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六花と湯気と袋の秘密

どこまでいっても貧乏生活。

沈黙の月 五日 くもりのち、ゆき

寒いし空はどんよりしてるし、気分も晴れません。早く春にならないかなあ。

街から街の移動に、荷物の馬車に乗せてもらうことになりました! 歩かなくていいって素敵……! でも、もっと暖かい乗合馬車に乗りたいなぁ。

(歩かなくていいだけ感謝しろ。それは贅沢と言うんだ)

 冬は、あれ食べたいなあ、なんだっけ、あの果物。

(少し考えるようなインクの染み、蜜林檎か? 余裕があったらな。)


 どんよりと曇った空から、白い花びらが舞い降りてきた。吐く息は白く空気を染め、首は空気の冷たさに縮こまる。

 荷馬車を操る御者は分厚いコートに身を包み、外気に触れないよう隙間なく布に埋もれている。

 ひら、ひら。

 シルヴィは手のひらを出し、空から降りてきた六花を受け止めた。美しい、雪の花びら。幾重もの透明な花びらが重なり、光を乱反射している。

「……うわあ、綺麗……!」

 あっという間に手のひらの体温に溶け、水へと変わる。

「シルヴィ。濡れる」

 不機嫌そうな声が現実に引き戻す。

「ヴァル、見て! 雪って、こんな綺麗なの!」

「ただ水が凍ったものだ」

「もー!」


 荷馬車の荷物とともにガタガタと揺られていく。降り続ける雪は、荷物や二人を白く冷やしていく。

「へっくし! ……。寒い……」

 手のひらに雪を乗せ、戯れていたシルヴィは一つのくしゃみをして体を震わせた。ヴァレリウスは本日何度目かのため息をつく。

「……だから言ったろう。風邪を引く」

 ほら、入れ、と彼は自分のマントを広げた。シルヴィは空いたその空間に潜り込む。

「わーい! ……あったかい」

「……冷たいな」

 シルヴィの耳に響くのは、先ほどまでざわめいていた精霊のさざめきではない。がらがらと鳴る車輪と、ヴァレリウスの温かな心音、「生きている」呼吸。

 聞き入るように瞳を閉じた。



 しんしんと降る雪。不規則な揺れ。ヴァレリウスの体温と香りに包まれ、いつしかシルヴィはくうくうと寝息を立て始める。

 ちらと一瞥し、ヴァレリウスは彼女の顔にかかる髪を爪先で払った。微かに震えたのを見て、体温を分け与えるように強く抱きしめる。

 ふと、シルヴィの耳が寒さで赤くなっているのを見つける。

(……帽子でも編んでやるべきか?)

 真剣に考えた。



 雪は降り止まない。街についた二人は荷馬車を降り、いつの間にか深く積もった雪道をもつもつと歩く。日はとっくに傾いているのに、空は雪明かりを反射して明るい。

「……明日も積もりそうだな」

 空を見上げてヴァレリウスは呟いた。季節は冬。路銀もさみしいが、下手に野営をすると凍死する。冬季は物流も滞るが人の流れも少ない。このまま雪解けまで滞在するのが正しいか、南下するか。

(いや。もと来た道は「危険」すぎる)

 シルヴィが付けた奇跡の道標。西に嗅ぎつけられたらタダでは済まない。

「おい、シルヴィ。宿へ……」

 行くぞ、という言葉は口の中で消えた。振り返ったヴァレリウスの目には、真っ赤な顔をしてフラフラと歩くシルヴィの姿があった。

「あ……、ヴァル、うん……」

 はっはっ、と短く荒い息。寒いのか、カチカチと鳴る歯。それなのに湯気の出そうなほど熱い顔。

「……熱を出したか」

 ヴァレリウスはそれだけ呟くと、自分の荷物を前に持ち直し、シルヴィを背負った。

 足元の雪が二人の体重分沈む。

「……重くなったな」

 誰ともなしに零れた言葉は雪に溶けて消えた。



「ヴァル……寒い……よ……」

 火照った頬で歯をカチカチと鳴らしながらシルヴィは呻いた。宿のベッドに彼女を降ろし、ヴァレリウスは暖炉へと向かう。

 部屋の隅の小さなそれに火を入れ、ヴァレリウスは煤けたケトルに水を満たした。慣れた手付きで自在鉤にそれを掛け、炎を育てる。

 しばらくすると、雪の静寂を破るように、シュンシュンという微かな蒸気の音が狭い部屋に響き始めた。

「意識があるうちに着替えろ。そこまでは俺も面倒見きれん」

 言いながら彼は手際よくシルヴィの着替えを出して火のそばで温めた後、ベッドへと放り投げる。

「ヴァル……、私、死んじゃうの……?」

 弱々しい声に、呆れたように息をついた。

「ただの風邪だ。その程度で死のうものなら俺は何回も死んでいる」

 だって、とシルヴィは吐息とともに弱音を吐き出した。

「こんな……苦しい、もん……」

「さっさと薬を飲んで寝ろ。明日には良くなる」

 ヴァレリウスは薬草を取り出すと、コップに注いだ白湯に溶かして極簡単な薬湯を作った。それをシルヴィに渡す。

「……苦いからやだ」

「つべこべ言わず飲め。これにいくら掛かってると思っている」

 渋々と薬湯を飲んだシルヴィは、うげ、と顔をしかめた。その後、もたつきながらも何とか着替えた彼女は布団に潜り込む。しばらく荒い息を繰り返していたが、そのうち穏やかな寝息へと変わった。

「……ふぅ……」

 暖炉に薪をもう一本投げ入れ、ヴァレリウスはシルヴィの脱ぎ捨てた服を拾い上げようと身をかがめる。布に触れようとした時、右の手のひらが目に入った。ギザギザの魔物の歯が食い込んで引き千切られた跡。その繋ぎ目だけ、僅かに皮膚が新しい。

「……」

 その跡を一瞥し、服を拾い上げる。きっちりと畳んで仕舞った。


 シルヴィは体が丈夫な方だ。滅多なことでは体調を崩さない。けれど、ごくたまに、五年に一回くらい、ひどい風邪をひくことがある。そのたびに出費が増え、ヴァレリウスの懐を直撃する。

(いや、違うな)

 本当は、シルヴィがくしゃみ一つ、咳一つするだけでその挙動全てに目が行くくせに、それを認めたくない自分がいる。「死んじゃうの?」という弱々しい呟きに、突き放すような言葉を畳み掛けるほどに、ヴァレリウスは動揺した。

 唯一の光を、手放したくないほどに。

「……らしくない……」



――光の子だー! なになに、どうしたのー?

――風邪でも引いたのか? ばっかだなあ。

 耳元でガヤガヤとした声。

(私は「光の子」なんかじゃない。ただのシルヴィだよ)

――ウッソだぁ! そんなマナを溢れさせて。

(たまたま、でしょ)

――ホントは分かってんだろ?

(……まだ、ここにいたいの)

――早く治癒しなよー。あんな異端児の側が良いの?

 ふふふ。クスクス。

(ヴァルを悪く言わないで!)

 不意にざわめきが止む。

 少し冷たくて大きな手がシルヴィの額に乗せられ、「まだ熱いな」という呟きと共に冷たい布が載せられる。ひんやりとした気持ちよさと嗅ぎ慣れた匂い。

 もう夢は見なかった。



 パチッ。

 暖炉にくべられた薪が大きく爆ぜた。

 シルヴィは目を開ける。見慣れない天井。赤々と燃える暖炉には、シュンシュンと小さく音を立てている、吊るされたケトル。窓は気温差で白く曇り、結露がガラスに浮き出ていた。

「……ヴァル……?」

 上体を起こすと、額から温くなった布がぽとりと落ちる。

 あまりにも静かな部屋が広がっていた。


 

 ザクザクとヴァレリウスは柔らかな新雪を掻き分けるように進む。まだ日は昇っておらず、辺りは薄暗い。突き刺さるような冷えた空気に、くたびれたマントに埋もれる。

 街の入口を通り過ぎて森へ入る。そしておもむろに弓を構え、番えた矢を軽く放った。

 ヒュ……と緩やかな軌跡を描いて小さな動物に当たる。ユキウサギが矢に貫かれていた。ナイフを取り出し、血を抜き、毛皮と肉とを分ける。矢はしっかりと回収する。――それを何度か繰り返した。

 やがて重くなった背負い袋は彼に担がれ、街へと運ばれた。毛皮は数枚の大銅貨へと姿を変え、肉は数を減らし数十枚の銅貨となった。小動物の毛と肉が入っていた背負い袋は、いつしか果物と薬草と少しの毛糸が入り、ずいぶんと軽くなった。


「ねえ、聞いた? あの、南の街に行く関所が開門したらしいわ」

 日が高くなり人が多くなった通りに、聞こえてきた言葉。

「そうなの? 助かったわあ」

「行商人から聞いたんだけどさ、この季節に、『奇跡』を見たんだってよ!」

「うそお!?」

(……人の口に戸は立てられん、か)

 視線は向けず、ただヴァレリウスは雪を踏みしめた。



 がちゃりと宿の部屋の鍵を開ける。

「ヴァル!」

 いくぶん元気そうなシルヴィの声に、わずかながらヴァレリウスは、ほ、と安堵の息をついた。

「起きてたのか」

「目が覚めたらヴァルがいなくてびっくりしちゃった」

 何買ってきたの、とベッドの上からシルヴィが尋ねる。背負い袋から果物と薬草と肉を取り出す。毛糸は袋に入ったまま。

「薬は飲めよ」

 ヴァレリウスは昨夜の薬湯をシルヴィに差し出す。彼女は受け取りつつも、ものすごく嫌そうな顔をした。

「……飲まないとだめ?」

 ぎら、と珍しくもヴァレリウスの目が光った気がした。

「……ほお。もっと効果のあるものが欲しいか?」

 すっとシルヴィの顔から表情が消えた。そして慌てたように薬湯に口をつける。

「ううん、これこれ! これが欲しかったの! ……うぐっ……。ぷはー、体に効きそー!」

 青い顔をするシルヴィを無視して、ヴァレリウスは果物を食料用の小さなナイフで器用にも薄く皮を剥いていく。水をがぶ飲みするシルヴィに、一口に切られた果物が目の前に出された。

「ほら」

 彼の指に摘まれた小さな果物。シルヴィが口を開けると、ポイと放り込まれる。

 しゃり、と歯触りのよい音と、瑞々しい果汁。そして優しい甘さと少しの酸味。

「おいひーい!」

 ふ、とヴァレリウスの口角がほんの少し上がる。

「そうか。これは『当たり』だな」

「あ、ヴァル! 私で毒見した!?」

「……さあな」

 これ食ったらもう少し休め、と彼はまた果物を切る作業を続けた。



「ヴァルぅ、体、ベタベタして気持ち悪い……」

 薬湯が効いたのか、はたまた「毒味」の果実が胃を満たしたからか。いくぶん顔色がよくなったシルヴィは汗でベタついた肌を触って顔をしかめた。

「……裏に蒸し風呂がある。熱が下がったら、明日か明後日にでも行くといい。今はこれで我慢しろ」

 ヴァレリウスは、暖炉の湯を絞った温かな布をシルヴィに手渡した。

 薬草の香りが混じった蒸気が、彼女の火照った顔を優しく包む。

「うはぁ……、気持ちいい……」

 ベッドの傍らの小さなテーブルにたらいを置き、沸いたお湯を足す。そして彼は汚れた衣服をまとめて袋に詰め込むと立ち上がった。

「ヴァル、どこいくの?」

「俺は風呂に行く。お前は着替えて寝てろ。鍵はかけておく」

 不満そうな顔をしたシルヴィを一瞥。

「ずっるーい!」

 彼は鼻を鳴らした。

「羨ましいなら早く熱を下げるんだな」


 宿の裏手にある小さな小屋。脱衣場でヴァレリウスは荷物を置き、獣の血と煙の匂いが染み付く衣服を脱いだ。中から現れたのは、エルフに似つかわしくない、古傷だらけの鍛え上げられた体躯。

 赤くなるほど熱された石に雪解けの水を掛ける。途端、ジュッと音がして大量の蒸気が湧き出した。もうもうと立ち上る湯気と石に乗せられたハーブの香りの中、ヴァレリウスは洗い場で湿った布で体を拭った。体の芯に染み渡る熱さに、彼は知らず、は、と息を吐く。

「お、アンタも風呂かい?」

 不意に掛けられた言葉。旅人だろうか。ヴァレリウスは答えない。

「エルフなら、わざわざこんな風呂に入らなくても、魔法の方が早いんじゃないのかい?」

「……この方が俺には合っていてな」

「いいねえ! 分かる人は!」

 嬉しそうにそう言って、彼はさらに石に水を掛けた。もくもくと蒸気が増え、視界が白くなる。広がる熱気はまるで真夏のよう。男は「くうー!」とその蒸気を堪能している。

「……そういや、南の方の『奇跡』の噂、アンタは聞いたかい?」

 ヴァレリウスの体を拭う手が一瞬鈍った。だが、彼は気付かず続ける。

「森にあった湖が、ここ数年汚れた沼になってたんだけど、それが! つい最近昔みてぇなきれぇーな姿に戻ったんだとよ! ご丁寧に、『神の子』の御業付きだったんだと!」

 男は布を濡らし、ビシャビシャと体を擦っていく。水滴がヴァレリウスにも飛んできた。

「それで、この季節なのに、西が奇跡を調査しに来るんだそうだ。見るなら今だぞ」

「……有益な情報だな」

 もう一度体を布で拭き上げ、ヴァレリウスは立ち上がった。


 蒸し風呂を後にし、ヴァレリウスはそのまま宿の洗濯場に向かった。冷えた空間に、湿った彼の髪からは、湯気が微かに尾を引いている。

 桶に水を溜めると、凍てつくような冷たさに眉間のシワが深くなった。

「……やけに布が多い」

 ヴァレリウスは、汗で湿ったシルヴィのシュミーズを水に沈めながら、忌々しげに、けれど丁寧に汚れを追った。

 かつての彼女なら、片手で絞りきれるほど小さかったはずの布地。

 冷たい水に浸されたその重みは、彼が背負った時に感じた「成長」を、指先の痺れと共に改めて突きつけてきた。



 部屋へ戻ると、シルヴィは眠っていた。

 顔色は昨夜よりもずっといい。

 ヴァレリウスは静かに洗濯物を部屋に吊るすと、薪をもう一本くべた。ケトルに僅かに残っていた白湯を飲み、水を補充してまた火にかける。たらいの冷えた水を捨て、椅子に座り、袋から毛糸を取り出した。

 ヴァレリウスが編むのは、耳当て付きのシルヴィの帽子。

 ぱち、とたまに爆ぜる薪の音と、シュンシュンと沸くお湯。カタカタと鳴る窓枠と、ゆっくりとしたシルヴィの寝息。

 穏やかな時間が過ぎていった。



 すっかり熱が下がった二日後。久々の風呂で汗と汚れを流してきたシルヴィは、小言を言われながら髪を梳かれていた。

「……何をどうしたらこんな頭になる」

 布で適当に擦ったのだろうか、彼女の長く細い髪は互いに絡み合い、一つの毛玉を作っていた。

「……だってぇ」

「身だしなみを整えることを覚えろ。……いいか、まずは整理整頓だ。身の回りを整理整頓することは……」

「はいはいはい! 分かってますよく理解してます気をつけます!」

 長ったらしい説教が始まろうとした時、シルヴィは彼の声を遮った。ヴァレリウスは不満そうに彼女の毛玉を持つ。

「都合のいい時だけ理解する頭だな」

 毛玉にほんの少しだけ油を馴染ませ、櫛で丁寧に解いていく。その気持ちよさに、シルヴィは猫のように目を細めた。

「……できたぞ」

 丁寧に編み込まれた髪。それを軽く触る。

「こんな時間掛けるなら、切っちゃっても良いのに」

「路銀が尽きたら売るかもな」

「……それって貯金代わりってこと?」



 宿の外は、降りしきる雪で白く埋まっている。しばらく外に出なかったシルヴィはその気温に身を震わせた。思わず肩掛けを頭の上まで引っ張り上げる。

「さっむーい!」

 吐く息がもうもうと立つ。宿の熱が伝わる屋根には長く太い氷柱が垂れ、時折ぽたりと氷の雫を落とし、氷柱をまた長くしていた。

「シルヴィ」

 氷柱を見あげていたシルヴィは、掛けられた低い声に視線を落とした。頭の上の肩掛けが下にずらされ、代わりにふっくらとした肌触りの何かが頭に被せられた。

 それは、彼女の瞳に似た色合いの毛糸で編まれた、耳当て付きの帽子。シルヴィの視界の端に毛糸が映る。

「え……。ヴァル、これ」

「……糸が余っていた。それでも被ってろ」

 でも、と言って、よく見ようと帽子を取ろうとする彼女の手をヴァレリウスは押さえる。

「だって、ヴァル、この色。こないだ解いたのに無かったよ」

「解き忘れたんだろう」

 その言葉を最後に、彼は背を向けて歩き出した。シルヴィは両手で耳当てを触る。少し張りのある、新品の毛糸のざらついた手触り。よく見ると、ヴァレリウスの耳の先がほんの少し、よく見ないと分からないほどに赤くなっている。

 シルヴィの口角が徐々に上がった。

(――あったかい)

「ヴァル、待ってよー!」

 外は凍てつくほどの寒さなのに、心はこんなにも温もりで溢れている。



お湯をためて湯船に浸かるのは、本当に限られた金持ちや貴族でした。サウナ、気持ちよさそうですね。

あれ、魔法どこいった……?

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