エピローグ
本編最終話となります。
陽だまりの月 二十九日 はれ
最近は夏が近づいてきて、暑くなってきました。私もヴァルも、ここ数日は薄着です。でも、夜は「冷えるからちゃんと着ろ」って上着を着せられます。なんでだろう?
そうそう、ロバートさんからお手紙が届きました。手紙には、あのときのことを謝りたいということと、いつでも待ってるから、働きに来いよって書いてありました。ヴァルは、魔法を使った、どこにいてもちゃんと届く特別な手紙だって言って、驚いていました。あと「暑くなってきたから、海にでも行くか」なんてあの港町に向かっています。楽しみです。
「暑ーい!」
シルヴィは船が浮かぶ海を見ながら、桟橋の上で叫んだ。夏の海は太陽の光がキラキラと反射して眩しい。懐かしい潮の香り。軽やかな旅装に包まれた彼女は、ワクワクしながら背後の男を振り返った。
「ね、ね、ヴァル! 冬と違うんだね! とっても穏やか!」
荷物を石畳の上に下ろし、ヴァレリウスは眩しそうに目を細めた。
「ああ、そうだな」
彼が持つのはやや小さい弓。けれど、それは魔物を屠るものではなく、旅の中で狩りをするためのもの。生きるためにはやっぱりお金が必要で、体の一部になってしまった弓を捨てることはできなかった。
「おおーい! ヴァル! シルヴィちゃん!」
エプロンを着けた男が道に立って両手を大きく振っている。彼の傍らには、同じエプロンを着けた恰幅の良い女性と、記憶よりも少し大きくなった少年がいた。
「あっ、ロバートさーん! リンダさーん! ピーター!」
シルヴィは大きな声で手を振り返す。ヴァレリウスも片手を上げた。
「ヴァル! ヴァルも海に入ろ!」
腕を掴んでシルヴィはヴァレリウスの顔を見上げた。
「いや、俺はいい。……待て、シルヴィ。海に入るのはここじゃなくて――」
ぐいぐいと引っ張る力。と、彼女の手がヴァレリウスの腕からすっぽ抜けた。
「うわっ!?」
「シルヴィ!?」
後ろ向きに桟橋から倒れ込む彼女に手を伸ばす。掴んだ、と思ったら、二人の体は海の上。
――ザッパーン!
大きく水しぶきを上げて、海に落ちた。
少し離れたところでロバートたちが目を丸くしている。彼らは慌てて走ってきた。
「おいー! 大丈夫かー!?」
「……ったく、ほら、掴まれ。お前は泳げないだろう」
ぷはっ、と海面からシルヴィは顔を出し、口の中に入った海水を吐き出した。
「……しょっぱい!」
その顔を見て、ヴァレリウスは吹き出す。
「ふっ……」
シルヴィはヴァレリウスの顔を見て、目を見開いた。
「……ヴァルが、笑った……!」
「何だよお前、笑えたのかよ!?」
ようやく追いついたロバートが驚いてヴァレリウスの顔を覗き込んだ。
「……うるさい」
その照れたような声音に、シルヴィもまた、思い切り笑った。
あの日、シルヴィが世界樹から切り離された時。彼女の「時」とヴァレリウスの「時」が混ざりあった。ヴァレリウスは、エルフとしては短いけれど、人よりはちょっと長い残りの時間を、シルヴィと同じ歩幅で生きていける。
シルヴィはマナを失い、奇跡を起こすことはできなくなった。もう、思い切り歌っても何も起こらない。
彼らの旅はまだまだ続いていく。だが、それは「生き抜く」厳しいものではなく、自分たちの小さな幸せのために。神話ではない、彼らの物語が紡がれていくのだ。
「ね、ヴァル。今度はどこに行くの?」
「そうだな、寒くなったら南にでも行ってみるか。そこは年中暖かくて、珍しい果物があるらしい」
「行きたい!」
新しき神話の叙事詩(アルウィン記)
かつて 天を支えし世界樹は 浄化の果てに 一人の乙女を召し抱えんとしたり それは 数多の星が綴りし別れの台本 逆らえぬ光に 乙女の輪狂はほどけ 神話の円環へと 還るはずなりき
されど そこに立ちしは「数えられぬ男」 恩恵を持たず 歴史に名を刻まぬ影 彼は 己が歩みし日々の記録を裂き 錆びし鏃に 執念という名の羽を授けたり 砕け散る弓の悲鳴とともに 放たれしは不格好なる叛逆
結界は 無才の影を捉えられず 不浄の呪いを背負いし矢は 神の果実を穿ちたり その刹那に 黄金の枷は打ち砕かれ 「呪われたる恩恵」は 空へと霧散せり 理は 今や人の掌へと堕ちぬ
光は去り 残されしは ささやかなる人の灯火 神の言葉は途絶え されど土には命の鼓動が満つ 乙女は判定人の衣を脱ぎ捨て ただの少女として地に立ち 男は壊れし弓を捨て 確かなる体温をその腕に抱けり
ヴァレリウス、笑いましたね。
これで本編完結です!
読んでいただきありがとうございました!




