優男
思い返してみれば。
最近、同じような流れで小学生にお菓子を買ってあげることが何度かあった。
しかし。
「だまされちゃいない。だまされちゃいない。だまされちゃいない……」
俺は回復の呪文を唱えながら、少女と一緒に店を出た。
少女はとことこ歩きながら、自分の顔くらいの高さのあるアイスを無邪気になめ回している。
「……まあ、だまされててもいいか」
俺は本心からそう思ってつぶやいた。そうなのだ。天使の喜ぶ姿を見られただけでも僥倖と考えよう。三百円くらい安いもんだ。
すると、少女は突然ぴたりと足を止めた。
「お兄さん、今日はありがとうございました!」
快活に感謝の言葉を告げ、ぺこりと一礼した。そのはずみでコーンに乗っかったアイスがぐらりと傾き、一瞬落ちそうになったが、すぐに元の角度に戻った。
……ふう、ひやひやさせる。せっかく俺の身銭を切って買ったものなのに、落とされてしまったらショックでヘコむ。
「いやいや、どうしたしまして。それじゃあ、俺はもう帰るよ」
「え……もう行っちゃうんですか?」
なぜか名残惜しそうな表情を浮かべる少女。そんな顔を見せられると、ついついこの場にとどまってしまいそうになる。だが、あいにく今日は外せない用があるのだ。もし無断ですっぽかしたら、どんな目に遭うことか。想像したくもない。
「うん、ごめんね。どうしても外せない用事があるんだ」
「そうですか……」
「またいつか会えるといいね。ばいば――」「おい九条!?」
俺が別れの挨拶を告げている途中だった。突如、鼓膜をつんざくような大きな声が背後から聞こえた。
「きゃっ!」
目を見開いて驚く少女。その刹那、彼女の手がびくりと動き、アイスが大きく揺れて――そのまま地面に引き寄せられるかのように落下した。
べちゃ。
水っぽい音を立てて、コンクリートの上に貼りつくアイス。それはみるみる溶けて、広がっていく。
少女の顔を見ると、目と口を大きく開いたまま固まっていた。やがてその顔も、アイスと同じくみるみる歪み――
「……ぐすっ、ぐすっ」
ついには、目から大粒の涙をこぼして泣き出してしまった。
「……あ、あれ、九条? ひょっとして、おれ、マズイことしたかな? いや、まさかこんなことになるとは、全然知らなかったし、何の悪意もなかったんだ。それだけは信じてくれな、な? な? 謝るから、金なら出すから、ごめん九条。マジごめん。許してくれ!」
動揺に満ちた声が、俺の後ろからマシンガンのように放たれている。だが、何ひとつ鼓膜から心に伝わってこねえんだよなあ。
九条高明――人生で最高潮の怒りを感じておりますゆえに。
今にもはじけそうな感情を抑えながら振り向くと、目の前の男は「ひいっ!」と情けない声を漏らした。
「く、九条さんのそんな顔を見たのは初めてなんだけどいささか怒りすぎではないのか般若よりもキレてらっしゃる――」「黙れよ、中瀬古」「ひっ……!」
俺は、滝のような汗をかいている茶髪の男――中瀬古の弁舌を止めた。そして言葉を続けた。
「ここでお前をシバきあげるつもりはねえ。先に"例"の駐車場に行って、そこで待ってろ。いいな?」
「……はい」
中瀬古は声帯を小刻みに震わせながら答えて、そそくさとこの場から消えた。
「ぐすっ、お兄さん……」
声と同時に、くいくいと服の裾を引っ張られる感触がして、俺は正気に戻った。
「……せっかく買ってもらったアイス、落としてごめんなさい」
鼻声で謝る少女。鼻を真っ赤にしておえつを漏らす、そんないじらしい姿を見ると、ますます中瀬古に対する怒りが胸にこみ上げる。だが、ここは一つ怒りの感情を抑えて、俺は無理やり笑顔を取り繕った。
「いいよいいよ。落としたのは君のせいじゃないからさ」
俺はポケットから財布を取り出して、その中から一番大きな硬貨をつまむ。
「ほら、これでまた買ってきなよ」
「でも……」
「大丈夫だよ」
言いながら、少女の手に五百円玉を握らせる。
「お兄さん、さっきの男のすべてを奪ってくるからね」
「……はい?」