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私は嘘つきですから

作者: アヌア
掲載日:2026/02/28

 その魔法使いは、嘘しかつかなかった。

 少なくとも、町の誰もがそう思っていた。

 港町リュメルの外れ、時計塔の影にある古びた店。

 看板にはこう書かれている。


『どんな願いも叶えます。ただし、代償は嘘ひとつ』


 店主の名はレイン。

 年齢不詳。いつも眠たそうな目をして、黒い外套を羽織っている。

 そして彼は、依頼人に必ず言うのだ。


「私は嘘つきですよ」


 だから町の人々は、彼を信用しない。

 ――けれど、それでも店の扉を叩く者は絶えなかった。



………

 


 最初に訪れたのは、漁師の男だった。


「明日の嵐を止めてくれ。船が出せなきゃ、家族が食っていけない」


 レインは窓の外の空を一瞥し、あっさり言った。


「止みますよ。あなたの船だけは無事です」


「本当か?」


「ええ。私は嘘つきですが」


 男は顔をしかめたが、藁にもすがる思いで代償を差し出した。


「……俺は昔、弟の網をわざと隠した。あいつの方が漁が上手かったからだ」


 それが男の()

 レインはそれを小瓶に閉じ込め、微笑んだ。

 翌日、嵐は町を襲った。

 多くの船が壊れた。

 だが、男の船だけは不思議と浅瀬に打ち上げられ、無事だった。

 人々はざわめいた。


「偶然だ」


「たまたまだ」


 けれど男は、それ以来レインを()()と呼ぶようになった。



………

 


 次に来たのは、足の悪い少女だった。


「お母さんみたいに、走りたい」


 レインは膝を折り、少女と目を合わせた。


「走れますよ。誰よりも速く」


「ほんと?」


「私は嘘つきですが」


 少女が差し出した代償は、小さな秘密だった。


「ほんとはね、足が痛いって、ちょっとだけ大げさに言ってたの。お母さんに心配してほしくて」


 レインはそれを受け取り、少女の足にそっと触れた。

 次の瞬間、少女は立ち上がる。

 一歩、また一歩。

 やがて駆け出した。

 泣きながら、笑いながら。



………

 


 噂は広がった。

 嘘つき魔法使いは、本当の奇跡を起こす、と。

 けれど同時に、奇妙なことに気づく者もいた。


「レインは代償を受け取るが、決して願いの対価を金で取らない」


「集めた“嘘”を、どうしているんだ?」


 店の奥には、無数の小瓶が並んでいるという。

 人々の罪悪感、後悔、嫉妬、見栄。

 告白されなかった本音。

 飲み込まれた謝罪。

 それらが、淡い光を宿して揺れているのだと。


 ある冬の日。

 ひとりの少年が店を訪れた。

 名はユノ。

 まだ十五になったばかりだった。


「父さんを助けて」


 ユノの父は重い病に伏していた。

 医者は首を振るばかり。

 レインは静かに言った。


「助かりますよ」


 少年は縋るように問い返す。


「本当に?」


「ええ。私は嘘つきですが」


 ユノは唇を噛んだ。


「……僕は、父さんが嫌いだって思ったことがある。仕事ばかりで、僕の誕生日も忘れてた。いなくなればいいのにって」


 それが少年の嘘。

 本心ではない、けれど胸をよぎった暗い願い。

 レインは小瓶にそれを閉じ込めた。


「三日後、目を覚まします」


 

………



 三日後。

 父は目を覚ました。

 医者が奇跡だと叫び、母が泣き崩れる中、ユノはただ呆然としていた。


 本当に、助かった。


 ユノは礼を言うために店へ向かった。

 だが扉は閉ざされていた。

 中から、激しい物音がする。

 思わず開けると、棚の小瓶が床に散らばっていた。

 淡い光が溢れ、部屋を満たしている。

 その中央で、レインが膝をついていた。


「……先生?」


 レインの顔は青白く、息は荒い。


「どうして……」


 床の小瓶は、すべて空になっていた。


「嘘はね」とレインはかすれた声で言う。


「人の心を縛る鎖なんです」


 集めた嘘を、彼は“ほどいて”いたのだ。

 小瓶に閉じ込めることで、依頼人の心から切り離す。

 だから願いは叶う。

 心を縛る重りが消えるから。


「でも、それを解くには……」


 代わりに、誰かが背負わなければならない。

 ユノは気づく。

 レインの腕に、黒い痣のようなものが広がっている。


 それは嘘の染みだった。


 嫉妬、憎しみ、後悔、自己嫌悪。

 何百、何千という感情が、彼を蝕んでいる。


「どうしてこんなことを……!」


 レインは、いつもの眠たげな笑みを浮かべた。


「私は嘘つきですから」


「答えになってない!」


「……昔、私は大きな嘘をついたんです」


 それは、戦のさなかだった。


 若き日のレインは宮廷魔法使いだった。

 王に問われたのだ。


「この戦に勝てるか」


 真実は、敗北。

 けれど彼は言った。


「勝てます」


 兵は士気を取り戻し、戦場へ向かった。

 そして――多くが帰らなかった。


「私の嘘で、たくさんの命が消えた」


 それ以来、レインは決めたのだ。

 嘘を集め、背負い、ほどき続けると。

 誰かの未来が少しでも軽くなるなら、と。


「でも先生は……消えちゃうじゃないか」


 レインの体は、光に溶け始めていた。


「大丈夫ですよ」


 彼は最後まで、微笑む。


「私は嘘つきですから」


 その瞬間、ユノは叫んだ。


「嘘つき!」


 涙が零れる。


「父さんが助かったのは、先生のおかげだ! 漁師さんも、あの子も、みんな……先生はずっと、本当のことしかしてない!」


 レインは、少し驚いたように目を見開いた。


「……それは、違いますよ」


 声はもう、風のように薄い。


「最後に、ひとつだけ。本当のことを言いましょう」


 彼は、静かに言った。


「私は、人を救いたかった」


 それだけを残して、光は弾けた。



………



 翌朝。

 時計塔の影に、店はなかった。

 ただ、透明な小瓶がひとつ落ちているだけ。

 中身は空。

 ユノはそれを拾い、胸に抱いた。

 父は元気になり、町は平穏を取り戻した。

 誰ももう、嘘つき魔法使いのことを悪く言わない。



………



 数年後。

 時計塔の下に、小さな看板が立った。


『どんな願いも叶えます。ただし、代償は嘘ひとつ』


 店の奥で、青年になったユノが客を迎える。


「願いは?」


 不安そうな客に、彼は少しだけ笑う。


「大丈夫。叶いますよ」


 そして、こう付け加えるのだ。


「……私は嘘つきですから」


 けれどその目は、まっすぐだった。

 もう二度と、本当に救いたいものから目を逸らさないように。

 あの嘘つきが、最後に遺した()()を胸に。

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