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明日――Future Days

 球場から出て、選手が出てくるのを見て、やっと安心した。今日、勝った。だから、次も応援に来れる。だから、今日の私はもういらない。今日の牡牛座はあまり良くない。だから、早く帰った方がいい。そう思った時だった。

「香澄ちゃん!」

 樹先輩が大きな声で私の名前を呼んでいた。

「樹、先輩……」

 振り返ると、満面の笑みを浮かべて、樹先輩が駆け寄ってきた。

「帰るなよ! せっかく、プレゼントがあるんだからさ!」

 樹先輩の手にはボールが握られている。

「本当はこういうのは駄目なんだけど、頼み込んで貰ってきた!」

 そう言いながら、樹先輩は私に向かってボールを放り投げた。

「え……?」

 慌ててそのボールを受け取ると、なんか文字が書かれている。

――サンキュー……?

 きっと、ウイニングボールだ。でも、本来は備品だから、貰えない。頼み込んだ、という事は、無理矢理貰って来た、という事だ。

「今日、香澄ちゃんの為に投げた!」

 瞬間、周りの選手たちが樹先輩を冷やかし、私も顔を下に向けるしか無くなった。

――きっと、真っ赤だ。私の顔、真っ赤だ……。

 でも、そんな私をお構いなしに、樹先輩は近付いてきて、ボールを指差す。

「心配掛けてゴメン」

 樹先輩は短く謝ってきた。

「まだ、短いイニングしか投げられない。だから、香澄ちゃんには凄く不安な思いと、心配をかけた。監督にも言ったけど、今日は最後のイニングだけでも投げさせてくれ、そう頼んだんだよ」

 そう言いながら、樹先輩は背を屈めて、私の顔の位置まで顔の高さを下げる。

「……昨日、眠れなかった」

 私は、つい、そうこぼしていた。駄目だ。今日の私は絶対に駄目。

「え……?」

「樹先輩が投げる。そう言っていたから、嬉しくて眠れなかった!」

 最後は怒鳴り声。駄目だ。今日の私は、やっぱり最悪だ。

「ゴメン。期待させちゃった、よな、やっぱり」

 違う。樹先輩は約束を守ってくれた。今のは、私の勝手な癇癪だ。

「神崎ぃ! ラブコメは別の場所でやれよ!」

「すみません!」

 三年生の長野キャプテンが声を張り上げ、樹先輩が謝りの声を出す。

「高校野球はさ、負けたら終わりのトーナメントなんだ。だから、短いイニングで速い球を投げられる俺より、スタミナがあって、長いイニングを投げられる広川の方が先発になるのはしょうがないんだ」

 そんな事は、わかっている。でも、気持ちの整理は少しつかない。

「ホントにゴメン。前もって、言っておくべきだった」

 謝られても、困る。だって、先輩は約束をしてくれたし、キチンと守ってくれた。

「……かった」

 声を絞り出すのが、精一杯の私に、樹先輩は不思議そうな顔をする。

「樹先輩がリリーフでも、マウンドに上がってくれて、嬉しかった! 樹先輩の、あのストレートが見られて、良かった! 八回の裏のホームラン、打った瞬間が見られなくて、残念でしょうがなかった! 今日の樹先輩は、全部、凄く、格好良かった!」

 堰を切った様に声を出すと、涙も一緒に流れ始めていた。

「樹の奴、女子を泣かせたぞ!」

 広川先輩の声が響き、同時にベンチ入りメンバー全員の視線が私たちに集まる。

「ちょ、待て、広川! 俺が香澄ちゃんを泣かせる訳無いだろ!」

 慌てて振り向いて声を上げる樹先輩の背中に向かって、私は飛び込んで、大声を上げて泣き出していた。

「樹先輩が格好良かった! 樹先輩が約束を守ってくれた! 嬉しくて涙が止まらない! 樹先輩に泣かされた!」

 私の言葉が決め手になって、樹先輩は一躍ヒーローからヒールに転落していた。


「……と、言う訳なのですよ」

 今日の『樹先輩が女子を泣かせた事件』を耳にして、携帯にかけて来た響子に、私がその話をすると、響子は面白そうに声を上げて笑い始める。

「楽しい?」

『いやぁ、青春だね、香澄は』

 返ってきた答えに、私の指が空中で『の』の字を書き始める。

「でも、樹先輩にはちょっと悪い事をしたかな、と思わないでもない」

 私の言葉に響子はもう一度笑い出す。吹奏楽部にいるだけあって、凄い肺活量だ。

『まぁ、今日の神崎先輩、神がかり的な活躍だったものねぇ。七対四で、内、神崎先輩一人で五点』

「うん。全部の打席で打点が付くなんて、凄いとしか言いようが無い」

 私だって、そう思っていた。四回打席に立って、五打点。しかも、先制と勝ち越し、最後の駄目押しホームランも凄い。

『大好きな娘にいいところを見せたかったんでしょ?』

 響子の声に私は慌てて首を振った。もちろん、相手に見える訳が無い。

『だって、活躍しないと、神崎先輩の出番はあり得ないじゃないの。少なくとも七回の表にマウンドだって、ナインの誰もが納得するだけの働きをしなかったら、いくら神崎先輩でも、マウンドには上がれないわよ?』

 私の動作を見ているとしか思えない反応で、響子は言葉を続けていた。

『後、広川先輩の不調も一因かな? 相手の四番が左だったのも、幸運よね』

「え……?」

 思わず声を上げる私に、携帯の向こう側で大きな溜息が聞こえる。

『野球のセオリーの一つ。左対左。あるいは右対右。あれ、三番か五番だったら、右の秋山先輩の出番だったわよ』

 響子がそう言うと、私は小さく息を呑んだ。

『でもさ、今日の神崎先輩、気持ちが籠っていたのもわかるな』

 響子は私よりも『高校野球観戦歴』が長いから、そんな事も口にする。高校野球が好きだけど、でも自分は女子だから、野球部に入れない。だから、吹奏楽部で選手を応援したい。響子が三日月学園を志望した動機は、それだった。

「どういう事?」

『結局さ、スポーツって、メンタル的な部分があるのよ』

 それは樹先輩も言っていた。マウンドに上がるのが怖い。だから、ピッチャーが出来なくなった。医学的に治っていても、精神的に治っていなかったら、あそこに上がる資格が無い。そう言っていたのは随分前に感じるけど、たった数週間前だ。

『今日の神崎先輩、見ているだけで、打たせるものか、という風に見えた。あれ、香澄の為でしょ?』

「うん……。そう、言ってた気がする……」

 今日の事を思い出す。確かに、私の為に投げた、そう言ってくれた。

「でも、樹先輩は、自分の為にも投げた」

『え……?』

 返ってきた声に、私は苦笑する。そう。樹先輩に関して『だけ』は、私の方が響子よりもわかる自信がある。

「樹先輩は、もう一度『ピッチャーになる為に』マウンドに上がった。結果が全てかもしれない『高校野球』で、樹先輩は過程も、そして、結果も残した。だから、樹先輩は私の為に、でも、自分の為にも投げたの」

 断言する私に、響子が大きく息を吐く。

『敵わないわ。香澄の『神崎先輩』観には。凄く、好きなんだね』

「うん、大好き。ゴメンね、変な惚気話をしちゃって」

 私がそう言うと響子は、構わない、そう返してきた。

『じゃぁ、また明日ね。お休み』

「うん、オヤスミ」

 私は携帯を切ると、それまで流していたラジオの音量を少しだけ上げる。

『明日の関東地方は全体的に……』

 いつの間にかミュージッククラブから天気予報になっていたラジオを、最後まで聞く気にはならなかった。だって、明日が晴れなら、野球部の練習が見られる。雨なら、樹先輩の無邪気な笑顔が見られる。だから、明日の天気なんか、私にはもう関係ない。でも、不意に見上げた星空に流れ星が走る。

「明日……」

 どっちがいいか、私にはわからない。でも、きっと、明日の天気は私に笑顔をくれるに違いない。だから、力一杯、願いを込めた。

「いい天気になりますように!」

 その天気が晴れだって、雨だって、全然構わない。

                                 【完】


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