第五語:遭遇2
カン、カン、と階段を上る金属音が妙に大きく耳に響く。
ここは二号館の正面から見て左側に設置されている階段、二階と三階間の踊り場。寧音が一歩前に出ながら二号館を、目標もよく分からないままに探索していた。
「・・・・・・」
長い沈黙が、辛い。
さらにはこの二号館に脚を踏み入れたときから感じる異質な空気が悠の精神を削っていく。
「あの・・・寧音さん」
「何?」
もう少し距離を縮めようと思い切って下の名前で呼んでみたものの何事も無いようにスルーされる。
「さっき花壇に何をしていたのかな・・・って」
悠が訪ねたのは二号館に入る前に寧音が団地に沿って置かれている花壇に何かをしていたことだ。動作的には何かしらを埋めていたと思われるのだが。
「あなたには関係ないわ。余計なこと言ったら殺すわよ」
空気を変えるのにも失敗し、仕方なくこの気まずさを受け入れることにする悠。
そう、決意した時、
ぎい、
錆びた金属音が、した。
音源は三階の突き当たりにある玄関。掠れた文字で『大沼』と書かれた表札が目に入る。
コツ、と靴が鳴る。
玄関から一人の女性が出てきた。少し長めの黒髪の女性。手には何も持っておらず、何処に向かうのかは想像できない。
こっ、こっ、こっ、とこちらに向かってくる足音。恐らく階段が目的であろう足取り。そして、こちらに気づいたのか、女性の速度が遅くなる。
『こんにちは・・・』
「あ、どうも・・・・・・」
すれ違った故の軽い挨拶。いつの間にか嫌な汗をかいていた悠は少し安堵し一つ上の階を目指そうとした。そんな、時。
視界の端に何かが入った。普通なら見逃すはずの小さな違和感が何故か悠の意識を強く引っ張る。
そのまま、違和感の正体を見る。そして、悠はそれから視線を外せなかった。
ぬるりとした血液が女性の道標のように点々としていた。
ほぼ反射的に踊り場に向かった女性を振り返り白い首筋が目に入ると、悠は凍り付いたようにソレから目を離せなくなった。
その首筋に、まるで当然かのように、深々と刺さった黒いエンピツから。
エンピツから真っ赤な血が滴り落ちる。道標の正体。
突如、回転盤にでも乗っているかのように不自然なほど予兆も見せずぐるりとこちらに向き直った。
「・・・っ!」
その奇怪な行動に悠の身体は完全に固まっていた。
女性の黒髪から覗く二つの眼球が悠を虚ろなまま捉える。よく見れば、完全に正気を失っているその目が悠を捉えているのかも疑わしい。
実際は一瞬の沈黙が随分と長く感じる。そして、
『さようなら・・・』
まるで、近所で出会ったように穏やかな言葉で挨拶すると同時に――
「ちょ・・・・・・っ!」
――手すりに腰掛け、背中から宙に飛び出した。
どすっ、
肉がたたきつけられた、鈍く低い音がした。
悠は一瞬惚けた後にゆっくりと結果を確認しようと脚を踊り場に向ける。見たくは無い。だが、確認し無いわけにもいかなかった。高さ的にも助かっている可能性は充分ある。だとしたら助け無ければならない。普通ならそうする。普通で、あり続ける為にも。
しかし、下で起きているであろう惨劇を想像しただけで胃の内容物が暴れているように強烈な吐き気に襲われる。それは一歩近づけば近づくほど強まっていった。
「・・・・・・」
ようやく、踊り場についた。
見ろ。見るんだ。普通ならそうするだろ。
自分に強く語りかける。人として、普通として。
手すりに手をかけゆっくりと上体を折る。のぞき込めるほど傾けた。
「・・・・・・ぐっ!」
眼下は正に凄惨の一言に尽きた。
女性の口からは血泡があふれ出ており手足も落下の衝撃なのかあり得ない角度まで歪曲したまま微かに痙攣している。そして後ろ首筋に刺さっていたエンピツが喉を貫いて表に出ていた。
確認するまでも無く女性の息は絶えていることを理解できた。
「あ・・・あああ・・・・・・!」
瞼に張り付くような凄惨な光景に腰がふっ、と抜け、その場に座り込んでしまう。
そんな悠の元に
「何してんのよ!」
「あ・・・寧音さん・・・・・・」
座り込んだまま見上げると寧音が息を軽く切らせながら立っていた。
「ここ入る前にあれだけはぐれるなって言ったでしょ!?」
「え・・・?寧音さんこそ、いつの間にかどっか行っちゃってたじゃないか」
「はあ?何言っているの――」
かみ合っているようでかみ合っていない会話に違和感を感じ始める。
「――右階段から左階段に移動しているくせに私がどこかに行ったですって?あなた、根性もないのに頭も悪いの?」
そう罵倒しながら悠の側を通り過ぎ、落下した女性をのぞき込む。
そんな冷静な寧音を尻目に悠は今の一連の会話を反芻していた。
寧音は「右階段から左階段に移動しているくせに」と言った。そして探索を初めてまだ十分程度。それは寧音が右階段から探索を開始し、悠は左階段から探索を開始したということだ。
確かに同じ階段から入ったはずなのにだ。
「大丈夫かい?」
背後から肩に手を置かれ柔らかい声をかけられた。
「佐伯さん」
それに反応したのは悠では無く寧音だった。
「『掃除屋』は?」
「下から見ていたからね。さっき呼んどいたよ。十数分程で到着するはずだよ」
それを聞くと「そう」と佐伯に応えつつ悠に視線を移す。
「佐伯さん。この人本当に<保持者>なの?この雰囲気の中使い方も分からず私から離れるなんてどうかしているとしか言えないわ」
それを聞くと佐伯は不思議そうな顔をしながらこういった。
「何を言っているんだい?最初から別行動をしてたじゃ無いか。あれは二人で話し合って決めたんじゃ無いのかい?」
「「・・・え?」」
悠と寧音の間の抜けた声が重なった。