏腹に、頬が赤い。恥じらっているのが顔に出ている。


 俺がツッコミを入れる間もなく、高野は言葉を紡ぐ。


「まずは家に戻り次第、私が姉ちゃんに謝罪する。次に、姉ちゃんが冷静になった頃合いを見計らって、お前が説得を開始する。そんな流れを考えているんだが、どうだ?」


「……それしかねえよな」


 これ以上、話が長くなって、帰宅時間が遅くなるのも困りもんだ。時間の経過と共に姉さんの怒りが増幅し、それが説得に際しての不安材料にもなり得る。


 こうなりゃ腹を決めるか。後は野となれ山となれだ。


 俺はぐっと腹に力を入れて、こう言った。


「じゃあ、遅くならないうちに戻るか」


 高野も、それに応えた。


「いざ、決戦の地へ!」

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