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獣の残り香、三本の再生

短めです。

氷晶の月 二日 ゆき

この間のことはとっても腹が立ちました。ヴァルも、もっと怒ってもいいのに。

でも、アルウィンさん、あんな高そうな服を着て、お金持ちなのかしら。

帽子が褒められたのに、ヴァルはなんだかイライラしてました。



 門を出てしばらくすると、建物で押さえられていた風が強まり、次第に雪が横から叩きつけるように降ってきた。辺りは真っ白で、目印にしていた少し先の木でさえ吹雪に溶けて見えない。

 シルヴィに自分のマントを握らせて、ヴァレリウスは道なき道を進んだ。


 木々の間に埋もれるように佇む、小さな洞穴を見つけた。大人が身を屈めれば入って行けるくらいの大きさだ。それなりに奥行きがありそうだ。

「ヴァル、あそこに入ろうよ」

 駆け出そうとするシルヴィを止める。

「待て。この時期の洞穴は大抵熊が冬眠中だ。……俺が様子を見る。お前はここで待っていろ」

 ヴァレリウスは静かに洞穴に近づき、そっと中を伺う。中に漂うのは、微かな獣の臭い。だが、耳を澄ましても聞こえるのは吹雪の唸る音だけ。近くの小石を拾い、投げ入れる。カンッと壁に反響し、小さな石は大きな音を立てた。だが、それだけだった。

 ほ、と安堵の息を吐く。

「……主は不在だ。だが、いつ戻るか分からん。入り口付近で身を寄せるぞ」

 ヴァレリウスはシルヴィを招き入れ、まずは岩陰に座らせた。外は狂ったように雪が舞っているが、ここは驚くほど静かだ。

「熊がいても狩ればいいんじゃないの?」

 シルヴィの小さな疑問をヴァレリウスは一蹴した。

「……矢で射るだけでは即死しない。それに、起きたばかりの熊は気が立っていて何をするか分からん。下手をすればこちらが向こうの食料になって終わりだ」

 彼は手早く岩を組み、小さな、本当に小さな火床を作った。光が外に漏れぬよう、自分の背中で隠しながら火を育てる。

 冷えた指先の感覚が戻ってくると、彼はすぐさま袋から「銀貨二枚分の部品」を取り出した。

「ヴァル……それ、今作るの?」

「……朝になって、吹雪が止んだ瞬間に矢がないのは死ぬのと同じだ」

 ぶっきらぼうに答え、彼はトネリコの矢軸を火の端にかざした。街で選んだ、あの少しだけ歪んだ三本のシャフト。遠火で炙り、歪みを減らしていく。何度も火に近づけては力を加える。納得のいく物ができたのか、シャフトをシルヴィに寄越した。

「シルヴィ、これを持ってろ。垂直にだぞ。……少しでも動かしたら、お前の飯が銀貨一枚分減ると思え」

「ええっ、そんな!」

 文句を言いながらも、シルヴィは真剣な顔で矢軸を支えた。

 ヴァレリウスはにかわを温め、独特のツンとした匂いが立ち込める中、一ミリの狂いも許さない手つきで鏃を固定していく。

 その手つきはどこか、熟練した職人のそれと同じ。

 火に照らされた彼の横顔は、街で銀貨を惜しんでいた時と同じくらい必死で、それでいて、どこか楽しそうでもあった。

 失った「ガチ矢」の三本。

 それは今、獣の臭いが染み付いた暗い洞窟の中で、再びヴァレリウスの手によって命を吹き込まれようとしていた。

 それはアルウィンの語った「神話」への対抗手段。銀貨二枚と大銅貨一枚、そして失いたくない少女の命を守るための、彼にとっての『聖遺物』だった。



 ギッ……と糸で縛り、余分なところを鋏で切る。数時間後、三本の矢が出来上がった。

 シルヴィは火のそばでこっくりと船をこいでいる。

 ヴァレリウスは一つ息をつくと、完成したばかりの矢を静かに置き、シルヴィのずれ落ちた肩掛けを直した。ほんの少しだけ火を大きくすると、使い古した矢を取り出した。

 ついでとばかり、他の矢の手入れを始める。歪みを触って確認し、手でめて直す。浮いた矢羽根は余った膠を塗り込んで糸を巻いた。

 鏃は指でなぞり、切れ味が落ちているものは研ぎ直す。次第に洞穴の中は膠と少しの鉄の匂いが立ち込めた。

 弓の弦を外し、しっかりと油を塗り込んでいく。凍てつくこの季節は乾燥しやすい。だというのに、湿った雪がつくと濡れてしまう。塗り残しが無いか、しっかりと確認する。弦にもこれでもかとたっぷりと油を染み込ませた。

 丁寧な作業。それでいて一つ一つの道具を慈しむように手つきは優しかった。



 翌朝。シルヴィが目を覚ますと、丁寧に手入れされた弓矢が綺麗に並べられているのが目に入った。傍らにはマントに包まり、目を閉じているヴァレリウスの姿。手入れ用の道具は収納されており、散らかった様子はない。

「ヴァルって、職人に転職したほうがいいんじゃ……」

 ぽろ、と思わず零した言葉。ほぼ聞こえないほどの声なのに、ヴァレリウスの眉がピクリと動いた。

「……職人になったところで、お前はその三倍の早さで服や靴をボロボロにするだろう。仕入れ値と人件費、工賃諸々鑑みても大赤字だ。割に合わん」

 毒を吐きながら起き上がる。

(あ、一回は本気で考えたことあるんだ)

 ちょっと思った。


 雪を溶かした白湯で体を温め、小さな干し肉を口に含む頃。外の吹雪は止み、白い静寂だけが広がっていた。

 膠の乾き具合を見ながら矢を収納していく。弓に弦を張り、軽く弾くと、ピン、と短い高音が応えるように響いた。弓の冷えを取るように、徐々に強く弦を引いていく。ギギ……と満開にまで引き絞られると、ヴァレリウスはゆっくりと弦をもとに戻した。

「行くぞ」

 彼は短く言うと、弓に皮布を巻いて肩に掛ける。シルヴィも火に雪を掛け、始末をした。

「うん!」


 洞穴の一歩外は、昨日までのあらゆる温もりを削ぎ落とした、冷酷な白銀の世界だった。

 ヴァレリウスは歩き出す直前、背負った矢筒の重みを肩で確かめた。新しく加わった三本の矢は、他の使い古された矢とは違う、鋭く冷たい意志を放っているように見えた。

 隣でシルヴィが、眩しそうに雪原を睨んでいる。

「……ヴァル、東って、あんなに白いの?」

「ああ。何も無いが、誰もいない訳じゃない。……行くぞ、遅れるな」

 差し出されたのは、大きな、節くれだった手。

 それはかつてシルヴィを「奇跡」として崇めた人々の跪きよりも、ずっと無骨で、ずっと確かな「生」の繋ぎ目だった。


 眩しさに目を細めながら、二人は真っ白な空白へと足を踏み出す。

 誰かが決めた「神話」も、誰かに強いられた「奇跡」も、今の二人には必要ない。

 ヴァレリウスの背には、昨夜の執念が宿る三本の矢。

 シルヴィの頭には、不器用な指先が編み上げた帽子の温もり。

 確かなのは、掌にあるその感触だけだ。

 世界がどうあろうと、自分たちの価値は自分たちで決める。

 誰のためでもない。神話の再現でもない。

 ただ、この冷たい風の中で、明日もまた同じように毒づきながら歩き続けるために。


 吹き付ける風に抗い、足跡を刻み、二人はどこまでも独善的に、ただ「自分たちの生」だけを貫くために、雪原の奥へと消えていった。


クマ、怖いですね。ヴァレリウスもクマ怖いんですね。

膠って、ゼラチン質の獣臭い独特の臭いがするそうです。

あ、矢を作るのにはもっと時間かかるはずです。

ファンタジーです。フィクションです。

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