私と遊ぼう
「なるほど、見晴らしのいい場所だな」
「だろ?」
深く吐息をつく高野を見、俺は誇らかに言った。
「ここなら町を一望できるんだ。田舎だから綺麗な夜景にはならないんだけどな」
今、俺たちは高台のてっぺんにある神社にやってきて、本殿の裏に位置するこの町一番の絶景スポットに立っている。
ただし一応補足しておくと、町を囲むようにそびえている高い山に登れば、ここよりも見晴らしのいい絶景スポットを見つけることができる。だが、至極残念ながら現在の時間帯は太陽が沈んでおり、登山は不可能であるからして、明かりがあって気軽に来れて綺麗な景色が見れる場所はここしかない。
さておき。
ここは俺のいちばん好きな場所なのだ。誰が何と言おうと、それは揺るがない。
また、ここなら町を眺めながら、特定の場所を指さしてガイドすることもできるだろうと思ったのだ。
「しかし、俺も男を上げたもんだ。こんな時間に、こんな人気のない場所に、若い女性を誘うなんてな」と俺はしみじみ言った。
「……あれ?」
高野は振り向き、ぱちぱちとまばたきをした。
「九条は年下の女が好きなんだろ? さっき叫んでたじゃないか」
「まあ、そうなんだけどな。気分だよ、気分。その事実が男をでかくする、みたいな気がすんのさ」
「ふうん。そんなもんか」
高野は両目を細めて、視線を下に向ける。
……いや、より正確に言うと、彼女の視線は、完璧に俺の股間をロックオンしている。
「教え子の股間を凝視すんなよ」
「男をでかくするって言ったから、どんなものかと思って」
「無理やりエロい感じに捉えんな!」
あらためて認識したが、やはり高野はいちいち言動がオッサンっぽい。言葉づかいといい、バイク乗りといい、その見た目と中身とのギャップに、こちらは混乱させられてばかりだ。
「……もしかして女の着ぐるみを着たオッサンだったりしてな」
「ぼそりと無礼千万なことを呟くな。私の背中にチャックはないし、オッサンも入ってないぞ」
高野はショックを受けたように肩を落とす。
「まあ……でも、そうだな。数年前、ある有名な占い師に『あなたの前世はオッサンです』と言われたことがあったから、お前がそのような疑問を抱くのは無理もないだろう。そう言えばあの占い師は力づくで廃業させてやったが、今はどうしてるだろうか……」
……ぶつぶつ、ぶつぶつと。
ひさびさに高野のトラウマ供養の念仏が始まったが、気にしないでおこう。やられたのでやり返した俺は、清々しい心持ちで、別の話題に切り替える。
「ほら、先生。あの明かり」
「……ん?」
俺の指さす方向に高野が顔を向ける。
「あの明かりの点いているコンビニは、宮山中学の生徒たちがよく買い食いするんだ」
「ほう。九条がいつも買い食いする商品は?」
「最近は焼肉さん太郎にハマってるかな」
「おっ、太郎シリーズか。私も酒のつまみによく食べているぞ」
酒のつまみって……やっぱり正真正銘オッサンじゃねえか。前世の前世もきっとオッサンだよ。
「それにしてもさあ」
俺はふと思ったことを口にした。
「あの商品って、どうして太郎に敬称を付けないんだろうな?」
至極どうでもいい質問だったのだが、高野は律儀にもしばらく黙り込み、「私の予想だが」と前置きしつつ、こう言った。
「焼肉太郎さんだと、そういう名前の人のお肉が梱包されているのかと誤解されるからじゃないのか?」
「なるほど」
焼肉太郎さんの場合におけるお菓子のパッケージデザインを想像して、嫌な気分になった。こう、子どもの肉が剥がされているイメージ。
……まず絶対売れないわな。
「敬称と言えば」と高野が口を開いた。
「さっきからお前は私に対して敬語を使わなくなったよな」
「人をいきなり拉致するような相手を尊敬できるか?」
「いや、そうじゃなくて」
高野は首を左右に振った。
「私を怖がらなくなったと思ってな」
「………」
ずばり言われて、俺は黙考した。
たしかにその通りだ。拉致された相手に対して、何の恐怖心も抱いちゃいない。まして高野は俺の天敵であるところの年上の女性だ。いつもなら得体の知れぬ恐怖に打ち震えるはずの状況なのに、今はまるで中瀬古と接しているような気分である。
……俺に、何が起こった?
「まあ、今までのお前が私にびびりすぎていたということも言えるけどな」
「……いや、先生に限らず年上の女性はみんな怖いんだよ。一種の恐怖症なんだ」
「本当か?」
高野は驚いているような、喜んでいるような、微妙な表情で俺を見た。
「それはひょっとして、お前の姉ちゃんの影響か?」
「……よくわかったな、と言いたいところだけど、それ中瀬古から聞いたろ?」
女の勘にしてはあまりにも的を射すぎているので、おそらく演技だろう。迫真なのは認めてやるが。
しかし、高野は「いや、誰からも聞いてないぞ」と真顔で答えた。俺の疑いに真っ向から対立するつもりのようだ。
「じゃあ、何だよ。俺の家を訪れたときに察したとでも言うのか?」
「その通りだ。あのとき、一目でおかしいなと思ったよ」
高野の表情は急に大人のそれになった。
「お前は普通の態度で姉ちゃんに接しているつもりかもしれんが、傍から見ればその異変に気づかない方がどうかしている。特に私は、昔から人にびくびくされる機会が多い。だから、人のおびえる態度には敏感なのだ」
「………」
高野の言葉にはいちいち説得力があって、俺は反論もできず、押し黙るしかなかった。
「ところで余談になるが、これもついでだ。お前は中瀬古のことを勘違いしているようだから言っておこう」
重くなった空気を察知したのか、高野はやけに明るい声を出し始めた。
「勘違い?」
「ああ。私も最初は軽薄な印象を持っていたんだが、案外あいつは口が堅いみたいだぞ。お前のことも必要最低限の情報以外は教えてくれなかったしな」
「必要最低限の情報って?」
「えっと、そ、それはだな……」
高野は恥じらうように頬を染めた。オッサンにしては珍しい態度だ。
「……異常な性癖とか……恥ずかしい過去とか」
「不必要で最低な情報じゃねえか!」
何を吹き込んでんだ、あいつ! 許さん!
「いや、冗談だ」
高野はからからと笑った。やっぱりオッサンだった。
「私が半ば無理やり聞き出したのは、お前が寝不足になっている原因と私を避けていた理由だけだ」
「……ふうん」
素っ気のない相槌を打ち、俺はあえて興味のないように見せかけながら、ここ最近の中瀬古との会話を思い返していた。
――高野には伝えるな。
俺が半ば無理やり押し付けるような形で頼み込んだ言葉を、あいつは律儀にも守っていてくれたのか。ちくしょう。いつもはうっとうしいだけの存在だが、ここぞというときにいいことをしやがるもんだから余計にたちが悪い。
でも、そのたちの悪さが、あいつが宮山中学の不良番長たる所以なのである。ケンカは弱いが、人の心をつかむのは上手い。
「中瀬古にも、九条にも、気をつかわせて……悪いことをしたな」
高野はそう言って、頭を下げた。
「お前が私を避けていた理由は、すべて私がお前の姉ちゃんに嘘をついたことに起因する」
「いや、それは違うだろ」と俺は否定した。
「先生が嘘をついた……というか、あの夜のできごとを脚色したのは、俺のメンツを保つためだった。違うのか?」
「……違わないが、それが結果的に裏目に出てしまった」
高野はそう言って、唇をとがらせた。
「だから私の責任だ」
「いや、先生は俺の思い通りに喋ってくれたんだ。だから俺は先生を責めるつもりはねえよ。運が悪かっただけだ」
本人に言ってやる気はないが、もちろん中瀬古の責任でもない。そう。運が悪かっただけなのだ。
「そう言ってくれると……とても救われる。ありがとな」
高野は泣き笑いのような笑顔を浮かべた。不覚にも俺はどきっとした。
「九条が寝不足になった理由ってさ」
高野は町に視線を向けながら、呟くように言った。
「姉ちゃんと一緒に徹夜で漫画を描いてるからなんだろ?」
「それは少し語弊があるな。漫画を描いてるのは姉さんで、それのアシスタントが俺の役割だ」
ほう、と高野は相槌を打った。
「アシスタントは楽しいか?」
「別に。無理やりさせられてるからな」
「……無理やり、なのか?」
「ああ。でも、それを断って、姉さんの機嫌を損ねるよりはマシだ」
姉の要求に反抗しても、結局は力でねじ伏せられるだけだ。だったら素直に従うのが賢明な選択というもんだ。
「………」
俺が発言したっきり、高野は押し黙ってしまった。
何を考えているのか予想もつかないが、真剣な顔をしているので、真剣なことを考えているに違いない。
俺が次の言葉を探していると、高野は突然こんなことを言い出した。
「私たちとも遊ぶ気はないか?」
「は? 遊ぶ?」
思わず俺は、間の抜けた感じで聞き返した。言っている意味がよくわからなかったからだ。
高野は、「あー」と言葉を検索するような仕草をしてから、ゆっくりと口を動かした。
「私の目から見れば、お前は姉ちゃんと遊んでばかりいるように見える」
「……ああ」
なるほど、そういうことか。真剣な顔で、ガキっぽいことを言うから、混乱してしまった。
「……姉さんとは、たしかに遊んでやってる感じだな」
あるいは、接待みたいな感じか。社会人の経験がないからわからんけど。
「姉ちゃんとばかり遊ぶのはやめて、たまには私たちとも遊ばないか?」
「………」
高野の質問に対して、俺はすぐに答えるのをためらった。何と答えたらいいか、わからなかった。
「部活動で、私たちと遊ぼう」
だが、高野は俺の回答を待つことなく、矢継ぎ早に言葉を紡いでいく。
「ぜひ、九条高明の答えを聞かせてほしい」
高野は俺の名を強調した。
「九条京子の意見は抜きにしてだ」
姉の名も強調した。
「高野香奈は、お前と遊びたい」
自分の名も強調した。
「九条高明は、私と遊んでくれるか?」
そして最後にもう一度、俺の名を強調した。