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ぽろり  作者: はち味
第一章
12/25

隠し事はすぐばれる

 俺は姉の部屋で土下座をしていた。冷ややかなフローリングに額を付けて、謝罪の意を体で表現しているのだ。


 ごめんなさいの究極形態――それが日本に古来より伝わる『DOGEZA』というスタイルだ。


 どうだ、みっともないだろう。360°のどの角度から見ても、みっともないだろう。


 しかし、これでいいのだ。みっともなくとも、姉の怒りの鉄拳を食らうよりは遥かにマシだ。


「――下校の途中、中瀬古くんに会ったわ。彼、私に会うなりなんて言ったと思う?」


 姉の声が頭上から降り注いでいた。その声は怒りに満ちていて、ときおり震える。


 ……とてもじゃないが、面を上げられない。


 もし姉のツラを拝んだら、俺は恐怖のあまり、「下は洪水、土砂災害、これなーんだ?」状態になってしまう。


 ちなみに、「下は洪水、土砂災害、これなーんだ?」の正解は失禁である。スカトロ流星群だと大正解。おわかりかな。


 それはさておき。


 せめてもの願いとして、これ以上みっともない姿は晒したくないのだ。土下座でお漏らし――これは何式の便器なら対応できるのか。未来の科学者たちに期待したい。


「必死な顔で駆け寄ってきて、『弟さんは生きてますか?』――だって。一瞬、耳を疑ったわ」


「……すみません」


 俺は相槌の代わりに謝罪の言葉を告げる。しかし、姉の小言はとどまるところを知らない。


「もっと話を聞けば何よ。彼は、さっきの女に思いきり蹴飛ばされたらしいじゃない。どうしてあんたは、そんな危険人物を我が家に招き入れてんのよ」


「……すみません」


 このとき、訊かれもしないのにわざわざ言い訳を重ねる――という行為は火に油を注ぐようなものだ。ただひたすら機械のように「すみません」をリピートすることに徹するのが、経験上もっとも早く相手の怒りを鎮める怒られ方だ。マジだよ。


「あの女の拳、見た? あれは、人を殴る訓練をしている武闘家の手よ。まず間違いなく有段者かそれと同様の実力者ね。手合せしなくてもわかるわ、あの女は私よりもかなり強い」


「……すみません」


 合気道の有段者(五歳のころからやっている)であるところの姉が言うのだから、高野は相当強いのだろう。


 それにしても、高野は姉よりも強いのか。そうか、そうなのか。


 ……なんて身分が低いんだ、俺は。情けなくて涙が出そうになるぜ。ううっ。


「ところで、高明?」


「はい!?」


 俺は思わず素っ頓狂な返事をしてしまった。それもそのはず、姉がいきなり俺を名前で呼んだからだ。


 高明――だなんて、ここ数年、姉の口から発せられたことは一度もなかったんじゃないかな。


 今日はいったい何が起こってるんだ! いや、いったい何が起こるんだ!?


「さっさと顔を上げなさい」


「……すみません」


 俺は仰せのままに従った。


 目の前には、姉がいる。依然として、彼女の全身からは邪悪な闘気が湯気のように湧き出ている。ように見える。


 そんな姉は上品に微笑んで、


「何か隠し事をしているでしょう? そろそろ本当のことを言いなさい」


 と本題を切り出した。


「それと、一つだけ忠告しておくわ。私の質問には正直に答えなさい。さもないと、どうなるか……わかるよね?」


「……はい」


 答える数瞬前に、俺は腹を括った。もはやどこにも逃げ道はない。こうなったら真正面から立ち向かうまでだ。


 ……怖いけど。


「よろしい。じゃあまず最初の質問。昨晩、帰りが遅れた事情を説明しなかったのは、なぜ?」


 姉は真っ直ぐに俺を見ながら言った。


「あの女の言ったことが本当なら、『いやー、酔っぱらいの女に絡まれて遅くなったんだよ』とか説明すればよかったじゃない。なのに、高明はそうしなかった。これには何か裏があると思うんだけど、どうなのかしら?」


「……裏と言うほど大げさなものではないけど、あえて隠していた部分は、ある」


「何それ?」


「あのさ……言うのが、恥ずかしかったんだよ」


 俺は顔から火が出るような羞恥心を抑えながら言った。


「高野先生が怖くて……泣いてしまったんだ」


「はあ?」


 姉は目と口を大きく開けた。俺の言っていることが理解できていないご様子だ。くそう、これ以上喋るのは恥ずかしいぜ!


「……えっと、その、中瀬古が蹴り飛ばされたのは知ってるだろ?」


「うん。本人から聞いたからね」


「あいつがぶっ飛ばされて、びびった俺は、動けなくなって――」


「泣いたの? もしかして、それが――帰りが遅くなった原因?」


 俺は無言でうなずいた。


「それで――女に泣かされたのが恥ずかしくて、私たちに事情を説明しなかったの?」


 俺はもう一度、うなずいた。


 すると、姉は身体を仰け反らせながら、


「ぶはははははははははははははっ!」


 大きな笑い声をぶち上げた。


「何それ小学生かよ! くだらないわ! あはははははははっ!」


「…………」


 ちくしょう。だから言いたくなかったんだ。


 もし昨夜、正直に事情を説明していても、


『女に泣かされるなんて、あんた本当に中学生?! これだから毛も生えていないホワイトチンチン、世にも珍しいツチノコ野郎は』


 みたいなことを言われていたはずだ。さらに、両親からの蔑みの視線も加わっていただろう。


 どっちにしろひどい目に遭うんだ、俺は。いつもいつも。


「わかったわ。理由がバカすぎて腑に落ちないけど。ぷくくっ」


 姉は目の端を拭っている。


「まあ面白かったから、そういうことにしておいてあげるわ」


「……うん」


 昨夜の件については、これで決着がついたようだ。


 姉の逆鱗に触れなかったのは、奇跡としか言いようがないけど……ともかく助かった。これにて最大の地雷原は通り過ぎたはず。


 まだ最後までわからないけど。


「じゃあ、次の質問よ」


 姉はごほんと咳をした。


「さっきあの女が、部活がどうとか言っていたけど、それはどういうことかしら? 高明には、部活とは別に『やるべきこと』があるわよね?」


 やるべきこと――というのはおそらく。


「……漫画の手伝いのこと?」


「そうよ、わかってるじゃない。けれどあの女が部活への参加を催促したとき、高明はどんな返答をした?」


「えっと、あれは、その場しのぎというか……」


 たしかに、そうだ。何の考えもなく、「うん」と答えてしまった。


 でも――


「本意じゃなかったんだ。話の流れで、なんとなく答えただけだよ」


「本当かしら?」


 姉の目つきが鋭くなる。


「本当は……漫画の手伝いがしたくないから、部活に参加するという名目を作るために、あの女を呼んだんじゃないの?」


「いや、違うよ!」


 俺は即座に否定した。姉の推測は間違っている。別に自分から進んで漫画の手伝いをしたいわけじゃないが、姉には早く夢をつかんでほしいんだ。


 これは神に誓って、本気でそう思っている。


「……そ、そう。そんな大きな声を出さなくてもいいじゃないのよ」


 珍しく姉がうろたえていた。俺も、自分が怒っていることに内心驚いていた。


 それにしても。


 なるほど、姉が引っかかっていた部分、俺に本当のことを訊き出したかった部分は、それか。


 でも、それだけは言わないでほしかったな。すごく悲しかった。俺が今までやってきたことを全否定されたような気がしたから。


「わかったわ。でも一応これも確認のために聞いておくけど、別に部活をやりたくてあの女の呼んだわけじゃないのよね?」


「うん。部活は、今となってはどうでもいい」


 半年前ならともかく、今は心底どうでもいいのだ。目的は見失った。陸上競技を続ける理由は、どこにもない。


「了解。それじゃあ最後の質問ね」


 姉の口調がよりシリアスになった。


「さっさと終わらせるために単刀直入に訊くわ。高明、あの女に惚れたんじ――」「ありえない」


 姉が言い終えるよりも早く答えてやった。このときの反射神経は世界トップクラスの域に達していたと思う。


 なぜなら俺は生粋の年下好きだからだ。未来永劫、年上の女性に惚れることなんかない。


 これは決定事項だ。誰が何と言おうと、俺はこの意思を捻じ曲げるつもりはない。断じてだ。


「………………そう。わかった」


 姉は目を閉じて何かを考えるようにして、うなずいた。そして、続けざま、


「全部の質問に答えてくれてありがとね」


 そう言って、輝かんばかりの笑みを浮かべた。肉親でありながら、その笑顔は魅力的に思えた。


「あっ、そうだ」


 姉は突然、ぱんと手を叩いた。


「正直に答えてくれたごほうびとして、門限を戻すよう、お父さんとお母さんを説得してあげるわ」


「……え? 本当に?」


「本当よ」


 マジか! 姉の言うことなら全部聞くからな、うちの両親は。


 いやー、しかしまあよかったよ、門限が戻って。それに、姉からの疑いも晴れたし。


 最後にこんな結末を迎えるとはね。これはいやはや結果オーライというやつだ。


 オールオッケー。よきかな、よきかな。これでようやく一件落着だな。わっはっはっは!


 なんて、思っていたころが俺にもあったのさ。


 実は、


「高明。それともう一つ、ごほうびがあるのよ――」


 ここからが真の恐怖の始まりであることを、

 

「金輪際、あの女と関わることを止めさせてあげるわ。いいわね?」


 このときの俺は、知らなかったのである。

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