シャムロックの少女、バーベリ
………異世界。
この世とは違う理を持ち、この世とは異なる道を歩んだ、凡そ現実とは思えない、文字通りの別の世界。俺が迷い込んだのはそんな世界で、この異世界の事を文字通りの世界、けれど少しだけ異なるという意味から異世界―――と、呼ぶ。
まあ創作物でよくある、日本とかそういう国家がある地球とは全く別の世界という事だ。とはいえ、この世界には非常に俺にとっての元の世界に似通った場所も多いのだけれど。ちなみにしばらくこの世界で過ごしている俺の所感からすると、この異世界の文明レベルは中世から近世までと幅広いものだったりする。
例えばだけど、このカーヴィラの街には魔道具によって駆動する鉄道が走っていたりする。俺が住んでいる洋館には焜炉があるし、お風呂場の水もシャワーヘッドからお湯が出る仕様で、トイレも水洗式なのだ。
一方で、銃火器はあまり普及しておらず、騎士と呼ばれる人たちが戦力の中心。先も言った通り鉄道はあるけれど、車は無くて街と街を行き来するならば馬車が移動の主流だ。
服飾はデザインこそお洒落だけど、機械による大量生産なんてものは流石ない。この辺り、こっちの世界は科学じゃなくて魔術で発展してきたからこそ、俺の知る世界とは発展のバランスが異なっているんだと判断している。文明レベルが混ざり合っているのはそのせいだろうね。
さて。そんな世界にはエルフと呼ばれる種族やらドワーフやらも居て、獣人という獣の耳や容姿を持つ人々もいる。そこだけ切り取れば、まさに誰もが想像するファンタジーの世界といった雰囲気だろうね。
ああ、一応補足しておくと素馨は実は獣人ではないのだけれど、それは追々語るとして。
少なくとも、今俺たちの前に現れた少女は、見かけは普通の人に見える。
「うー………」
そんな風に小さく唸って、目の前に置かれたクッキーとにらめっこをしている少女に俺は苦笑すると、指先でそのクッキーを摘まんで、彼女の口元へと持って行った。
「大丈夫。食べられるよ」
「………本当?」
「うん。俺は無意味に嘘はつかないよ。そう言う風に出来ているんだ、基本的にはね」
俺も俺で、色々と背負うモノだったりしがらみだったりもあるからね。呪われた果てに俺は存在するわけだから、縛りとでも言うべきものもいくつかあるのだ。
まあ呪われることの全てが悪だとは俺は思わない。時に呪いが祝福に転じることだってないわけじゃないのだから。俺の場合、俺を呪った相手が相手だったりするからそもそも他の人の呪いとは同列に語るべきではないのかもしれないけど。
指をクッキーに向けてはひっこめてを繰り返している少女に苦笑すると、俺はクッキーを摘まんで彼女の前に差し出した。
半ば隠されていても分かる、大きな瞳で瞬きをした少女は、勇気を込める様にその頬を少しだけ膨らませて、勢いよくクッキーに齧りつく。半分ほどまで口の中に入れて、そこで割った後、口の中でハムスターのようにもぐもぐと租借し始める。
「美味しいかな?あちらさんのために作った新作なんだけど」
「うん………美味しい!」
「ふふ、それなら良かったよ」
図らずしてあーんしてあげるような状態になってしまったなあなどと心の中で思いつつ、更にクッキーに手を伸ばし始めた少女に柔らかく微笑みかけた。
………うん、隣に座っている素馨が羨ましそうな表情でこっちを見ているけれど、君にはあとでやってあげるから。今は待っててね?
「こほん。それで、まずはそうだね」
―――俺の家である洋館の一室、リビング。客間を兼ねているこの場所にはキッチンの他、年代物の樹木を切り出した、分厚い一枚板のテーブルや木製の温かみを感じる椅子が四つほど用意されている。洋館という構造上、現代の家みたいに大きな窓があって外に自由に出入りできる、みたいなことはできないけれど、大きな窓がいくつも設置されており、日差しも月明かりも良く部屋の中へと注ぎ込む。
隅の方にはロッキングチェアがあって、暖かい日とかはそこに座ってうたた寝するととても気持ちが良いんだよね、っと、それはさておき。
テーブルの上に置かれた小さな香炉。その中には素馨に頼んだ通り、ホワイトセージのお香が焚かれている。薄荷にも似た爽やかな香りを纏う煙が部屋の中を緩やかに漂っていた。
その煙に視線を向けつつ、俺は少女に向けて問いかける。
「君の名前はなにかな、シャムロックのお嬢さん」
カップを人差し指と親指で掴み、ハーブティーを口に含む。レモングラスにカモミール、少々のミントか。口当たりもさっぱりしていて、頭もよく冴える。良いブレンドだと、あとで素馨を褒めてあげないとね。
ゆっくりと飲んで、カップの中身が半分程度まで減った頃、意を決したように少女は口を開く。
長い前髪の中から紫の輝きが覗き、俺の翡翠と混ざり合う。強い意志を持っているのは間違いないと思うけれど、さて。
「わた、しは………私は、バーベリ、です」
「そっかそっか、バーベリちゃんか~」
鼻を動かす。うん、大丈夫。嘘の匂いはしないね。
けれどそれはそれとして、隠していることはあるようだ。なぜわかるのかといえばまあ、勘と経験かな?
魔法使い歴もそれなりだし、魔法使いとしてじゃなくてただの薬師として相談に乗ることも最近は多いからね。とにかく、名前が知れた。ならば次に問うべきことは決まっている。瞳を少しだけ伏せて、バーベリちゃんへと言葉を投げかける。
「じゃあ―――君の願いを聞かせてほしい」
シャムロック………三つ葉のクローバーの少女よ。
君は俺に、魔法使いという存在に一体何を望むのだろう。そして、何を対価に支払うのだろう。
魔法とは万能の力だ。けれど全能ではない。望む願いの強さに応じて、支払うべき対価は必ずある。一切の代償無く叶う願いなんてことは、誰のためにもあってはいけないから。
無作為に願いを叶え続ける願望機はどこまで行っても歪なものだ。夢をかなえる代償が努力であるように、常に齎される願いには対価が必要になるのは、自然の摂理といえるのである。
少しの沈黙が落ちる。隣の素馨もまた、その獣の耳をぴくりと揺らしてバーベリちゃんの言葉の続きをじっと待っている様だった。
「………私は、呪われている、らしいんです」
呪い。その言葉を聞いた瞬間に俺もまた、自分の左胸―――心臓の上へと、手を置いた。
柔らかで仄かに膨らんだ胸の奥から一定の間隔で脈動する心臓の音を、指先で感じる。
「私がいることで、大切な人たちが不幸になっちゃうんです」
震える唇から息を吐き、強い意志を込めた悲壮な瞳が俺を見る。
うっすらと水気を帯びたような紫の右の瞳に、陽光を散らす朝露のような光が舞う。左の眼は、見た目こそは何も変わらないけれど、ほんの少しだけ。
本当に僅かではあるけれど、違和感を感じた。ああ、と思い至る。今は違いは殆どないけれど………色を、失くしているのか。
しかも、ただの色彩ではなく、その本質を。
テーブルの上に指を置く。軽くトン、と叩けば香炉の煙が散って、部屋の中に満遍なく振りまかれる。
………魔法使いとして生きることになった俺は、幾つか別名があって、そちらで呼ばれることがある。その内の一つが、煙霧の魔法使いだ。
霧や煙は俺の魔法であり、香炉のそれもまた俺の力なのだけれど。
「………弾かれるのか」
呪文すら唱えない簡単な魔法とは言え、干渉そのものを弾かれた。
バーベリちゃんに掛けられている呪いはどうやら、余程根の深いものであるらしい。そもそも、他にも理由があるとはいえ一見しただけでは俺が見抜けなかった時点で、その呪いは生半可なものではない。
「先生………?」
「大丈夫。様子を見ただけだよ」
魔法を聞いた素馨がこちらを伺うが、人差し指を唇に当ててそう言った。
「それで………その不幸を、取り除きたいんだね。恐らくは、どんな手を使っても」
「………はい。魔法使い様、どうかお願いです。私を」
覆らぬ意思を言葉にするように、深く息を吸ったバーベリちゃんは、告げる。
「私を、殺してくれませんか?」
キャラ紹介:素馨
マツリちゃんの弟子である素馨についてのご紹介です!
元々のリメイク前ではかなり後になっての登場のキャラでしたが、実は構想自体はかなり最初期からありました。彼女の名前である素馨がマツリちゃんと同じジャスミンに分類される名であることがその証拠となっております。
リメイク時には、じゃあ最初期の構想通り最初から出してしまおうということで、既に弟子として一緒に暮らしている設定となりました。彼女の出会いは勿論、リメイクして綴りたいと思います。
キャラ設定については殆ど差異はありません。黒い髪に金の瞳、そして最も特徴的な頭の上の猫の耳という見た目も、そして扱う魔法もその性格も登場時のままです。可愛らしくも頼もしい弟子として、マツリちゃんと一緒に物語を追っていく、次なる語り部なのでした。
今回はここまで、評価等もしていただければとても嬉しいです。それでは次回の更新もお付き合いいただければと思います!




