第7語:日常
「悠ぅぅううううっ!」
「うわあああああああ!」
朝一番で悠が見たのは必死の形相で歪んだ悪友――吉沢 鉄平の顔面だった。
「・・・・・・なんで家の前にいるんだよ」
あきれたため息が漏れる。
と言うのも鉄平の家と悠の家は学校を挟んで反対方向に位置している。つまり、悠の家に来ると言うことは学校を通り過ぎて来たと言うことになる。そうなると悠には鉄平が来た意味が一つしか無いことを悟った。
「・・・はい、今日の宿題」
「おー!流石は悠!昼飯なら任せとけよ!」
「期待してる」
こんな関係はかれこれもう年齢と同じ数だけ続いている。つまりは十八年。二〇六八年生まれの悠と鉄平は生まれた病院はもちろん、生まれた日にちすら僅か三日違いという程だった。
さらには悠と鉄平は同じマンションの上下階と言うことが判明。それ以降家族ぐるみの付き合いとなり、そこに芹の家族が乱入し三人は幼馴染みとしての関係が始まったのだ。
が、しかし。そこから悠の人生は大きく崩れ始めた。
父親の失踪から始まり母親の死でその悲劇は終わった。小学生だった悠はショックのあまりこの忌まわしい記憶を部分健忘というもので封印していた。
そんな精神的にも不安定になっていた時、吉沢家と山内家が悠を支えてくれたのだ。感謝してもしきれない恩。まあ、鉄平に宿題を見せることはその恩返しには入っていないが。
そして、祖父母の援助もあり一人暮らしを高校から始め、今に至る。
『普通』に囚われて。
「ねえ鉄平。ここら辺で最近事件って起きた?」
「なんだ急に。特に何もないぞ?まあ強いて言うなら今の俺の状況ですね。はい」
そんな鉄平の言葉をスルーする。そう。昨日の団地で落下した『大沼』という女性の死亡事故が一切メディアに取り上げられていない。新聞もテレビも地元紙もだ。
昨日寧音が言っていた『掃除屋』といった言葉が浮かぶ。あの女性は“掃除屋”によって掃除されたのだろうか。確認したいものの、昨日『佐伯屋』を飛び出したのもあり行きづらい。
鉄平ほどの無神経さが欲しくなる程だった。
「お前今失礼なこと考えているだろ」
「鉄平の無神経が羨ましくってさ」
「何だと?俺が無神経?」
「ゴメン。バカの間違いか」
「ぐにぃ・・・」
「そこは否定せぇや鉄ちゃん」
「「芹」」
「おはよユーちゃん。鉄ちゃん」
いつの間にか二人の背後に立っていた芹は鞄から一枚のプリントを出した。
「これ、ちゃんとやったか?」
芹が持っていたのは数日前出され、今鉄平が書き写している宿題だった。
「僕はね」
「俺だって・・・」
「いや。鉄ちゃんがこっちいるってぇ事は忘れとるんやろ?」
冷静な突っ込みを受けるも描く手を緩めない鉄平にある意味感心してしまう悠と芹。
結局、鉄平は電車の中でも徒歩の時間も自前のバインダーを使い宿題を仕上げていった。
******
「終わったぁ・・・」
伸びをしながら全授業が終わったことに嬉しそうな鉄平を尻目に帰りの用意を進める悠。
悠は今日一日の授業を振り返ると何も出てこなかった。昨日の佐伯との会話が離れず頭の中でリピートしているからだ。
『悠君。僕たちはね、決して何の力も持っていない一般人を巻き込むことは無いんだ。故にこの店には一般人はお客さん以外入ってこない。スカウトなんてもってのほかだ。雑用すらも頼まない。頼んではいけないんだよ』
『信じられないならそれでいい。だけど君は今『変な事に巻き込むな』と言ったね?それは<四字呪摎語>の存在自体は認めていると言うことだと思う。君は頭が良く、聡明だ。少し落ち着いて考えると良い』
「ねえ、鉄平。僕って普通?」
つい、佐伯の言っていたことを否定したいのか、認めたくないのか分からないがそんな質問を鉄平にしてしまう。
「ん?当たり前だろ?成績、身長、雰囲気、何もかもが平均を超えず下回らず。そんなお前が普通じゃ無かったら皆異常だっての」
「・・・そっか」
安堵する表情を浮かべる悠を見て鉄平訝しげな眼差しを向ける。
「お前なんかあったのか?変だぞ?」
「え?あ、いや。何も無いけど?」
この十八年間ほとんど見た事の無い悠の異常を鉄平は鋭く感じ取っていた。
そして悠が何かを隠しているという今まで無かった事も。
しかし鉄平はそれを追求する気は一切無かった。むしろ安堵さえ憶えていた。今まで一度たりとも隠し事をせず、全てが平均的な『普通』を異常と感じ始めていたからだ。
「・・・おめでとう」
「は?」
「ようやく気になる人が出来たんだな・・・!」
しかし、勘は鋭いが感じ取る力は乏しいらしく、見当違いな答えを鉄平は出していた。
「え、なんて言うか、もの凄い勘違いしてない?ちょっと弁解を・・・」
「良いって良いって。皆まで言うな。俺とお前の付き合いだぞ?察してやるって。んで、相手は?小川か?増原だったり?あ、もしかして委員長か・・・!?」
矢継ぎ早に女子の名前言う鉄平を殴ってでも止めようとしたところに
「私が何かしら?」
「い!?委員長様ではございませんか・・・」
委員長こと榊田 美幸が鉄平の背後に立ち額に青筋を浮かべていた。
「吉沢君?なーんでこんな所にいるのかしら?今日は委員会よね?」
「お、おっしゃるとおりで・・・」
「じゃあ、どうすれば良いか分かるわよね?」
「・・・喜んでー」
悠はここまで悲壮感を漂わせた喜んでという台詞を聞いたことが無かった。
******
「お、おわった・・・」
「鉄平毎回ソレ言ってない?」
「それほど物事に必死なんだよ」
「頭の体力が無いだけよね?」
「はい。その通りです委員長様」
結局置いて帰るのも忍びなく待つこと数十分。疲れ切った鉄平と監視の目を光らせていた委員長と共に下校する流れとなった。
まだ四月前半。日が落ちるのは早く薄暗い廊下を教室の電気が所々照らしていた。
古びた校舎の壁には亀裂が蜘蛛の巣のように走っており、築年数を物語っている。
正にいつも通り。
少し錆びて開けづらい下駄箱から甲高い音を発する。
外は雨が降る前夜のように粘ついた空気を充満させていた。
そのまま校舎の裏にある駐輪場に向かう。すると、裏門付近で少し遅めの帰宅生徒達が僅かながらざわめいていた。
「なんかあったんかな?」
朝と同じように背後から聞き慣れた関西弁が聞こえ、「うお」と小さく声を上げてしまう。
「その登場の仕方やめろって言ってるだろ芹・・・」
「え~楽しいからやめれんわ~」
おどけたようにふふふ、と笑う芹。
そのまま駐輪場に向かう美幸を待とうと三人は裏門へ。
すると、
「霜月君」
「あ・・・寧音さん・・・?」
そこにはセーラー服を身に纏い、黒い学校指定と思われる鞄を肩にかけた寧音が立っていた。
「な・・・!お、お前この美人さんと知り合いなのか?」
小さい声でも驚嘆の空気が伝わってくるような勢いで鉄平が食い付く。
「ちょっときて。話があるから」
「え?あ、ちょ・・・、ごめん!皆またね!」
強引に寧音に強引に鞄を掴まれ駅とは反対方向に引っ張られた。
三人の返事があっけにとられているのか返ってこないのが気になり振り返ってみた。すると、鉄平が悠と寧音を見つめながら「裏切り者おおおお!」と叫んでおり、それを芹と自転車を傍らに置いた美幸が制止していた。