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市役所前のバス停からシャッターの閉まった商店街を横切って、新通りに入った。市街地から少し離れるだけで人通りがほとんどなくなって、悠介は快適に自転車を飛ばしている。荷台の痛さにも慣れてきて、私は悠介の腰にしがみつきながら、夜の風を感じていた。
「だいじょうぶー?」
走りながら悠介が声をあげた。景色が次々と後ろに流れていく。
「なんとか慣れてきましたー。ちょっと怖いですけどー」
つられて声が大きめになる。
「もうすこし、ゆっくり走ろうか?」
「大丈夫ですよー」
自転車のスピードに慣れていないから、ほんとうは怖かったけれど、悠介にしがみついていれば大丈夫な気がした。
「自転車さあ、井上は、全然乗ったことないの?」
「ないですー」
こどもの頃、母親の自転車の後ろに乗っていた子たちを見ていたけれど、私にその機会はなかった。母が自転車に乗っていた記憶はないし、機会があったとしても、私を乗せたかどうかはわからない。
そんなことを思い出していたら、悠介が言った。
「もしかして、足のせい?」
……なんで
急にまわりの景色が目に入らなくなった。
いつ、知ったの? 誰にも言ってないのに。
なんでわかったの? いつから気づいていたの? 他の人と同じように歩いていたはずなのに。
そんな思いが何度も私の頭の中で行き来して、気づいたら新通りの終点までたどり着いていた。信号が赤で自転車が一時停止する。悠介の腰に回している腕に力が入っているのがわかるけど、緩めることはできなかった。暑くもないのに、身体中から汗が噴き出ている。私は顔を上げられなかった。
「なんで?」
どう答えていいのかわからず、かろうじてそれだけを口にした。
悠介はそれには答えずに、信号が青になると、川の手前坂だからちょっと集中させて、と言って、勢いよく自転車を発進させた。広い通りを渡ると、土手前に繋がる坂が見える。
「くーっ、やっぱ、ふたりで、坂は、厳しいなー」
「あっ、ごめんなさい、降りますか?」
「だい、じょう、ぶ」
ぐいっ、ぐいっ、と悠介の身体が固くなる。いつもはバスだから意識したことがなかったけど、ここ、かなりの勾配なんだ。私は無駄に身体が大きいから、こんなときには小さい女の子が羨ましくなる。
坂を登りきると、ふーっ、と息をついて、悠介は橋を渡らずに左に曲がった。土手の上に作られた道路を自転車はすいすいと走り出した。右手に見えた河川敷のグラウンドも、あっという間に後ろに流れていく。
土手の上からは家も遠くて街灯も少なくて、いつか悠介と歩いたときに感じたように、つよい闇と静寂を感じた。自転車のライトだけが心細くアスファルトの一点を照らしてゆらゆら揺れている。
「わかるよ」
悠介が前を向いたまま言った。「井上のこと、毎日見てるから」
私は答える言葉が見つからなくなって、悠介の背中に顔を押しつけた。さっきとはちがう汗が顔から出ているような気がした。
団地の前まで送ってもらって、慎重に自転車から降りた。はじめて乗った自転車に緊張していたのか、地面に足をついてもまだふわふわしている。でも、それより疲労感がすごい。思ったより力が入っていたのか、筋肉ががちがちになっている感じがして、ちょっとよろけてしまった。
「大丈夫?」
悠介が自転車を止めて、私の身体を支えてくれた。
「ごめんなさい、大丈夫です」
足のことを見抜かれてしまって、それ以上なにも言わずにいてくれて、いつもいつもやさしくしてくれて、つい気を許してしまいそうだった。
でも、甘えてしまいたくなる心をすんでのところで抑える。
「送ってもらって、ありがとうございました」
「どういたしまして」
はじめて会ったときと同じように、私たちは団地を見上げた。雲が群青色のグラデーションを形づくっていて、今日はぼんやりとしか月が見えない。
「曇ってますね」
「うん……」
「それじゃ、おやすみなさい」
悠介がなにかを言い出す前に、私は逃げるように団地の入口をくぐった。