序章 鏡有栖による森野兎の回想、あるいはノロケ
主人公による回想という名のノロケみたいなもの
──そういえば、森野兎に出会ったのも、こんな夜だったか?──
眼前にいるクラウスとかいうゴロツキを無視して、鏡有栖は述懐していた。そんな場合ではない……とは限らない。眼の前にいる敵は異能を使うが、本来異能とはその性質が分からないゆえに対処が難しいケースが多いのであって、その能力にある程度の見当がついてしまえば、不意をつかれることはまずない。ゆえに……多少の警戒心は残しつつではあるが──
──懐かしいあの日へ、思いを馳せ、感傷にひたる──
ここはどこだ? 自分の魔力が尽きてはいないというのに。魔術を行使するために必要な感覚が一切ない。どうすればいいのか、不安だった。生まれつき魔力を持ち、世界に干渉して魔術を行使する。そう、生まれながらにその能力があれば、その能力が消えさってしまってまず感じるのは、消失感である。
魔術を武器と感じるまえから既にその能力を有していたのだ。それがないのがどれだけ自分にとって不自然なことなのか……そこに考えが集中してしまったため、人に近づかれたことにさえ気づいていなかった
「あの、もしかして異世界の人ですか?」
「……!?」
その言葉で、ようやく自分の近くに女が(今は親しい森野兎である)いることに気づいた。だからということもあるが、沈黙は驚愕と疑問から生じたものだ。
まず、戦闘に明け暮れていたはずの自分が、なぜこの女に近づかれていることに気づかなったのか? という驚愕。次に、自分に対して異世界人だと質問してきたこと。つまり、ここは異世界ということなのか? だとしても、なぜ自分が異世界から来たことが分かる?
「ああ、先輩、警戒しなくてもいいです。この人困ってるみたいです。突然異能が使えなくなったら混乱しますよね?」
「……ッ!」
今度こそ、疑問が驚愕に塗りつぶされる。どうして自分が魔術が使えないことが分かった? それは自分にとって、切り札たる物を失っているのと同義だ。知られているのなら、交渉や戦いにおいて魔術を使うというハッタリは通用しなくなる。一番の交渉材料がなくなってしまうからだ。
「いや、だからといってなぜ私の存在までバラす? この女が信頼できる保証など──」
「なんとなくですけど……この人はきっと、お話が通じる人ですから。だから、逆にこちらから友好的にならないと、ずっと警戒されたままですよ」
その時になって、ようやく周囲を見回す余裕が出来た。周りが木々でまばらに覆われた場所に、月明かりが周囲を照らす。その木々の影に隠れるようにして、その女(紬雷花とかいう小生意気な女だ)はそこにいた。いや、厳密にはもう少し遠くでより分かりにくい位置で待機していたのだろう。それでいて、いつでも自分たちに割って入って戦える距離で、こちらの挙動を一部始終観察していた。
自分がもしなにか不審な行動をしていれば、即座に割って入って戦うつもりだったのだろう、あからさまな敵意にも似た戦意は既に消失してはいるが、だからといって完全に警戒を緩めてもいない。そもそも完全に警戒をといているのなら、なぜ自分の挙動を気取られにくい位置は維持しているのか。
とはいえ、あからさまな臨戦態勢というわけでもない。警戒こそ解いてはいないが、様子を伺うだけに留めるつもりになっていたのだろう。そうでなければ、自分の存在が分かりやすい位置にはこない。
「話……交渉とでもいうつもりか?」
「ええと、警戒されるのは分かりますし、ただ信じてくださいといわれて信じる気にはなれないのは分かります。ただ、私たちは戦えない異世界の人は保護するのがお仕事なので……」
「保護……?」
今思えば、自分は随分相手を疑っていたなとも思うが、同時に疑うのは当然だろうとも今でも思っている。異世界は、この世界ほど平和な世界ばかりでもなければ、平気で人を騙して報酬すらほぼない奴隷として労働力を確保するような、そんな世界も多いのである。保護という名目で警戒心を解いて、あとになって捕縛されることを警戒するのも、仕方があるまい。だが──
「私、森野兎っていいます! アナタのお名前はなんていいますか? 私たちは御影県の異能対策課といいまして、アナタの異世界転移の兆候を探知して、先にこちらから接触をしてアナタが混乱しないように──」
「いや……逆に困惑しているんだがな」
そう、深くにも困惑し──そして満面の笑顔で語りかけるこの女に、思わず魅せられてしまったのだ。そして同時に、このズレたところのあるが一生懸命にこちらを説得しようとしている姿に、思わず絆されてもいた。警戒するだけバカらしい。そう思わされてしまったのだ。
「ええ! あ、あの! ごめんなさい!」
森野兎は、恐縮したというか萎縮したかのように身をすくめてしまったが。
「ふふ……アリスだ。お前たちがいう異世界では、そう呼ばれていた」
その様子に思わず笑みすら浮かべる。警戒していた自分の方が、滑稽にすら思えてきたのだから、笑わずにはいられなかった。
「落ち着いて話せ……心配しなくても、逃げも隠れもしない。そもそも勝手も分からない地で逃げたところで、無駄に苦労するだけだろうしな」
それに、お前のような物わかりのいい奴ばかりでもあるまい。それは口にはしなかったが──
──ようするに、このときから私はこの女、森野兎に惹かれてしまっていたんだよな──
この出会いが自分にとって幸福なものであったと、今なら心からそう思えるのだから……
ここは48都道府県の御影県……つまりはここもまた異世界
我々が住む日本は47都道府県です、今んとこは
あとこの鏡有栖は、言葉こそ大胆ですが、その実態は今のところは超絶シスコンという方が近いです。
かわいいかわいい妹(森野兎)が、姉(鏡有栖)以外に興味を持つこと自体に不満を抱くほど溺愛する一方、妹に甘えられると途端に許してしまうというチョロさ