あの男、現る
「よぉ、九条! ヘイヘイ元気かい? ヒュー!」
妙な決めポーズと共に、あの男――中瀬古が現れた。ついでに両指を鳴らしながら。パッチン、パッチン……と、人の気に障る音を奏でて。
「オイオイ、そんなしかめっ面、らしくねえぞ! ジョウクちゃんよお! ヒュー!」
「お前……ひとりアヘン戦争でも始めたのか?」
テンションが異常すぎる。こんなハイな中瀬古を見たのは、何年ぶりだろうか。それにしたって、いつにもまして気持ちが悪い。
「おいおい冗談きついぜ! お前は『パラパラ』ってなダンスを知らんのか? ヒュー!」
「……知ってるよ。名探偵少年が、アニメのエンディングで踊ってるやつだろ?」
言いながら思い出した。なるほど、さっきの決めポーズは名探偵少年のあれか。
「にしても、なんでそんなにテンションが高いんだ?」
「テテ、テテテテ、テンションッ!? いつも通りだろ? 通常運行、出発進行ってなもんよ? ンン?」
……うぜえ。
「中瀬古。あのさ、いきなりなんだが、一つだけお願いしていいか?」
「おうよ! ドーンときやがれメーン! ヒュー!」
「頼むから理科室に置いてある薬品、全部イッキしてくれないか? そのテンションならイケるだろ?」
「そいつは無理なご相談だね、ベイベー! そんなことしちゃ、マイハニーに怒られちゃうぜ! フゥー!」
「……あん? マイハニーだと?」
俺は中瀬古の言葉に違和感を覚えた(まあ、すべての言葉が違和感だらけなわけだが)。と同時に、「マイハニー」という文言から、ある推理を導く。
この異常なまでのテンションの高さ。
イカれた言動。
コナン=新一。
……もしや! ……まさか!
「お前……彼女ができたとか……そういうことでもあったのか?」
「よくぞ聞いてくれた。さすがは九条。俺の幼馴染だ」
言いつつ、中瀬古は馴れ馴れしく俺の肩に手をまわして、体を寄せてくる。口調が戻ったのはいいが、今度は別の意味で気持ちが悪い。
「ときに――九条よ」
中瀬古は耳元でささやく。
「高野先生がウチのクラスの副担任だということは、お前も知ってるよな?」
「ああ。それがどうかしたのか?」
「なら、あの人が、前に俺とお前がケンカしてたときに現れた女性だということも、知ってるよな?」
「……ああ。だから何なんだ? さっさと本題を言え」
まどろっこしい。
「俺はなあ、九条……」
中瀬古はズボンのポケットに両手を入れて、天を見上げた。
「恋をしちまったんだ」
「誰に?」
「高野先生に恋をしたんだ」
ためらうことなく中瀬古は言った。不覚にも、男らしいやつだなと俺は思った。
「禁断の恋だが、あの人にホレちまったのさ」
「……お前の心臓、早送りさせる機能とかないのか?」
「ねーよ。強制的に早死にさせようとすんな」
中瀬古の心臓を、自由自在に操れるリモコンがあればいいのに。
極めて気持ちが悪いから、できるだけ早く(苦しむところはスローにして)死んでほしい。
「しかし……どうでもいいけど、どこがいいんだ? あんな年増で怖い女の」
「強くて美人でカッコイイ」
まあ、それはわからんこともないが。強さと美人を兼ね備えているのは、同意だ。
「けど……お前、出会いがしらにいきなり暴行されてたじゃねーか。あんなムチャクチャなことされて、それでもホレたってのか?」
「はああああああああああああっ!?」
俺の顔を下から覗き込むようにして、中瀬古は吠えた。
「美人の足蹴りなんか、一生に一度あるかないかのレアイベントだぞ? しかも、女教師だぞ? Sッ気満載美人女教師のヒール回し蹴り(黒ストッキング)だぞ? これ以上ないレベルのオプション付きだぞ? 実はあの夜、俺は自らに訪れた幸運を噛みしめて咽び泣いたんだぞ?」
「お前の心臓、停止する機能とかないの?」
「あるけど、死ぬわ」
「ほんの三日、一時停止するだけだから」
「やめろ。てか、なんでそんなに俺を早死にさせようとする?」
「そんなの言うまでもねえよ」
俺の気分を害す存在だからだ。
「いや、まあ……九条の言うことも一理ある。あの夜は、たしかに俺も怖いと思った。正直、チビったしな。栄養ドリンク一本分くらいは漏らした」
「お前もか」
ちなみに栄養ドリンクの容量は100mlくらい。
「でもな。昨日、二人っきりで会話をしてみて、気づいたんだ。この人は、俺にとっての……運命の人だと」
「お前、言葉選びが絶妙に気持ち悪いな。運命とか、恋とか、ハニーとか」
「すべてのプロ作詞家に謝れ!」
「……いや、お前、なんで作詞家の端くれみたいな顔してんの?」
プロの彼らとお前を同格にするのは失礼だし、お前がすべての作詞家に謝れ。昨日、作詞を始めたやつにも謝れ。
「九条、許せ。俺はこういう経験は初めてだからな。今はまだ自分の気持ちを言い表すための上手い言葉が思いつかねえ。でも、これからの経験を通じて、たくさん覚えていくんだろうな……」
「黙れ五流ポエマー。デビューすることなく、引退しろ」
「ああ。高野先生と結婚したらな」
……まったく。
本当に吐き気を催しそうだ。どうも、『中瀬古と恋バナ』という組み合わせが最悪すぎるみたいだ。混ぜるな危険。未知なる化学反応が起きそうだ。
「これ以上、気持ち悪いこと言うと、またアキレス伸ばすぞ?」
「構わねえ。俺は真剣なんだ。いつかあの人に結婚を前提としたお付き合いを申し込む。OKをもらうまで俺は諦めん」
中瀬古の声色は、まさしく言葉の通りだった。
「そして九条。突然だが、お前に頼みがある。マジの頼みだ」
「……なんだよ」
訊ねると、中瀬古の目つきが鋭くなった。
「俺が高野先生を付き合うために、色々と協力してほしい」
この男の目つきは――本気だ。
「本気で、アヘンを常習している男の目だな」
「だからしてねーよ! てか、アヘンで例えるのやめろ! 俺の悪評が広まるだろ!」
何を今さら。大々的に不良やってて、悪評を気にするとかどんな小物だよ。
まあ、実際に小物だけど。アクセサリーとかじゃなく、女子に嫌われる方の小物だけど。
「なあ九条、頼むよ。なんで協力してくれないんだ?」
「だってお前、不平等条約結ぼうとするじゃねーか」
「いちいちアヘン戦争に絡めんな!」
いやだって、お前の頭がおかしいんだもの。一連の言動を観察してみるに、どう考えても正気じゃないだろ。まあ、恋煩いの最中に正気なれないのは、ある意味では正常なんだけどな。
しかし、こいつの場合は極端すぎる。だから、気持ちが悪いのだ。
「協力っつっても、そんな大したことじゃねえ。だから、まずは用件だけでも聞いてほしいんだ。なんなら見返りも用意する」
中瀬古は、両手を合わせて拝むように言った。
……見返りなあ。期待できそうにないけど、腐れ縁のよしみだ――
「わかった。聞いてやるよ」
「じゃあ、言わせてもらう」
中瀬古は俺の両肩をつかんで、こう言った。
「お前、高野先生を避けてるだろ? その理由を教えてくれ」