光の旋律、影の二矢
編み物男子、ヴァレリウス。
初霜の月 九日 くもり
ヴァルが編んでくれた靴下の、土踏まず部分にちっちゃなお花があるのを見つけました。
ヴァルに聞いたら、「毛糸の染めの違いだろう」って言われました。でも、両方同じ位置にあったから、多分……。
私は寒がりなので、暖かいです。
ヴァル、靴下もう一足作ってくれないかなぁ?
(※時間と金があればな、と下に小さく書かれている。)
「ヴァル、靴下も肩掛けもすっごく暖かい! ありがとう!」
北風が吹く町を二人は歩いていた。
流れる風が、どこからか吟遊詩人の歌を運んでくる。
「遠き神代 エルフの長き夢よりも古き頃 世界樹の蕾は地に堕ち 陽光は泥に呑まれたり
人の嘆きは「澱み」となりて溢れ 四界は底無き闇に沈まんとす
その時 名もなき「影」ひとつ現れん 傍らには 天つ光を宿せし「奇跡の子」を連れ
影が道を切り拓き 子が慈愛を歌えば 闇は清らなる水へと還り 世界は再びの生を赦されたり 願わくは その影に永遠の安らぎを その子に 絶えぬ祝福のあらんことを」
微かにヴァレリウスが不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「……お前が風邪を引くと余計な出費が増えるからな。ふん、くだらん歌だ」
「御伽噺みたいだね。なんだか、『懐かしい』感じ」
ヴァレリウスは微かに動きを止め、もう一度「くだらん」と呟くと歩き出した。
「……おい、聞いたか? ここよりさらに北の関所が閉められたらしいぞ」
「この季節に? 何があったんだよ」
町を歩く人々の群れ。ざわめく中にふと聞こえてきた会話。
浮いた薪代でいつもより多い昼食をヴァレリウスからもらい、シルヴィはその会話に耳を澄ませた。
「……なんでも、奇病が流行ってるらしい。あっちはもう駄目だ。これから冬だってのに」
「まさか。薬草は動いてないぞ?」
「それが、薬は効かないらしい。だから奇病なんだよ。西の国の『奇跡』でも拝まないといけないかもな」
ちら、とヴァレリウスをシルヴィは見上げた。彼は気にした風もなく黙々と食事を口に運んでいる。
「そういえば、ここ数年できた沼が、突然大きくなったらしい」
ここで初めてヴァレリウスと目が合った。彼の視線はつとめて「無言」だった。
「魔物も増えたってよ。病といい、魔物といい。ろくなことがないな。あーあ、言い伝えにある『奇跡の子』出てこないかねえ……」
「ヴァル……」
「断る」
シルヴィが言う前に、ヴァレリウスは切って捨てる。まるで彼女が何を言いたいのか知っているかのように。
「まだ何も言ってないじゃない」
少しムッとしながらシルヴィが言うと、ヴァレリウスは眼光鋭く睨みつけた。
「今の会話を聞いていたんだろう。お人好しのお前のことだ。この前の村のように、『助けたい』とか抜かすんだろう」
「だって」
食事を綺麗に平らげたヴァレリウスはフォークを置いた。
「いいか。俺達は『生きる為』に旅をしてるんだ。何でわざわざ他人の為に死ぬようなことをしなくちゃいけない? 危険を冒してまで得られるものはなんだ?」
とつとつと重ねられる問いに、シルヴィは答えに窮した。
「シルヴィ。それはただの自己満足にすぎない。……この話は終わりだ」
シルヴィは、何も言い返せないまま俯いた。ふと、視界の端に肩掛けの飾り編みが目に入る。愛おしそうにそれをひと撫でし、柔らかな羊毛を強く握りしめた。
「……じゃあ、なんで昨日の夜、あんなに一生懸命これ編んだの?」
ヴァレリウスが眉をひそめる。
「それは、お前が……」
「ヴァルから見れば、私だって『他人』でしょ? 一晩であんなにたくさん編んで。それこそヴァルの『自己満足』なんじゃないの? これがなくても死なないし、材料費だってかかってる。ヴァルのよく言う『効率』なら、昨日の夜は寝るのが正解だったはずだよ」
「…………」
「ヴァルだって、自分に関係ない『私のために』無駄なことしてるじゃない。……私、ヴァルが昨日くれた『無駄』を、他の人にも分けてあげたいだけなの」
ヴァレリウスは口を引き結んだ。彼の心が、シルヴィの言葉で少し揺らいでいる。あと、もう一押し。
「沼はもっと広がるかもしれない。あの沼が大きくなったら、私達の食べ物も、この先の道も、全部なくなっちゃうんだよ」
「………………」
長い長い沈黙。
だが、シルヴィには分かる。
彼は断るための言葉を探しているんじゃない。これまでかかった路銀、消費した薬草、保存食。引き返すのと先に進むのとどちらが「得」か、彼の頭の中で数字が光の速さで計算されている。
「……ちっ。関所が閉鎖され、供給路が断たれれば、この先の物価は跳ね上がる。……ここで奇病の原因を叩き、恩を売っておく方が『安上がり』か」
損得勘定が終わったのか、舌打ちとともにヴァレリウスは忌々しげに呟く。
「じゃあ……!」
眉間のシワを深くして、ヴァレリウスは立ち上がった。
「いいか、これは『貸し』だ。……その肩掛けを編むのに費やした俺の睡眠時間を、お前の労働で補填しろ。沼へ向かう間、お前は一歩も俺の後ろから出るな。いいな」
それと、と食べ終わった食器を重ね、盆に持つ。
「……俺達はそこまで遠い『他人』じゃない。覚えておけ」
さっさと食え、と言葉を残し、ヴァレリウスは片付けに行った。
口を半開きにし、シルヴィはヴァレリウスの背中を見つめた。
(……遠い他人、「じゃない」……)
それは、ヴァレリウスなりの精一杯の「身内」と同義だ。ほんの少し、シルヴィの頬が色づき、口角が上がった。
「えへへ……」
湯気が消えた食事は、それでもまだほんのりと温かく、いつもより美味しく感じた。
北へ続く道は堅く閉じられていた。大きな門の向こう側、開門を求める人々の恨めしそうな、嘆きの声が聞こえる。思った通り、道は閉ざされていた。
「……森を迂回して『沼』へ行く。また薬草を追加しなきゃならん。……全く、とんだ出費だ」
毒づきながらも、彼は必要なものをリストアップしていく。魔法を使えない彼の命綱。それは、入念な準備に全て反映していた。ヴァレリウスは財布の中の残金を確認する。まだ余裕はあるのだろうか。
「シルヴィ。お前も準備しろ。魔力を持つ人間が奇病に侵されているのなら、どうなるか想像もつかん」
「うん!」
ごぷっ……、とまた、昏い澱んだ泥が、毒を吐きながら北のどこかで人々を嘲笑った。
秋風が肌を冷たく突き刺す森の中。数日前まで色づいていた葉はすっかり落ち、裸の木々が乱立している。
ザク、と湿った落ち葉を踏みしめるたび、腐った土と葉の香りが舞った。その香りの中に、鼻を突くような澱んだ異臭が混ざる。
「……っ」
不意に、ヴァレリウスが胸元を押さえて膝をついた。
入念に準備されたはずの、澱みを払うための魔除け袋が、服の上からでも分かるほど異様な熱を帯びている。内側から焼き切れるような熱気は、そこに込められた「拒絶」の力が、沼の悪意と激しく衝突している証拠だった。
「ヴァル……?」
シルヴィが駆け寄ろうとした時、彼女の耳に、それは届いた。
風の音でも、木の葉の擦れる音でもない。もっと深く、昏い場所から自分を呼ぶ「声」のような重奏。
「こっち……なの……?」
シルヴィの瞳から光が抜け、焦点がぼやけていく。引き寄せられるように、彼女の足が泥濘の先へと踏み出された。
「……待て、シルヴィ……!」
ヴァレリウスが、焼けるような胸の痛みごと、彼女の手首を掴み寄せる。
「……お前は、俺の後ろを歩けと言ったはずだ……ッ。勝手な真似を、するな……」
荒い呼吸、滲み出る冷や汗。それでも彼の手は、万力のような力で彼女を現実へと繋ぎ止めていた。
「あ……」
シルヴィの目に光が灯る。繋がった手にマナが流れ込み、徐々にヴァレリウスの呼吸が収まっていく。同時に彼の胸の痛みが引き、ヴァレリウスはやや目を瞠った後、「無駄遣いをさせた」と言うかのように苦い表情をして立ち上がった。
「ご、ごめんなさい。助けてって、呼ばれた気がして――」
言いながら彼女は森の奥を振り返った。ヴァレリウスには聞こえない「声」。森の奥を睨みつける。
「……向こうか。行くぞ」
シルヴィの前に立ち、歩き出した。――けれど、その手はしっかりと掴んだまま。
「……ヴァル、手を空けないと、弓も使えないよ?」
「……こうでもしないとお前はすぐいなくなるからな。……俺に弓を使わせたくば、勝手な行動は慎め」
掴んでいた手首をヴァレリウスのマントに誘導する。シルヴィが彼のマントを握ったのを確認すると、弓を取り出した。
シルヴィの指さす方へ歩を進める。
は、とヴァレリウスの口から吐息が漏れた。マナが流れ込んで澱みの毒を中和したとて、いまだこの場に、ますます強くなる「嘆きの声」は彼の命をゆっくりと、だが確実に蝕んでいく。
やがてぽっかりと闇が口を開けたように、木々が生えていない場所が奥に見えた。ヴァレリウスでさえその仄暗い歪みが見えるような、異常さ。びりびりと肌を突き刺す負の感情。ぞわ、と彼の肌を撫でたのは、彼の本能が鳴らす警鐘か、それとも澱みの嘲笑か。
「……悲しいね。還れなくて、泣いているの……?」
シルヴィがぽつりと呟く。ヴァレリウスのマントを握りしめた彼女の瞳は、どこまでも澄み切っていた。
こぷ。シルヴィの問いに答えるように、小さなあぶくが沼から浮かび上がって弾けた。
「ヴァル、浄化しよう」
その言葉に、ヴァレリウスは鼻を鳴らす。
「……ふん、勝手にしろ」
言いながら彼は弓を構え、おもむろに一矢、沼に向かって放つ。じゃぽん、と何かが沼に落ちる音と獣のようなうめき声。シルヴィの驚くような視線を、不機嫌そうに見返す。
「早くしろ。魔物が沼から上がってくるぞ。これ以上俺の矢を無駄にさせるな」
(――「勝手にしろ」って言う割には、意外と甘いよね、ヴァルってば)
損得ばかり計算しているように聞こえても、行動が裏腹だ。そんなことを思いつつ、口にしたら協力なんてしてくれない。シルヴィは息を静かに吸った。
「――♪ ♫ ♪」
誰も聞き取ることのできない言語。それは、マナの純粋な輝き。すべての命を還して送り出す、世界樹だけの旋律。
重く澱んだ空気がみるみるうちに霧散していく。ヴァレリウスは詰めていた息を吐いた。毒々しい重い空気は、澄み切って、慈しみに溢れていく。
沼は旋律に抗うかのように水面にさざ波を立てた。その僅かな波間に、赤黒く脈打つ、「核」が見えた。
(……あれか)
恐らく、シルヴィの歌だけでは沼は浄化しきれない。核を消滅させて初めて、澱みが消える。あの村でやったことと同じように。
ヴァレリウスの思考を読んだのか、沼の波が荒れる。呼応するかのように風が強くなった。激しくはためくマントが彼の視界を遮る。ちっと舌打ちをした。
「ヴァル!?」
旋律が止む。吹き荒れる北風の中、マントを脱ぎ捨てたヴァレリウスに驚いたシルヴィが歌うのを止めたのだ。
「シルヴィ、歌え。止めるな」
短く言い、彼はもう一矢、弓に番えた。ググ……と弦を引くと、薄いシャツに盛り上がる、重い弓を射るために異様に発達した左腕。引き絞った瞬間、肩甲骨周りの筋肉が浮き上がった。右腕は引き絞られた弦を保持するために血管と腱が太く浮かび上がる。普通のエルフにはない、鍛え上げられた体躯。
ヒュ……ンッと放たれた黒い矢は彼女の歌声をまとい、黄金色に色づいて――。
荒れ狂う沼へ沈み、核を撃ち抜いた。
ゴ……ッと光の柱が立つ。溢れ出す澱みの「黒」はやがて光の奔流となり、「白」に染まっていく。
光が収まった頃には、澄み切った湖が咲き乱れる花々に囲まれ、静かに秋空を映していた。
冷え切った体で風に飛ばされたマントを拾い、微かに震える手で羽織る。きっちりと着込んだヴァレリウスの下へ、もう立てないはずのシルヴィがよろよろと駆け寄った。
「ヴァル!」
転びそうな勢いはそのまま、ヴァレリウスにしがみついた。ぼす、と音がして、シルヴィは彼のマントに顔を埋める。
「! ……離れろ」
驚くほどの力でぎゅうぎゅうと抱きつくシルヴィは顔を上げる。彼女は締まりのない笑顔をしていた。
「えへへ……、ヴァル、ありがとう」
何に対してなのかは聞かず、ヴァレリウスは視線を逸らした。そのまま貴重な保存食を彼女の口に突っ込む。
「……矢が二本無駄になった。村の時といい、これで三本目だ。労働に合わん対価だな」
歩けるか、と尋ねるとシルヴィは咀嚼しながら頷いた。
「なんか、村の時よりも苦しくないみたい」
ヴァレリウスは表情を固くした。だが、それも一瞬のこと。すぐにいつもの顔に戻る。
「……そうか」
泥に飲まれた陽光はまた顔を出す。またここにも、「奇跡の足跡」をつけて、旅人は去るのだ。
読んでいただきありがとうございました。




