伯爵夫人と親衛騎士
「あー、うーん?」
このカーヴィラという街の、恐らくは今俺がいる場所は目抜き通りと呼ばれる場所なのだろう。
噴水広場から当てもなく歩いていたらこんな場所まで来たわけだけど、どうにも困った事態に陥っていた。
困った事態とは、まあ簡単な事で、
「文字、読めねぇ~………」
お兄さんから聞いたことで確定している情報、ここは日本じゃない。つまり、だ。日本じゃない以上、使われている言語は日本語じゃないということである。ついでに言うと明らかに俺が今までいた世界で使われていたような文字じゃないですね、はい。
一応英語に近い形状な気がするけどよくよく見ると細部が違う。文法とかは同じなのかもしれないが、そもそもただの高校生だった俺に英語の文章を完璧に翻訳する技術なんてない。というか俺、そこまで頭よくない。
俺からしてみればこの世界の恐らくは文字だと思われるそれと、エジプトの象形文字と大して差を感じられないレベルである。絵ですよ、絵。異国の文字なんてそんな風にしかとらえられない。
………いや、異国なんてものじゃないのだ。ここは異世界なのだから。
「中世から近世って感じの時代なのは間違いないなぁ。………魔道具がたくさんあるから、暗黒時代の中世より幾つか歴史が進んでる場所があるっぽい」
ランタンには油を使うものと変な石のようなものをはめ込んで使うものの二つがあるようだし。
脂の方が安価なのか、露店を出している人たちはそういうタイプのランタンを使っているのだが、身なりの良い俗に言う豪商みたいな人たちは、魔道具の方のランタンを使っているみたいだった。
油の匂いがしないからよくわかる。こういうときに鼻が効くって便利だなぁと我ながら思ったり。
さて、そんな豪商の方々は金貨を取り出して商売をしているときがあるけれど、
「貨幣は金貨と銀貨を使うんだなぁ。でも流石金貨の出番は少ない、と」
金貨は国家間の取引とかに使われることの方が多い、まさに大金なので。一般の人間は銀貨を扱うらしい。
その銀貨は最大で四等分までされていて………なんだっけ、ファージングっていうんだっけな。銀貨四分の一の額面価値がある、割られた銀貨の事だ。
二分の一にされたものはハーフと呼ばれる。確かこれは元の世界だと中世の西ヨーロッパで使われていたペニー銀貨で用いられていた、貨幣の切断だった筈。
日常の支払いでぴったり額面があるなんてこと、そうはないので、当時の人たちは銀貨を二等分や四等分にして額面をうまい事調整していたらしい。
確かに普段の生活で多く使う貨幣が銀貨しかないのは不便だろう。日本だって一円、十円に百円、五百円と硬貨だけで四種類が常用されていて、その上で紙幣があるのだから。
つまりはまあ、この世界に暮らす人々の生活の知恵ということ。ま、最終的にこの時代とかの銀貨金貨の扱いって、重さと含有量が決め手だった筈。それに紙幣とは違ってこういう金銀貨幣は貨幣そのものに価値がある。
信用がなくなれば正真正銘の紙屑にしかならない紙幣とは違って、多少削ったり割ったりしてもある程度の貨幣価値は維持されるのだろう、多分だけど。
道端に落ちてた銀貨を取って裏返しにすれば、裏には十字状に延びる葉っぱがある。その葉に沿って割るのだろう。近くの商人さんにその銀貨を返して、俺は更に歩いた。
「………あの豪商、服に砂埃がたくさんついてる。荷車も食料品が少ない。街の外から来たのか」
見た感じカーヴィラの街には海はない。でも交易路の中心とも思えない。だとすれば、お兄さんが言っていたアストラル学院というのがそれだけ商人を呼び寄せるだけの何かしらの価値を持つということなのだろうか?
「妖精との共存………ってのが大きいのか?」
駄目だ、全然わからん。
しかも目抜きだけあり、人通りが多い。慣れない街並みをいろんな情報を逐次取り込みつつ歩くというのはさすがに疲れてくる。こういう時は一旦小休止するのが良いと相場が決まっているのだ。
無理をしても良くないのは、異世界だって同じはずである。ということで、目抜きの人の流れの外へと抜け出すと、食べ物を出している屋台の横へと腰かけた。
何かの焼き串だろうか。鼻先に漂う美味しそうなお肉の香りに思わず腹の虫が鳴る。
「………腹減ったなぁ。カップ麺あるけど、お湯ないし。どうするかなぁ」
ビニール袋を置き、足を投げ出すと、屋台の中で切り盛りしているおばちゃんが俺の方に視線を向ける。ふくよかな表情が不思議そうな顔に変わった。
「珍しい服装だねぇ、アンタ」
「うっす。なんか、俗に言う異邦人ってやつです」
「なるほどねぇ。出身はどこだい?」
「日本っすねぇ」
「知らん国だねぇ」
「ですよねぇ」
とりとめのないそんな雑談をしていると、おばちゃんが焼き串を一本差し出してくれた。
「アンタ、腹減ってんだろ?ま、ここで言葉を交わしたのも何かの縁だ、食ってきな」
「いいんすか?」
「嫌いじゃないならね!豚の内臓だよ!」
「わ~い!!」
頂いた串に齧り付く。
恐らくは豚のホルモンだろう。しっかりと余分な脂が落され、カリッとした食感とたっぷりつけられたタレが食欲をそそる。
牛ホルモンとは違って豚の方はあっさりしているものだけど、その分よくしみ込んだ濃い味付けのタレが豚ホルモンと共に舌の上で旨さを爆発させる。
この屋台のタレはお肉を引き立たせるだけでは無くて、主役級のうま味を内包しているのだ。
そんなこんなで俺はあっという間に食べつくしてしまった。
「美味しかった~」
「いい食べっぷりだねぇ、アンタ。そんだけ美味しそうに食べてくれると嬉しいよ」
「ごちそうさまでした!!」
「いいってことさ!―――おや?」
屋台のおばさんの視線がふと上を向く。
………気が付けば、俺のすぐ目の前に、この世のものとは思えないほど美しい女性が佇んでいた。
絶世の美女としか言いようのない、そんな女性。
はかなさを感じさせる薄い肌の色に、色素の薄い蒼い瞳。それらを際立たせる、真っ直ぐな銀色の髪。
顔立ち、プロポーション、立ち振る舞いに至るまで、全て洗練された美しさを持つ人であった。
日傘と日よけ帽によって落ちた影が、日と闇のコントスラトによってさらに魅力を醸し出している。
「まあ!伯爵夫人様!」
「こんにちわ、マダム。お邪魔してもよろしいかしら?」
「こんな粗末な屋台の食べ物でしたらいくらでも!」
「そんなことを言わないで。そこの方がとても美味しそうに食べるものだから、気になってしまったの。わたくしにも一本、頂けるかしら?」
「そりゃあもう、喜んで!お代も要りませんよ!!」
「ふふ、そうはいかないわ。あ、でも私がここに来たことは黙っていてくれると嬉しいわ?実は、護衛の親衛騎士を巻いて来ているの………ふふ、内緒よ?」
「まあまあ!それは、分かりました!毎度ありがとうございます、伯爵夫人様!」
「こちらこそ、マダム」
そう言って、その絶世の美女は銀貨をおばちゃんの手に握らせた。
そして代わりに渡された串を手に持つと、なぜか俺の横に腰を下ろした。
「………うぇ?」
「本当に美味しいのね。なかなかこういう屋台でご飯を食べる機会がないから、新鮮だわ」
「そ、そーなんですねー」
「あなたのおかげよ」
………距離が、近い!
有り得ないくらい美人の人がなぜか俺の肘が触れる距離にいる。睫長いし纏っているワンピースのようなドレスすっごく綺麗だし!
というかその真っ白なドレスで腰掛けたら汚れてしまうんじゃないだろうか。そんなことを悶々と考えていると、焼き串を食べ終わったその伯爵夫人様が、俺の首元に口元を近づけていた。
さらに、整った鼻が微かに動く。匂いを、嗅がれた?
「貴方、名前は?」
「お、俺は痲草茉莉です………」
「そう。マツリ、マツリというのね。珍しい名前、憶えたわ」
「あ、ありがとうございます?ところで、なぜ匂いを………?俺、臭います?」
「突然ごめんなさいね。でも、とても良い匂いがするの―――食べちゃいたいくらい」
「はぇっ?!」
口元を綻ばせた伯爵夫人様は俺の頭を軽く撫でてから立ち上がる。
そしておばちゃんにもう一度お礼を言った後に、その場を立ち去る。その直前、俺の方を振り返って、
「また、会いましょう。マツリ」
そう、言った。
………俺、からかわれた?
「えーっと、おばちゃん。今の人って?」
「この街を治める伯爵夫人様、カーミラ様さ!いつまでもお若くて、器量もよくて……。今回だって本来の金額よりずいぶん多めに払ってくれて……街のみんなの人気ものなんだよ」
「めっちゃ偉い人じゃないですかー」
「そうさ。この街で二番目に偉い方だよ!………アンタ、親衛騎士の前であの距離に居たら殴り飛ばされてもおかしくないからね?気を付けなよ」
「えぇ………気を付けます、はい」
どう気を付ければいいんだという話ではあるが一応頷きつつ。
それにしてもカーミラ様、か。この街はカーヴィラという名前なので、恐らくは彼女からとっているんだろうけれど。
名前、世襲制なのかな?これだけの街が出来るには間違いなく百年程度は必要だろうけど、カーミラ様はかなりお若い人だし、お母さんから名前を受け継いでいるのかもしれない。
この街で二番目に偉いと言っていたし、旦那さんが一番偉いんだろう。あんな美人さんを娶れるなんて羨ましいと思ったり思わなかったり。、
「さてと。おばちゃん、俺もう行くわ」
「あらま。気を付けなよ?アンタ、ちょっと危なっかしいからねぇ」
「マジ?そんな風に見えるんだ。ありがと、おばちゃん。気を付けるよ」
「それと、これ持っていきな!」
「………え?」
元気よくおばちゃんに渡されたのは、食品用の厚紙に包まれた焼き串の束だった。
「あんたのおかげでいい宣伝になったみたいだからね!」
「………それ、たまたまだし、建前でしょ?」
「分かってんじゃないか!だったら言葉にするなんて無粋だよ!」
「確かに」
「頑張んなよ、異邦人!」
「………おーう!」
親指を立てるおばちゃんに、同じ動作を返して答え、人の流れに戻る。
焼き串を頬張りながら、俺は再び街の中を歩き始めた。
「いい人ばっかりに出会えてよかったなぁ。我ながら幸運かも。まあ、元の世界に戻る方法を探しつつ、まずは働き口をみつけないとなぁ」
お金がなければ飢えるだけである。
簡単に元の世界に戻れれば苦労はしないだろうし、その間の生活のためにお金の確保は急務だ。
そんな訳で文字が読めないながらも街中を散策し、求人票などを探していると、急に前を歩いていた人にぶつかる。鼻を抑えて立ち止まると、どうやら人の流れそのものが止まっている様だった。
何事かと思い、周囲を見るも、人垣に埋もれ一切情報確認ができない。
西欧人は背が高いというが、それはこちらの世界でも同様のようだ。
少し考えて人の波の中を潜り込んで情報を得ることにする。何があったんだろうと前へ、前へと進んでいくと。
「貴様、今すぐにその言葉を訂正しろ………」
発した言葉の中に納まりきらない怒りが伝わってくる。
人の流れを止めていたのは、騎士とそれから………商人の少年だった。騎士、といっても性別は女性である。濃紺の髪に空のように青い瞳。その髪は動きやすい様に後ろの方で一つにまとめられ、瞳は激情に彩られている。
「我が主は街の誇り………何も知らない小僧が、侮辱して良い相手ではない!」
「………じ、事実だろ?百年以上歳を取らないなんて、魔女と一緒ッ」
「―――一線を越えたな、貴様。魔女と、あのお方を同列に扱う、だと?」
音もなく、その女性の騎士の腰の剣が引き抜かれていた。
動作が一切見えないほどの、超高速。片手に握られているのは、切っ先の無い処刑人の剣と呼ばれるものだった。その刀身は透き通った白銀で………構える姿と相まって、人を殺める筈の剣だというのに、見蕩れるほどに美しい刃であった。
このままじゃ間違いなく、あの剣は振り下ろされて、白銀の刀身は血に染まるだろう。
………ぼんやりとそんなことを考えて、いやいやと頭を振る。それは、不味いでしょ?!
振り上げられた刃に向けて、思わず俺は走り出していた。




