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ぽろり  作者: はち味
第一章
10/25

発音がイイネ!

 部活の途中で、高野が校長に呼び出しをくらった。


「もし練習が終わるまでに私が間に合わなかったら先に帰宅してくれ。要件が済んだらすぐに向かう」


 彼女はそう言い残して、その場を後にした。そして結局、彼女は練習が終わっても校庭には現れなかった。


 そんな経緯を経て、俺は臼井と一緒に下校している。練習着(ジャージ姿)のままのこいつと並んで帰るのは久々だ。


「ねえ、高明」と臼井が切り出した。


「アタシ、アンタが年上の女の人とまともに会話してるの初めて見たかも」


「あー、そうだな」


 ミーティング後。練習が始まったものの、俺は練習着を持っていなかったので、高野と喋りながら見学をしていたのだ。


 ちなみにこれは余談になるが、高野は陸上競技の知識はほぼゼロに等しいようで、しきりにあれこれと訊いてきた。


 こんな調子で顧問が務まるのかと俺は一時心配に思ったが、指導者としての熱意が十二分に伝わるほどの質問攻めに遭い、すべての質問に答え終わる頃には、それが杞憂だったと思い直した。


「ただ、まだ目を見て話すのは無理だけどな。……怖いし」


「怖い?」


 そうかなー、と臼井は首を傾げる。


「ていうか、なんでアンタは年上の女の人が苦手なんだっけ?」


「わかんね。気がついたらそうなってた感じだ」


 これは真っ赤な嘘だ。間違いなく母と姉の影響であることは断言できる。だが、身内のことを悪く言うのは俺のポリシーに反するから、嘘でごまかしておく。


 そんな俺の心情を知ってか知らずか、臼井は納得できないような語調で、「ふーん」と言うのだった。


 なので――


「まあ、あれだよ。感情なんて大体そんなもんだろ?」


 俺はさらに言い訳を重ねて、彼女の気を別の方向に逸らそうとたくらんだ。


「たとえば恋だって同じさ。気がついたらそうなってるんだ」


 まあこんな風に、かっこよく決めて見た次第であるが、いかがかな? マドモアゼル?


「アンタが言うと見事に気持ち悪いね」


 うむ。臼井の気持ちを『疑い』から『嫌悪』に変えることには成功したが、その副作用として、言葉の猛毒を浴びせられた。


「あまりに気持ち悪くて吐きそうになるよ。胃の中のものだけじゃなく腸の中のものまで全部」


「お前の発言の方が気持ち悪いわ」


 腸の中のものって、無修正で言うと、ウンコじゃねえか。もうすぐゴールだってのに、わざわざ引き返してくんなよウンコ。


「そりゃアンタがこんなにも気持ち悪いんだから、さすがのウンコも動揺してコースを間違えちゃうよ」


「いやいや、胃から上部はウンコ進入禁止になってるだろ! 食道より上に出たら大惨事になるぞ!」


「進入禁止?」


 不意に臼井は冷笑を浮かべる。


「アンタは考えが甘いね。ウンコがいつも道路交通法を遵守するとは限らないでしょ? ましてやアンタがこんなにも気持ち悪いんだから――」


「オーケー、わかった。ウンコさんの気分を害して悪かった。謝る。陳謝するよ。すまなかった」


「わかればいいんだよ。それと、これも誓いなさいな。これから先、ウンコを保有する生き物の前で愛だの恋だのと言っちゃだめ」


「了解した。金輪際、恋愛に関する発言はしない。ウンコに誓って」


「ついでに紙にも誓っておけば? 今回の一件の尻拭いをしてくれるかもしれないし」


「なるほど、それは名案だ」


 このやりとりに不自然な笑い声が付いていたら海外ドラマだ。俺と臼井は、小学生のときから、こんな『ごっこ』遊びをすることがある。


 ごっこを極めると、ドラマになるんだろうけどな。しかし、アドリブでは、そこまでのハイクオリティーな演技はできない。まあせいぜい、俺たちの間だけで楽しんでやることで手一杯だ。


「まあいいや」と、臼井は仕切りなおすように言う。


「それよりさ、あの課題ってどう思う?」


「ああ、陸上競技を行う目的ってやつな。俺にとっては簡単な課題だ」


 臼井は、「へえ」と意外そうにする。


「ちなみに、アンタの目的は何なの?」


「そら――女にモテるためだ」


 足が速い野郎はモテる。俺は、どこからか耳にしたその神話を頑なに信じて、陸上部に入部した。


 練習を重ねるにつれて、足はどんどん速くなった。中学二年のときの運動会では、同学年で一番足が速かった(短距離も長距離も)。本種目の400mでは、市内の大会でも優勝するようになった。


「実際のところは、どうなの?」


「うるせえ! 知ってるくせに!」


 結論から言うと、まったくモテなかった。「先輩、このタオル使ってください!」みたいなことは、一度たりともなかった。神話はしょせん、ただのデマに過ぎなかった。


「じゃあアンタ、今は完全に目的を見失ってるじゃん」


「……そうだよ。だから俺は練習に出ないんだよ」


 また新たな目的が見つかれば、練習に出るかもしれない。ただ、あと数ヶ月もすれば、引退の時期がやってくる。それまで、怠惰な日常を送るのも悪くない。楽だし。どうせ頑張ってもモテないし。


「……なるほどね。この課題の狙いはそういうところにあるのかも」


 臼井がぶつくさと小声でひとりごとを言っている。


「つーか、そういうお前はどうなんだよ?」


「え、アタシッ!?」


 なぜかびっくりしたように目を丸くする臼井。会話の流れとしては極々自然だったと思うんだけど。


「……アタシは、そうね。アンタとは違って、高尚な目的があるよ」


「つまり?」


「こ、高尚な……目的が……あるはずよ」


「お前も見つかってねえじゃねーか」


 陸上部主将のクセによお。大丈夫か、陸上部。


「主将だから高い目的があって当然、なような気がすんの! つーか、モテるためにやってるとか単純すぎるでしょ! 足が速くてモテるのは小学生までよ」


「うっせえ! こちとらそんなの百も承知だ……よ?」


 ってあれ?


 いや待てよ。俺はこの一瞬の間で――すごいことを思いついたのかもしれない。


 というか、今までどうして気がつかなかったんだ。そうだ。そうじゃないか。ふははは。


「臼井、ナイスプレイだ。俺は決めたぜ!」


「何よいきなり」


 臼井は怪訝そうな目で俺を見る。


「さっそく今から――ぶらっと小学校の校庭を爆走してやるぜ!」


「小学生の女の子にモテるために?」


「ったりめえだ! 濡れたタオルが何枚もらえるか、楽しみだぜ!」


 今こそ積年の夢を叶えるときがきた。日本の夜明けぜよ!


「それ、実際には、警察官から『これで頭を冷やしてください』と手錠を渡されそうだよね」


「そんなちゃっちい拘束具で俺を止められるもんか。これで……これでついに、俺の時代の到来だぜ」


 ちょうどこの近所に小学校があるしな。なんとまあ絶好のチャンス。思い立ったが吉日というものだ。


 放課後の校庭を無邪気に遊びまわる天使たちに――そうだ、会いに行こう。


 俺が羽よりも軽い足取りで「ランランラン」とスキップをした。と同時に、どこからともなく、ノスタルジックなメロディーが流れてきた。午後五時を知らせる、あの音楽。


「あれ」と臼井が何かに気がついたようなしぐさを見せた。


「そう言えば、アンタさあ」


「ん?」


「門限はどうなったの?」


「…………あ」


 臼井に指摘されるまで、完全に忘れていた。門限は午後五時だ。ただいま絶賛放送中の音楽は――午後五時の合図。今から急いで家に戻っても、門限には間に合わない。つまり、門限を破ってしまった、ということだ。


「顔が真っ青になってるけど、大丈夫なの?」


 臼井が心配そうに俺の顔をのぞき込む。


 ……まあ、しかし、きっと大丈夫だ。高野が何とか弁明してくれるはずだから。うん。大丈夫。最悪、命を取られることはないはず。


「アンタの家、相当スパルタで厳しいんだよね? 近所でも噂になってるけど」


「いやいや、そうでもない。ちょっと血が出たり、意識を失ったりするくらいのもんだ」


「そんなことされてんの!? そりゃアンタの人格も破綻するってもんよね」


「おいやめろ。ストレスのあまり若くして頭髪を失った男を見るような目はやめろ」


 言っておくが、俺の人格はノーマルだ。一般の中学生のそれと大差はない。


 憐憫のまなざしを向ける臼井に対して、いかに九条家が普通であるかを説明しようとした、その瞬間だった。


「あっ!」


 聞き覚えのある声が、耳に飛び込んできた。


 振り返ると、駄菓子屋で出会った少女がこちらを指さしていた。


「アイスのお兄さんだ!」


 少女はランドセルを鳴らして駆け寄ってくるや、ぺこりと頭をさげた。


「こんばんは!」


「やあ、今日も会ったね」


「はい! 昨日はありがとうございました! えっと、これ……」


 言いながらポケットからうさぎの形をした小銭入れを取り出し、その中から四枚の百円玉をつまんでこちらに差し出した。


「あまったおつりです。それと……アイス、おいしかったです」


 一瞬くらっときた。少女の上目使いが反則的にかわいいので、危うく俺は理性を失いかけたが、何とか平静を装いつつおつりを受け取った。


「うん、それならよかった。あと、おつり返してくれてありがとね」


「はい!」


 とびきり、もといロリきり(かわいさの最上級を表す言葉)の笑顔で返事をする少女。頭の芯がしびれるほどキュートだ。


「ロリ――高明、この子は?」


「悪意のある呼び名が聞こえたが、まあいい。この子とは、駄菓子屋でな――」


 俺は一連のできごとを臼井に伝えた。


「そんなことがあったんだ。アンタも中瀬古もなかなかの不幸気質よね」


 俺は口にこそ出さなかったが、お前もな、と心の中でつっこんだ。


「ねえ――君」


 臼井は少女の前に移動して、すっとしゃがんだ。


「私は臼井幸子。君のお名前は何て言うの?」


「あっ、はい。わたしはマキと言います」


「マキちゃんかー。かわいい名前だね」


「ありがとうございます。お姉さんもかわいいお名前です」


 少女――マキちゃんは本当にしっかりした子だ。この齢でお世辞が言えるとはな。


「あの……」


 マキちゃんは臼井に頭をなでられながら、こちらを見た。


「お兄さんのお名前は何と言うんですか?」


「俺は――」「トイレットペーパーの芯よね」


 まじめに答えようとしたところで、臼井に間違った名前を上書きされてしまった。


「おいこらどういう意味だ」


「広辞苑によると、長いものに巻かれるしか能のない、中身がすかすかな人間のことを指すらしいよ」


「俺が長いものに巻かれたことなんか一度もねえぞ!」


「じゃあ、あれ。長い長い物語の最後になって、まさしくトイレットペーパーの芯のように無残に使い捨てられる主人公のことかな」


「んな物語あるか!」


 臼井の発言がイレギュラーにすぎる。石だらけの河原でノックを受けている気分だ。


 一方その頃、マキちゃんは「え、え?」と目を白黒させていた。


「トイレットペーパー・ノシンさん? お兄さんは外人さんなんですか?」


「どっちかと言うと、人外だよね」「ちょっとお前黙れ」


 話をややこしくするな。ちょっと面白いから許すけど。


「あのね、マキちゃん。俺の名前は――」「あっ、お父さんだ!」


 俺が改めて自分の名を告げようとしたところで、マキちゃんの興味が別の方向に行ってしまった。……実に無念。


 マキちゃんの視線を追うと、スーツ姿の若い男性が遠くに立っていた。こちらを向いて、手を振っている。


「それじゃあ、わたしはお父さんと帰ります」


 マキちゃんはそう前置きして、


「幸子さん、さようなら。トイレットペーパー・ノシンさん……グッバイ」


 最後まで誤解したまま行ってしまった。

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