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色を亡くした少女


バーベリという少女は、闊達な少女であったという。

小さなことは気にしなくて、それでいて活動的で、とても優しい、と。

けれど小さなことを気にしないということは、必ずしも小さなことに気が付かないということとイコールではないのだった。


バーベリ。正式名称はバーベリ・ルスタモワ。

カーヴィラの街に根を下ろす、ものすごく裕福とは言えないけれど、それでも確かに恵まれた商家に生まれた末娘。

年の離れたその末妹を、家族は大層可愛がったという―――。





「七年前です」


少しだけ場所を移して、素馨とバーベリちゃんの家族は診療所の中にある、お医者さんの自室エリアにお邪魔していた。こじんまりとした机と、魔術技術の結晶たる魔道具によって稼働するキッチンがあり、お医者さんはそこで紅茶を淹れてくれていた。

善意で貸し出してくれたことに感謝しつつ、素馨は俺の代わりにバーベリちゃんの家族の話を聞く。


「まだ、私の腰辺り程度の、そんな小さなころ………あの子、バーベリはね。森に遊びに行ったんですよ」

「………翠蓋の森とか、妖精の森に、ですか?」

「まさか。普通の、街の周囲に広がっているただの森です。ソケイさん、でしたっけ。この街に住んで、長いんですか?」

「えっと………つい、最近引っ越してきたばかりです」


人差し指をツンと合わせながら素馨が下を向く。

バーベリちゃんのお母さんは小さく笑うと、


「なら、いろんなことを楽しめますね。この街は他の街や国とは大きく違いますけど、それでも比較的住みやすいですし、なにより便利で、楽しめる場所がたくさんある」

「そうなんですか?私、知っている場所は故郷だけで………」

「長い人生でこの街に訪れることが出来る人は一握り―――幸運でしたね」


素馨はその言葉に、確かに頷いた。


「話が逸れてしまいましたね。えっと、それで………」


バーベリちゃんのお母さんが、頭を指で軽く叩く。

やや濃い茶色の長髪には白髪が交じり始めていて、それも当然かと思い直した。バーベリちゃんで、三人目のお子さんなのだ。そして彼女は、いや。

彼女の肉体(・・・・・)は既に、十四歳になっているのだから。


「バーベリがこうなった原因だ。七年前、黒い森の中で。でも、そんなこと話す必要はねえよ、母さん」


お母さんと同じ色の髪を、短く刈り上げた男性―――バーベリちゃんのお兄さんが、やや険のある声でそう言う。

服の下から見える身体は日焼けしているけれど、農作業によって付いたものではないだろう。恐らくは旅から旅を重ねてお金を稼ぐ、行商人の仕事の中で自然に焼けたと考えられる。

行商人は基本的に一人で積み荷を運び、金に換える。護衛はいるものの、彼らはあくまでもいざという時の武力行使が仕事だから、行商人の仕事に手を出すことはしない。

隊商でも組んでいれば話は別だけれどね。

そんなお兄さんの声に険があるのは、バーベリちゃんを救うという言葉が信用できないからだと思われた。

商人の家の末妹が呪いに倒れた―――それをきっかけとして、甘い汁を啜ろうと近寄ってくる人間は多いのだろう。俺ですら、性善説はそうであってほしいとは思うけれど、あり得ないことだって感じている。

人の心の底には必ず一欠けらの悪意がある。それを表に出すかどうかは本人の資質次第だけど、この世から悪を根絶することは善を滅ぼすのと同じくらいに難しい。


「俺達はアンタたちの事を信用できない。俺達の足元をすくおうとする―――バーベリを話題にあげて、金を奪い取ろうとする詐欺師は散々見てきた。腐っても俺たちは商人だから、被害には合ってないけどな」

「………」


さあ、素馨。詐欺師と思われてしまっているけれど、どう対応する?俺は、彼らの前に出るべきではない。ここでどうにかするのは、弟子である君のお仕事だ。

………無論、いざとなればどうとでもできてしまうんだけど、それでも、ね。対話って、大事だから。

素馨がお兄さんの言葉に軽く眉を寄せ、小さな声で唸った。


「えっと………まず、ですね。私たちは既に、対価を頂いているので、皆さんに対して何かを求めることはしません」

「………金は要らないってのか?」

「はい。要りません、というよりお金では魔法使いは動けませんから」


俺達だって飯の種が必要な事に変わりはないけれど、こと今回のような特異な依頼となれば、金銭以外のものを支払わなければならない。だからこそ、魔法使いに願うというのは少々、厄介なのだ。


「じゃあ一体何を求めるってんだ」

「………それはお教えすることはできません。ただ、先も言った通りです。既に、私たちはバーベリさんから対価を頂いていますから」

「バーベリから?」


寝ている彼女からどうやってという疑問が頭の中に渦巻いているのだろう。

当然だよね、そもそも彼女が霊体のまま長い時間を彷徨っていたという事を、彼らは知らないのだから。そして、これからも知る必要はない―――いいや。知ってはいけない。


「あとはもう、私たちを信じてくださいとしか、言い様がありません」

「信じてって………俺達とアンタは今日、初めて会ったんだぞ?そんなの、無理にッ」

「フサル。落ち着きなさい」


バーベリちゃんのお母さんが、お兄さんの名前を呼んで静かに窘める。

一瞬声を荒げたお兄さん………フサルさんも、大きく深呼吸をするとすぐに意識を切り替えたようだった。行商人には冷静さも必要だ。心を静謐な泉のように波立たせないことも、ね。


「今日が峠と、先生がおっしゃっていました。最期に、あの子が信じたという魔法使いを信じたって、いいじゃない」

「………どうやってバーベリが魔法使いに願うってんだ」

「そういう奇跡を起こすから、魔法使いって言われてるんじゃないの。私は、良いと思う。その、小さな魔法使いさんに託してみるのは。これが最期になるか、それとももう一度あの子の声を聴けるのか、それは分からないけどさ。………どう転んだってどうしようもなければ、私たちはあの子と別れるだけ」


お母さんとお兄さんのやり取りを、窓際で聞いていた女性、バーベリちゃんのお姉さんが素馨の味方をする。顔立ちは髪の色合いこそ異なるものの、成程確かにバーベリちゃんによく似ていると感じられた。


「まずは話だけでもしてみたら?あの子がどうして眠ることになったのか」

「………アルプ………ああ、ったく。分かったよ」


お兄さんが自分の頭に手を置く。数度叩くと、観念したようにお母さんの方へと視線を向けた。

そして最後、ここまでずっと口を堅く閉ざしたままのお父さんを見つめた。


「父さんも、それでいいか」

「………ああ。良いとも」


疲れ切ったような声だった。それでも、その声音の奥底には、救いを求める、そんな匂いが込められていた。


「―――こんな話を急に言われても、ソケイちゃんは困るかもしれないけどさ」


ぽつり、ぽつりと、バーベリちゃんの家族が言葉を零す。

遠い過去に刻まれた傷跡を、古傷の痛みに耐えながら、曝け出すように。


「あの子が呪いに倒れた七年前………いや、さらにもう少しだけその前、かな。私たちの一家は大きな損をしたんだ。商売の失敗でね」


ルスタモワ一家は、決して古くからある商家という訳ではない。寧ろ商人としてはかなり振興の部類で、現当主であるお父さん………ペリジーノさんのそのおじいさんの時代には旅から旅を続ける、行商人………今のお兄さんことフサルさんと同じような、けれどフサルさんとは違って、帰る故郷を持たない商人だったらしい。フサルさんの場合は厳密に言えば、定住商人といい、おじいさんの場合は遍歴商人と、細かく分ければ区別できるのだけれど、それはさておき。

このカーヴィラの街に居を構え、定住したのはペリジーノさんのお父さんの時代。でも、余程この街の定住の権利を手に入れるのに苦心したのか、まだペリジーノさんが若いころに、早くして亡くなってしまったらしい。


「父からは商売のいろは、その全てを受け継いだとは到底言えませんでした。それでも何とかこの街で織物や宝石類の仕入れを行って、家を大きくして、その中でノノ………妻と、出会ったんです」


お母さんこと、ノノさんと出会い、結婚したのはペリジーノさんとノノさんが二十六歳の時。その二年後に、長男であるフサルさんが生まれたそうだ。

長女のアルプさんは更にその四年後―――この辺りで、ペリジーノさんの商売は軌道に乗り始め、また成長したフサルさんに商売の才能があったことからも、家は安泰だと考えられていた。

その中で、アルプさんが生まれてから七年後、ルルさんは最後の娘である、バーベリちゃんを授かった。


「年齢的にも最後の出産でした。難産でしたけど、無事に生まれてきてくれたときは、神に感謝したものです」


………この世界の神様は俺の世界の神とは少々概念が異なるので、祈るとは違う。あくまでも守ってくれてありがとうございますと、戦の神に感謝するという形だったりする。

どちらにしても、医療の進化は現代には程遠い以上、三十五歳を超えての出産は母子ともに命の危険があるのだ。それでも、バーベリちゃんは無事、生まれ落ちてくれた。それはきっと、家族にとってはとても幸運なことで、幸福な事だろう。


「………バーベリが生まれて、四年が経った頃ですね。私が商売で大きな失敗をしてしまったのです」


高価な織物や宝石を仕入れ、それを売るという形で稼ぎを生み出していたルスタモワ商家。

けれど、ある時ペリジーノさんはその目利きで大きくミスをしてしまったのだという。


「大きな取引があって、大量の宝飾品と織物を仕入れたのです。別の街の貴族の方との取引で、かなり大きな利益を上げる筈でした―――しかし、詐欺師に掴まってしまったのです。仕入れた物品のうち、織物は本物でしたが、宝石類………これが、ことごとく偽物でした」


それが、最初のつまずきだったという。


「一度、転んでしまうと何度も同じことが起こるものです。補填を挽回しようと様々な事に手を出して、また同じく失敗を重ねて………気が付けば、今までの蓄えが底をつくほどに、大きな赤字を出していました」


ペリジーノさんは自嘲気味に笑う。


「大きなミスもなく来てしまったからこそ、こういう時にどうすればいいのか、分からなかった。足掻いて足掻いて、それでさらに被害を大きくする―――私は気が付けば酒に逃げ、家庭に不和を齎す存在になっていました。フサルはそんな私を見かねて、代わりに稼ぐと行商の世界に飛び込んで………アルプは、例え体を売ることになっても、家に金を入れてくれると………そんなことまで、言わせてしまったのです」

「………別に。商家の娘なら、貴族ほどじゃないけど利益のために結婚はするし、早いか遅いかの違いだっただけだよ」

「まだ小さかったお前に、それを言わせてしまった。それこそが、父として不甲斐ないという事だよ………ノノは、まだ小さかったバーベリにそんな家庭の歪みを見せないようにしながらも、酒に逃げていた私を叱り、繋ぎとめてくれていた」


そう。幼い少女だったバーベリちゃんには、その幸せなはずの家族の中に蠢いている、見知らぬ誰かの悪意より染み出してきた汚い所を見せないようにと、そう家族みんなが願っていたのだ。

それでも子供というのは気が付くものだ。特に、バーベリちゃんは決して愚かではない女の子なのだから。


「私たちも、当時は段々と疲れてきて、バーベリに幸せな家族を取り繕うことも難しくなってきていました」


―――あの子はそんな家族の気配に、気が付いていたのでしょう。段々と増える喧嘩や不和、隠しきれない借金の匂い。

バーベリちゃんはきっと、こう思ったのだ。「私がここにいたら、ただでさえ大変な、大好きな家族がさらに苦労してしまう」と。


「その辺りからです。バーベリは、私たちに気を遣うようにして、一人で出かけることが多くなりました。友達と遊んでくるとか、ちょっと薬草を摘む、とか………街の近郊にある黒い森は、一番多く向かっていた一番の遊び場だったのです」


遊び場、といっても実際に遊んでいたわけではない。ただ、家族の邪魔をしないようにと、息をひそめる様に、視線から隠れる様に、潜んでいただけに過ぎない。


「本当は一番、愛情が欲しい時期だっただろうに………」


ペリジーノさんのその言葉に、家族みんなが顔を俯かせる。


「そんなことが三年ほど続いて、フサルの行商の利益や、妻と一緒に家の商売を手伝ってくれたアルプのおかげで再び商売が軌道に乗り、ようやく借金が少しずつ減ってきた時です」


………変わらず、家族に気を遣う様に、息をずっと潜めていたバーベリちゃんが、黒い森で呪いに倒れたと。

そう、街の衛兵から伝えられたのだという。













夏の暑さで体調不良です………部屋に、エアコンが、無い………

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