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ワンダーランド・ボーイ  作者: 櫻木サヱ
ハートの王国と危険な微笑み

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17/32

Moonlight Whispers ⟡.·

月が静かに夜空を照らし、銀色の光が庭園の泉を淡く染めていた。アレンはふとした足音に振り向く。そこにいたのは、木陰から顔を出したチェシャだった。いつものようなイタズラっぽい笑みではなく、どこか寂しげな横顔。


「……また、いきなり現れるんだな」

「ふふ。ボクは猫だからね。音もなく近づくの、得意なんだ」


 チェシャは軽やかにアレンの前に歩み寄り、泉の縁に腰を下ろす。揺れる月明かりが彼の髪を透かし、夜気の中にやわらかな輪郭を描き出していた。


「君、今日は少し顔が曇ってる」

「え……?」

「わかるんだよ、そういうの」


 アレンは小さく息を呑む。胸の奥でちくりとした感情が疼いた。


 ――この世界に迷い込んでから、何が本当で、何が嘘なのか。誰が味方で、誰が敵なのか。わからないことばかり。


 けれど、不思議とチェシャと話していると、息がしやすくなる。


「……別に、平気だよ」

「ふぅん。嘘くさい」


 チェシャはくすりと笑い、アレンの肩にそっと頭を預けた。柔らかな髪がアレンの首筋をくすぐる。


「なっ……!」

「ねぇ、ボク、猫だから。こういう距離、嫌いじゃないんだ」


 心臓が跳ねた。アレンは慌てて身を引こうとしたが、チェシャは逃がす気などさらさらないように、指先でアレンの袖をそっと掴む。


「……少しだけ、こうしててもいい?」

 その声は、いつもの軽口じゃなくて――ほんの少し震えていた。


「チェシャ……?」


「ボク、ね。いつも冗談ばっか言ってるけど、本当は……」


 月明かりが彼の横顔を照らす。薄い唇が、小さく震えた。


「誰かに、名前を呼ばれるのが、すごく好きなんだ。ボクの“居場所”みたいな気がするから」


 その言葉に、アレンは胸の奥がじんわりと温かくなる。


「……じゃあ、呼ぶよ。チェシャ」


 たったそれだけの一言なのに、チェシャの目がきらりと光る。まるで夜空に星が瞬いたみたいに。


「……ありがと、アレン」


 二人の間に流れる空気が、いつもよりゆっくりになった。風の音も、遠くで鳴く鳥の声も、すべてがふたりを包み込むように優しく響く。


 夜は静かに更けていく。

 アレンの心臓の鼓動は、まだ少し速いままだった。

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