第6語:概念
佐伯に予想もしなかった事を告げられた時、寧音はすぐさま説明を求めたが「人目につくから」となだめられ一旦『佐伯屋』に戻ることになった。
帰りのタクシーでも寧音は一言も喋らず、車内の空気は重苦しいものだった。
そして今。『準備中』と書かれた札を『営業中』に裏返し店内に入る佐伯に続く。
一時間前に飲み干して空になったティーカップがテーブルに置き去りになっており、妙な寂しさを醸し出していた。
「今新しいの淹れるからね」
「あ、はい」
そう言いながら厨房に向かう佐伯。寧音は無言のまま椅子に腰をかけた。
悠は何となく寧音の向かいの席に座る。
「あのさ、寧音さんって今何年生なの?」
「急に何よ」
「え、いや。制服だし同級生かなーって思いまして・・・」
「・・・お察しの通り高三よ。アンタもでしょ」
「あ、うん」
「よく分かったね」と言おうとして言葉を飲み込んだ。病室にわざわざ来たと言うことは悠の身辺を知っていてもおかしくは無い。もし言葉を飲み込んでなかったら寧音に再び馬鹿にされていたことだろう。
再び訪れた沈黙。そこに助け船のように佐伯がお盆にティーカップを乗せたまま寧音と悠がいる席に着いた。
「さてと。それじゃあさっきの事と僕たちについて説明しようか」
「・・・はい」
悠は何が起きているか、そして何を言われるかも分からなかったが息を吞んだ。
「まずさっきの女性。霜月君はどう思ったかな?」
「どう・・・ですか。まともでは無かったと思います」
未だに脳裏に浮かぶ女性の正気を失った瞳と凄惨な死体。恐らくは三日三晩頭から消えない事だろう。
「うん。そうだね。彼女はまともじゃ無いどころか完全に発狂していた。そしてそんな発狂者を止めたり巻き込まれた一般人を助けたりするのが僕たちの活動の一つなんだ」
「なるほど・・・。でも、一つって事はまだ何か・・・・・・?」
「うん。実はもう二つほどあってね。まあその中でも特に重要なのが――発狂者や怪奇現象を引き起こす原因そのものを特定し、消去すること。これが僕たちの一番の目的なんだ」
冗談を言っている風にも聞こえない真面目な口調と表情。
現実離れしすぎた言葉に何も言えずついぽかんとしてしまった。
「まあ、まだ信じられないか」
「あ、いえ。信じられないというよりかは何というかよく分からないっていう方が強いですかね・・・」
「ああ、まあそうだろうね。まあ一旦話しを続けるね。今話したのは僕たちの活動についてだったよね」
僅かに思案する佐伯。
「まあそれらを説明する前に・・・僕らが怪奇現象を引き起こすもの・・・<弾渦>について説明しようか」
「・・・<弾渦>」
反芻するように<弾渦>言葉を口に出す悠。
「まずは<弾渦>の根源から話そうか。そもそもは二人の恋人から始まった。婚約の話まで出るほどの仲の良い恋人・・・だった」
「だった?」
「そう。理由は分からないけど、男性が婚約を一方的に白紙にして、逃げたのさ。そして、男性を追っかけるも途中で女性は自ら命を絶ってしまった。
というのも男性の所持品が海に漂っていたのを見て女性は男性が自殺したと思い込み、後を追ったというわけさ。男性はただただ身を隠すために海に所持品を投げただけなのにね」
紅茶を一啜りする佐伯。
「それで、そこからどう<弾渦>と・・・?」
「この話自体女性の遺書から分かった話なんだけどね、遺書の最後に『貴方の運命となります。未来永劫、貴方のそばに』って書かれていて、ここからは男性の日記のお話さ」
紅茶のカップをいじりながら話を続ける佐伯。
「その日以来、男性の周りは怪奇現象がいくつも起こった。足跡がする。笑い声がする。といった良く聞く現象から--蛇口からは髪が出る。食事には骨のような堅い物体が混じっているというおよそ『普通』の怪奇現象とはいえないものまでね」
ゴクリ、と唾を飲む悠。
まるで、先ほどの女性--<弾渦>でしかあり得なさそうな現象の数々。
「僕達『保護役』の上--『管理者』って言うんだけどね、その人達はこの事象を最初の<弾渦>としている。本当かは分からないけど、それ以上は確かめようがないからね」
確かに、その前から怪奇現象はあるが、それが<弾渦>かは分からない。
「確かめようが無いのは分かりますけど、どうしてそれを最初の<弾渦>にしたんですかね?」
「そうだね・・・。これは僕の予測だけど、記録に残っている怪奇現象で、最も古い<弾渦>として--変な言い方だけど、ふさわしかったからじゃないかな」
なるほど、と納得する。確かにその話が今起きたら<弾渦>と認定されるだろう。
そう思われる記録に残っている現象の中で一番古いのがこの男女の物語なのだろう。
「そして、世界というのは不思議でね、一つの変化でいくつもの変化が現れる。
<弾渦>が認識されたことにより<弾渦>は世界各地で出現し、同時にある副産物も生まれた。
そんな<弾禍>はほぼ例外なくこの世界に様々な形で爪痕を残していく。
そして先ほどの女性は正に<弾禍>の影響さ。今回のように人に現れたり物に影響が現れたりで形は様々でやっかいなんだけどね。
さてそれで今回あの女性は残念ながら死に至ってしまった訳なんだけど、<弾禍>に関わった人間全員が死に至るわけでは無い。生き残る事ももちろんある。
だが、生き残ったとしても多くが人の心に<弾禍>が一部残ってしまう。それがまさしく僕たちが使っていた力であり、さっき行ってた<弾渦>の副産物。
その力の名を<四字呪摎語>。そして<四字呪摎語>を使う人達を<咒師>と言う。僕たち<咒師>はある意味<弾禍>を以て<弾禍>を制しているんだ。まあ、全てを解決することは出来ていないけどね」
軽く自虐気味に笑う佐伯。
「・・・随分喋るんですね」
「え?ああ、済まない。どうも昔から口下手でね。喋り出すと止まらなくなったりしちゃうんだ」
髪の毛を軽く掻きながらまたしても軽く笑う。そうすると思い出したように手を叩き悠に再び語り出した。
「何故<四字呪摎語>という名前なのか分かるかい?」
「うーん。・・・ニュアンス的にも、この目で見た感じでも元は四字熟語から来ているんですよね?」
「うん。察しが良いね。その通り、<四字呪摎語>は四字熟語をモチーフとしている。そもそも四字熟語は約百年前に定着したものでね。そこから数十年後には様々な物が誕生し普及した。技術も進んだ。だけど、いまやその進化の速度は失われている。あるのは小さな変化のみ。君が持っている携帯電話も七十年程前から特段大きな変化は無いんだ。ただ一つを除いてね」
「もしかして・・・」
「うん。それが<弾禍>と<四字呪摎語>さ。この世界で進化出来るものには上限があると思っているからね。もしかしたらこの二つは未だに進化し続け、他のものの進化が止まっているかもしれない。まあ、これは僕の推測だけどね」
壮大すぎるスケールに頭が遂に、ついて行かなくなる悠。それに加えて今までの普通の生活は壊れかけている。何よりもソレが一番のショックだった。
そして、ふとこうして佐伯に説明を受けている経緯を思い出す。
「佐伯さん達が随分な活動をしているのは分かりましたけど、なんで僕がスカウトされているんですか?<四字呪摎語>なんて僕持っていませんよ・・・ね?」
嫌な予感が膨らみついつい疑問系になってしまった。
あり得なかったからだ。こんな非日常的な歯車に巻き込まれるなんて冗談じゃ無かった。悠の思い描いている人生はこんなはずでは無かった。
しかし、そんな悠の願望を壊すように佐伯は告げた。
「悠君。僕たちはね、決して何の力も持っていない一般人を巻き込むことは無いんだ。故にこの店には一般人はお客さん以外入ってこない。スカウトなんてもってのほかだ。雑用すらも頼まない。頼んではいけないんだよ」
それは、遠回しに、しかし確実に悠に「君は普通では無い」と言っていた。
「そんな分けないでしょう・・・!」
今まで何の疑問も無く探索だったり説明だったりを受けていたが冷静になるととんでもないことに巻き込まれ、誘導尋問のように裏側の世界に誘われていたのだ。
そんなことに今更気づき声のトーンが大きくなる。
「僕は普通だ!この世の中間でありたいんだよ!普通の歯車で良いんだ!変な事に巻き込まないでください!失礼します!」
ガタッと乱暴気味に椅子から立ち上がり店を後にしようとする悠。そんな様子を特に止めることも無く見ていた佐伯は悠の背中に語りかけた。
「信じられないならそれでいい。だけど君は今『変な事に巻き込むな』と言ったね?それは<四字呪摎語>の存在自体は認めていると言うことだと思う。君は頭が良く、聡明だ。少し落ち着いて考えると良い」
一瞬止まったものの気持ちは落ち着かずに扉を開け佐伯屋を後にした。
悠が去っていき、寧音と佐伯の間に落ち着かない空気が満ちていった。
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「・・・・・・ちょっと強引だったかな」
「そう?私はあの平和ボケした甘ちゃんにはちょうど良い位だと思うけどね」
「・・・そうかもしれないけど、誰しも君みたいにすんなり受け入れて学校生活を犠牲にしてまで<弾渦>に対して精を出す訳じゃ無いんだよ。特に最近はやり過ぎだ」
「佐伯さんには関係ないでしょ」
「大ありさ。僕はこの地域の保護役だからね。と言うわけで寧音君、明日から三日間は活動停止とする。これは忠告とかじゃない。命令だよ」
「なっ・・・!?」
「分かっていると思うけど、隠れて行動、も出来ないからね」
「・・・・・・・・・」
「分かってくれ寧音君。君の力は必須だけど、状況が普通じゃ無いんだ。分かるだろう――」
「――霜月君はこの停滞した世界を動かす歯車だからね」