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眠り姫と毒林檎



翠の瞳を持つ魔法使いが囁く。

それと同時にいよいよ緞帳がその幕を開けた。

マツリ、と名乗ったその美しい………悍ましいほどにすら美しすぎる少女が視線を前に向けたので、私も同じように視線をそちらへと移した。

―――この少女は普段は表情をころころと変えて、時には幼げな可愛らしい様子すら見せるのに、今はどこか歯車を違えてしまったかのように、歪にすら思える人ならざる美を私の目に映す。

その魂を人外に憑りつかれた存在、月の狂気に魅入られた職人が作り上げたような、一切の無駄を削ぎ落して、その余白にありとあらゆる美だけを詰め込んだかのような、それほどに輪郭も身体つきも、顔のパーツの一つ一つも完成されたような、そんな少女。

最初に出会った時のマツリさんと、今のマツリさん、その印象は全く異なるけれど、一体どちらが本当の彼女なのだろうか。

思考の隅でそんなことを考えながらも、舞台へと注目する。

二階席からでは役者の顔までは見れない。だけど劇の全体を見るにはこの二階席の方が適しているんだという事を、初めて知った。

私には経験がないことだった。こうして演劇を観覧するなんてこと、生涯で一度だってある筈がないことだって思っていた………いや、分かっていた。



眠り姫と毒林檎。その題目を持つ演劇のストーリーは、ある意味ではありきたりといえるようなものだった。

森に囲まれたとある小さな王国、そのとある国王のただ一人の娘―――美貌を誇る小国の姫。

彼女は森の中でとある木こりの村人と出会う。

小さな小さな王国の姫様は、その国の村人とそれはそれは簡単に恋に落ちるのだ。


「私は気が触れていると思う?」

「えっと、どうしてそんなことを?」

「こうして城を抜け出して、森の中をあなたと歩くこと。普通のお姫様はこんなことしないわ?王国の他の貴族の少女たちなら尚更ね」


お転婆なお姫様は、お城の侍女や騎士の眼を掻い潜り、なんども城を抜け出して、森の中を遊び回る。

一見すればお淑やかなのに、その声音をころころ(・・・・)と変えて驚くべき活発さで森の中を駆けまわる。誰もが羨望するはずのガラスの靴を無邪気な笑みで放り投げ、泉の中に足を浸し、小さな野イチゴを摘んでその甘酸っぱさに頬を弛める。

勿論、劇である以上は舞台装置は多くが作り物だ。背景を形作る城だったり、登場人物である騎士の鎧や木こりの斧は、本物ではない。だけど、樹木は自然のものを使っているようで―――その香りは、私をひどく懐かしい気持ちにさせた。

黒き森には深く樹々が茂っている。それは表層であれば、柔らかくも深い、森の香りを漂わせてくれる。私にとってそれは慣れ親しんだものだった。

そうとも。手を伸ばせば触れられる深緑の蒼さも、その樹々の隙間から零れ落ちる陽光も、身体を包む森のどこか重くも心地よい空気も、私は全てを覚えている。


「確かに普通じゃないかもね。お転婆といわれても仕方ない………ある意味では考えなしかもしれない」

「あら、失礼なことね。お姫様に対してそんなことを言うなんて、不敬って言われても仕方ないわよ?」

「不敬であっても、僕は言うよ。僕は、そんな君を愛している、ってね」

「嬉しいわ、私のたった一人の光の君」


クスクスと微笑みながら、お姫様は木こりの頬へと口付ける。

丸太に腰掛け、足をブラブラと宙に投げて。真にお姫様は木こりを愛しているのだろうと、傍から見ても分かるほどに優しげな瞳を向けている。


「………ずるい、ずるい、ずるいわ!」


淡くも可憐な恋心を育てていく木こりとお姫様。

そんな二人を祝福するように妖精たちは彼らを彩って―――だけど、そんな彼らを、嫉む瞳が一つあった。

ほんの少し白い鼻先にそばかすの散った村娘。決して器量が悪いわけではないけれど、その少しだけ黒く濁った瞳が、彼女の印象を曇らせる。

彼女は木こりに恋をしていた。それと同時にお姫様に、どうしようもなく憧れていた。人の心、小さな悪意。決してそれは大罪ではないけれど………仄かであっても、黒く染まった意思は、悪しきものを呼び寄せるのだ。

知っている。私はそれを、理解している。前髪に隠された左眼を、そっとなぞった。


「お姫様を、どうしたい?」


森は漆黒に染まる。舞台の上で天上は翳り、陽の光を掻き消したその場所で―――蝙蝠の翼を大きく広げて悪魔は囁く。

村娘は望んでしまった。その心の底で、決して表には現れない筈のその想いを。

………愛する人を奪うものなんて、いなくなってしまえばいいのに。


「違うわ………私はそんなことまで望んでなんて」


村娘は心臓を抑え、大きく首を振る。髪をかき乱して、手のひらの上にあるそれ(・・)から顔を背ける。

たとえ言葉として願っていなくとも、悪魔はその心理を嗅ぎ取るだろう。それ故に悪魔は………人へと悪意を持つ魔は、その名で呼ばれるのだから。

大地より生まれ、魔女によって形作られ、人を嘲笑い、歪に願いを叶える悪魔は、村娘のそのどこまでも穢れてしまった欲望を、肯定するだろう。闇より黒く、誰にも救えないほどに凝り固まったそれを。

そして、その欲が形をなしたそれ(・・)から、彼女は目を離すことは終ぞ、出来なかった。


「彼女と君は、異なるのでしょう。君は強かった、自分の本当をすら、隠してしまえるほどに」

「―――っ」


ねえ、あなたは………魔法使いは、どこまで私を見ているの?

私の瞳の奥から、私の魂の輪郭を捉えているかのように、或いは私の心を暴くかのように。

胸元に当てた自分の手。その指先が震えていた。魔法使いの語りは、私にしか聞こえないほど小さな声なのに、するりと私の深い所を、傷つける。

いいえ。これは、傷つけられたんじゃなくて―――。


「ごめんなさい………ごめんなさい」


その声に、再び意識が劇の中へと舞い戻る。物語はまた先へと、進んでいた。

甘い甘い毒林檎。

お姫様は村娘から受け取ったそれを、疑いもせずに頬張るのだ。

その村娘の瞳の片方に涙がこぼれていることを知っていても。その毒林檎が、自らを害するものだと知っていても。

お姫様は純真無垢で、人を疑う事をせず―――人の善性を信じていた。お姫様が関わる全ての人が、決して悪ではなくて。幸せになるだけの価値がある人々だと、愚かだと言われても尚、信じていた。


「いつか、目覚める日まで。私をどうか、見守っていて」


お姫様は、村娘の黒い淀みを流しきるようにして零れ落ちる雫が彩る左の頬に手を当ててから、静かに小川の辺に腰を下ろす。

まるで息を止める様に。或いは日が沈んで翳るように、自然の摂理のようにお姫様はその命を眠らせる。

いつか目覚めると信じて、と。そう、自らに毒林檎を差し出した村娘にすら、微笑みかけて。


―――古い古い物語。今は無き小さな王国の昔語り。

美貌の姫は、毒の林檎で眠りにつき………花で飾られた柔らかなベッドの上で、いつまでも姫は眠り続ける。

百の夜を超えて、夜も昼も問わずに永遠という呪いに浸されたお姫様。それを守るように、幾つもの人々が花を飾る。

手向けるのではなく、飾るのだ。その花に注がれた命と願いがやがて、祝福となってお姫様を目覚めさせるように、と。

彼女を待つ。何時までも、待つ。

………待っているのは、彼女が愛した木こりの男。そして、憧れ嫉妬した村娘。愛し、悔いて、そして傍でその手を握る。

待っているのは国王様。そしてそれから王妃様。昔からの幼馴染の御令嬢たち。いつかお姫様を嘲っていた貴族の方々すらいるかもしれない。きっと、いるだろう。

みんなみんなが待っている。その目覚めをいつまでも、待っている。だって、信じているから。


―――お姫様は、呪いになんて負けはしない。そう信じている私たちの事を、お姫様自身が誰よりも愛し、信じていることを、知っているから。


「待っているわ―――」


私たちが愛する、あなたの目覚めを。


どれほどの時間がかかっても、家族の目覚めを、願っている。


………劇は終わり、気が付けば私は魔法使いに手を引かれ、雨模様の空の下に立っていた。

何処から取り出したのだろう、私たちを空の涙から隠すようにして広げられた、淡い空色の傘布によって弾ける雫を眺めていた。翠と金の瞳が、気遣わし気に私を見る。

少しだけ霧が出てきたカーヴィラの街の地面に、視線を落とす。


「今の、劇は」


―――本当に、現実のものなのですか、と。

問いかけようとして、無駄だと気が付いた。望めば奇跡すら叶えて見せる魔法使いに、私程度の常識が通じる筈もないのだから。

左眼が熱を帯びる。傷が開いたかのように、久方ぶりに胸の奥が疼く。痛みに似た、感傷だ。

実際に、私という存在の傷が開いたのだろう。いつか死を願うために封じ込めた、私の心のかさぶたが罅割れて、そこから思いが溢れだす。


「見つかったかな。君の願いが」

「………ええ、ええ………」


執着にも似て、悲痛な叫びにすら変わりうる。

それは痛みを伴って、私の魂を古びた傷と病に侵されたように、どうしようもなく揺さぶる。

―――そんな抗うことも難しい、心の底から滲みだし、這い出てくる強い想いの事を、人は願いというのだろう。


魔法使いにとって、冷たい意志によって定めた私自身の死の願いは、願い足りえなかった。

じゃあ、この思いはどうだろう。この願いは、どうだろう。

涙にすら変わりうる、この痛みは………。


「言ってごらん、シャムロックの少女よ」

「私は………私、は」


どうか、お願いです。私を、もう一度―――。


魔法使いは囁く。

人ならざる、その美しすぎる微笑みで。けれど、優しい在り方で。

良く出来たね、と頭を撫でて、褒めてくれるように。


「その願いを、叶えましょう」


だって俺は、魔法使いだからね……その言葉に頷いて、私は瞳を閉じました。








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