目覚めたての世界で
森の中の大きな都。妖精と人が共存するただ一つの街。
そんなカーヴィラの街には魔法使いがいるらしい。
らしい、というのは私は実際に魔法使いが起こす奇跡に立ち会ったことはないからだ。でも、私は魔法使いによって命を助けられたらしい。
「バーベリ、体調はどう?」
「食欲はあるか?目の調子は………」
「父さん、母さん、急に聞いても困るだろ………ちょっと落ち着けよ」
お父さんとお母さんと、兄さんが私のベッドの周りでそう騒ぎ立てる。心配と安どから来るものだってことは分かってるから、大丈夫だよ。
姉さんは、そんな私たちを壁際から優しい瞳で見守っていた。
「元気いっぱいだよ、お母さん。目も、左目は見えないけど………でも、問題ないと思う」
私は左眼に手を当てる。無色の魔神というものを見てしまったらしい私の左眼は、色彩を捉える機能を失ってしまったらしいのだ。だから、もう二度と左眼で光を写すことはないらしい。私の髪の色が真っ白なのもまた、その魔神のせいなんだとか。元は家族と同じ髪の色だったけど―――これもまた、もう戻らないとか。
私が目覚めた時に出会った小さな、黒い猫の耳を持つ魔法使いさんが、そう言う風に教えてくれた。
彼女が私の呪いを解いてくれたのかなと思ったけど、実はそうじゃないらしい。あの素馨さんという方はあくまでも魔法使いの弟子で、本当に呪いを解いてくれたのは彼女の師匠なんだとか。
でもその師匠さんには私も、私の家族も出会ったことがないので、正体は不明だったりする。
いつかお礼を言いに行きたいな。
「でも………」
(もしも、また魔法使いに願うようなことが生まれれば、再び出会うこともあるかもしれませんね………)
素馨さんはそんな風に言って、少しだけ寂しそうに笑っていた。だから、同じ街に住んでいる筈なのに、もう出会うことはない気がしたんだ。
大きな街ではあるけれど、それでも国や世界という規模じゃない筈なのに。魔法使いというのは空を漂う雲のように気まぐれで、掴みどころがないような、そんな印象を感じた。
………変な話だ。私は魔法使いの事を何も知らないのにね。でも―――私を助けてくれた魔法使いは、魔法使いという在り方を心の底から大事にしていて、それでいて底なしに人が良い、そんな人であると思うのだ。
そんなことを考えていると、病室の扉が開かれて、その向こうから私がずっとお世話になっている診療所のお医者さんのおじいさんが現れた。
私が目を瞬かせてそちらを見れば、それだけでも嬉しいらしく、表情が綻ぶのが見て取れる。ずっと、本当にずっと眠り続ける私の面倒を見てくれていた人なので、多分孫みたいな扱いになっているんだろうなぁ。
そんな扱いが嫌な訳じゃないし、むしろ嬉しいんだけど。
「さあ、診察の時間です………とはいっても、もう呪いもすっかり消え去って、身体も健康に近い。退院しても問題はないでしょうなあ」
「では………?」
「ええ。一応、検査のためにここに留まっていてもらいましたが、もう大丈夫―――今日にでも、家に帰れますよ」
「まあ!!」
お母さんが両手を合わせて喜ぶ。お父さんも、目じりに滲んだ涙を拭っていた。
「よかったね、バーベリ。あ、といっても実感ない?寝てたんだもんね、気が付いたら一瞬でこんな時間が経ってたって感じなのかな」
「………どうだろ。なんかね、夢を見ていたみたいで、時間が経ったっていう感覚はあるんだ」
頭を撫でてくれる姉さんの手に瞳を閉じる。
ただ眠っていたのとは違って、不思議とこれだけの年月を重ねたという実感だけはあるのが不思議だった。まるで、きちんと起きていたかのように―――記憶は何もないから、ますます不思議なんだけど。
「あ、そうだった。ソケイさんからね、バーベリに退院祝いが送られてきたんだったわ」
「………どうして、あの方は今日退院と分かるのでしょうなぁ」
「魔法使いだからとしか言えませんね。そもそも、我が家の前にいつの間にか編み籠が置かれていましたし」
お母さんが取り出した籠の中には、三つ葉のクローバーが象られた丁寧な造形のクッキーが治められている。さらにその横には白い一枚の手紙が一緒に入っていた。お父さんがそれを手に取って、私に差し出してくれたので、受け取って蝋で閉じられた封筒をナイフを使ってそっと開く。
手紙に書かれていたのは、ただ一言だけだった。
「『good-by』………?」
その文字を目にした瞬間に、理解した。
―――私の人生に、もう魔法使いは必要ないんだという事を。だから、あの人たちは私にこの手紙を送ってくれたんだろう。
もう思い悩まなくていい。適正な対価は支払われた。だから、お礼もなにも必要なんてない。
どうか、幸せに。目覚めたてのこの世界で、と。
そんな声が、聞こえた気がした。
あの人たち、なんて言うけれど………私は覚えていないのに。私は知らないのに。だけど、それでも。
「………ありがとう」
ここからの感謝だけは捧げたいのだ。
「ありがとう、顔も知らない魔法使い様………」
もう一度、家族と出会わせてくれて。私を、目覚めさせてくれて。
ありがとう―――。
***
俺達が住む、魔法使いの屋敷。
願いを持つものしか辿り着けない………とは言わないけれど、目的と意思がなければ導かれることのないそんな場所。
俺はそこで、ロッキングチェアに座りながら、素馨の話を聞いていた。
手には珈琲、濃く抽出したエスプレッソだ。カップを唇に当てて、香りと苦みを味わう。
「バーベリさん、退院したそうです。それで、診療所のお医者さんを目指すとか」
「そう。それは良いことだ。人から与えられた優しさを、また人に与えられるようになれるのは、心優しい人だけだからね」
「………本当に会わないんですね、先生」
「対価が歪んでしまうから。今回のバーベリちゃんが支払った対価は、呪いを解いても尚残る後遺症と―――彼女が呪いと付き合って生きていた年月だ。つまり、霊体として暮らしていた期間の記憶、経験のその全てを失うこと。そうすることで初めて、魔神の呪いは彼女から離れる」
普通の人間では呪いに倒れたとしても、生霊のような存在になって世界を彷徨うことなんて出来はしない。
元々、彼女には多少なりとも呪い師の素質があって、魔神を見たことでその素質と魂、そして呪いが結びついてしまったのだ。
あの霊体として動けていたのは、逆に言えば魔神の呪いのおかげと言い換えることも出来るのである。だけど、因果を辿るのであれば呪いを除去するには霊体としての彼女もまた、消えなければならない。そういった複雑な糸を纏めて消し去るには………まあ、うん。
霊体の経験と呪いそのものを纏めて取り去ってしまうこと。それが一番簡単で、後腐れがない。やろうと思えば記憶を残したまま呪いだけを取り除くことも出来るんだけれど、そうすれば確実に、彼女に魔神に由来する異能が残るだろう。
異能なんて、必要な人間以外は持つべきじゃないんだ。大抵の場合、過ぎたる力を与えられたものの人生は歪んでしまうのだから。
「………もう一度、家族と出会えてよかったです」
「そうだね。素馨、こっちにおいで」
「………はい」
遥か遠くを見る素馨を呼び寄せて、膝の上に乗せる。二人分の重さ………とはいっても、少女二人分だからそんなでもない………で、ロッキングチェアが大きく揺れる。
俺も素馨も、二度と家族には出会えないだろう。そう言う人生を送っている。そういう、運命の上に立っている。
だからこそ、だろう。他者の痛みを理解して、それを癒す力になれたのなら。俺達が進む道が、差し出す手が、霧の中を彷徨う誰かの導となれたのなら。それは、それこそが、きっと俺たちにとっての幸福なのだ。
………魔法使いとは、そう言う生き物なのだ。
窓の外で、一陣の風がクローバーの葉を飛ばしていく。風に流れるのは、幸福を意味するシャムロック。
夜明けを超えて、目覚めたての彼女に、幸福が降り注ぎますように、と。俺はそう、想った。
これにて序章終了です。次は本編第一章………マツリちゃんがマツリちゃんになった話に入りたいと思います。どうぞ、お付き合い頂ければ幸いです。




