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 アルバイトで疲れた体に鞭打って朝七時半に生徒会室に向かうと、中からビアノの音が聞こえてきた。部屋の隅にアップライトピアノはあったけど、誰かが弾いている姿を見たことがない。そもそも椅子の上にも蓋の上にも書類や本が置いてあって、私の知る限り、あのピアノはただの荷物台と化している。ピアノじゃなくて棚を入れればいいのに、と思っていたくらいなので、あれを弾く人がいるとは思わなかった。

「おはようございます……」

 おそるおそる扉を開けると、ぱっと演奏が止まった。

 知らない女子生徒がひとり、姿勢良くピアノに向かっている。

「おはよう」

 腰まで伸ばしたストレートの髪に、二重で睫毛の長い瞳、端正な顔立ちをしているけれど、感情の読めない表情だった。私は部屋の中に入ると、いつも使っている席に荷物をおろした。悠介の机にはピアノの上に載っていた荷物が整然と積まれている。

「これ、誰も弾いてないでしょう」

 私は無言でただ頷いた。まあ、あれだけ荷物が積まれていれば、使われているとは考えないだろう。でも彼女は、「音が濁ってる」と言って、一番高い「ド」の鍵盤から半音ずつ下げて二オクターブぶん、流れるように音を出した。

「ね?」

 彼女は左眉を動かして同意を求めてきた。

「え、と、……全然わかりません」

「うーん、そうか」

 彼女はがっかりした風でもなく、また曲を弾き始めた。さっきは忙しそうな曲だったけど、今度はゆったりとしたメロディーだった。この曲、聞いたことがある。

「……ジムノペディ」

 呟くと、彼女の演奏が軽くなった感じがした。相変わらず姿勢は良いままで、表情は変わらなかったけれど。

 私は彼女のピアノをBGMに、昨日喫茶店でまとめてきた書類を机の上に広げた。

 アンケート結果からバンド演奏は決定として、去年の資料を元に予算を組み込んでみた。いろいろアドバイスももらえたし、あそこで山中先生に会えたのは幸運だった。

 ジムノペディが終わって、彼女は次の曲を弾き始めた。ゆったりと低音から入ったと思ったら、すぐさまテンポを速めて上がっていき、和音を勢いよく叩く。そんな主題を繰り返したら、流れるようなメロディーになった。さっきの曲とぜんぜん違って、激しい部分と流れるような部分が交互に繰り返される。ちょっと休まったかと思ったら、また忙しく鍵盤の上を指が躍っている。

 音楽のレベルのことはわからないけど、すごい。緩急と強弱が入り混じっているのに、表情は淡々としている。いや、顔に出ていないだけで、身体からはピアノにぶつけている勢いを感じる。私はアンケートのことを忘れて、彼女の演奏に聴き入っていた。

 七、八分経っただろうか。流れるようなメロディーから、みっつ、低音、高音、低音とちからいっぱいの和音を出して曲が終わった。最後、腰を浮かせていた彼女は、余韻を感じたあと、すとんと椅子に腰を下ろした。私は自然と拍手していた。と、私の他にももうひとつ拍手が聞こえた。いつの間にか悠介が隣に来ている。

「ベートーベンの、……悲愴?」

「違う。月光の第三楽章」

「あーっ、惜しい!」

「……ぜんぜん惜しくないよ」

 彼女は抗議するように左眉を動かした。

「高津先輩、来てくれたんですね」

 自分の机に積まれている荷物を見て、悠介は椅子の背もたれにリュックをかけつつ、彼女に声をかけた。

「この前来れなかったから」

 ありがとうございます、と悠介が言って、「こっちは一年生の井上、展示部門担当」と、私のことを彼女に紹介した。私は立ち上がって、井上純です、よろしくお願いします、と頭を下げる。

「井上は字が綺麗。あと背が高い」

「背が高い、って……」

 私は悠介にされた紹介に、不満気につぶやく。

「高津先輩は、去年会計をメインにやってたから、やり方とか聞くといいよ。あと、展示部門も手伝ってもらうから」

 今度は私に向かって、高津先輩の紹介をした。

「高津莉乃です。よろしく」

 彼女はそう言うと立ち上がった。「私よりちょっと低いくらいだね」

「先輩が高いんですよ」

「私、百八十ないよ」

「充分高いですって。僕より高いですし」

「悠介が低いだけじゃない」

「やめてくださいよ、男子はまだ伸びるんですから。きっと来年の春には」

「あ、あの」

 私はふたりの会話に割って入った。「高津先輩は、身長が高くて損したこととか、ないですか」

 言ってから、なにを聞いてるんだ私は、と頬が熱くなった。

「うーん……。体育ができると思われる、やたら運動部に誘われる、好きでもない男子から、背が高い女子って駄目なんだよね、って言われる」

「体育……」

「そうだね。私は運動得意じゃなくて。バスケ部やバレー部の子に、その身長が欲しい、と羨ましがられる」

 言っていることが、ぜんぶわかった。私も水泳以外の運動は平均よりできない。走れるようになったとはいえ、左足で踏ん張るのは難しいし、思い切りジャンプしても高く飛べない。身体は恵まれているのに、能力が足りないもどかしさ。

「私も、背は高いのに運動いまいちで。よくわかります」

 でも、高津先輩は私のようにハンデがあるわけじゃないだろう。あれだけピアノが弾けるんだし、家も余裕があるんだろうな。

「でも、そこまで損だとは思ってない。私は、ピアノが弾ければそれでいいんだ。上背があるほうが体重かけやすいから、力を入れるときは有利かもしれない」

 莉乃は鍵盤を撫でるように触ると、フェルトを置いて、ピアノの蓋を閉めた。「それで悠介、わざわざ早朝に呼び出して何をしたいんだ」

「展示部門の話し合いですよ。先輩は放課後忙しいでしょうから」

「ああ……。気を遣ってもらって悪いな」

 莉乃は、変わらず無表情のまま頷いた。

「それで、先輩には開会の挨拶をお願いしたいのと、仮装以外のイベントを決めたいんですが。井上、アンケートどうだった?」

「あっ、バンド演奏が多くて、これはもう決定でいいと思います。あとは去年やった綱引きと、その連想からか玉入れとか騎馬戦とかがありました」

 急に振られて焦ってしまった。

「去年もそんな感じの意見があったけど、玉入れのカゴがないから綱引きになったんだよ。毎年そんな流れじゃなかったかな」

 莉乃が経緯を話してくれる。

「で、おもしろかったのが、お料理対決」

「へえー」

 悠介が興味ありそうな反応をした。「決まったら出てみようかな」

「私は料理が苦手だからだめだな。昔、教えてもらったけれど、全然上達しなかった」

 莉乃は逆に料理ができないようだ。

「ただ、やるとなると、ルールを考える必要もありますが、場所が問題で。家庭科室を使うのが手っ取り早いと思うんですけど、イベントとして目立たせたいんだったらギャラリーを入れたいし、もっと人通りのある場所がいいじゃないですか」

 二人が頷く。家庭科室は一階の隅にあって、普段から人通りは少ない。さらに机を動かせない特殊教室だから、イベント用にセッティングするのも難しいだろう。私はまとめた書類を示しながら説明を続けた。

「グラウンドでカセットコンロ、ってのもありかもしれないですけど、コンロが一口になっちゃいますし、水をどうしようかという問題も出てきます。この場合、いっそキャンプめしみたいな条件にしてもいいかもしれないですが、天気が悪いときのことも考えないといけないですし、やっぱり屋内のほうが無難だと思います。そうすると、どこか広めの教室で、たとえば共通履修室なら二部屋分繋げられるから、セッティングもしやすいかと。ただ、共通履修室だと、すでに部屋を取られているかもしれないな、と。で、山中先生にそれとなく確認したら、家庭科室なら押さえておけると言っていたんで、一応頼んでおいたんですけど。……それで、これがおおざっぱな予算案です。食材ももちろんですけど、カセットコンロを買うとなると、さらに上がります。グラウンドに綱を出すだけで済む綱引きよりはお金かかりますね」

 そこまで喋って一息つくと、ふたりが黙って私を見つめていた。しばらくの沈黙のあと、莉乃が口を開いた。

「おい悠介、おまえ、有能な一年を見つけてきたな」

「いや、僕もここまでできる子だとは……」

「去年の先輩たちよりだいぶ使えそうだぞ」

「ちょっと高津先輩、言い方」

「あの、たまたま山中先生に会って相談できたので、私がすごいわけじゃ」

 私が言い訳のように説明すると、莉乃が、いいじゃないか、と言った。

「やってみよう、お料理対決。純がここまで考えてくれたんだし、できるだろう」

「ま、進めていってだめだったら綱引きすればいいかな。家庭科室は、生徒会の本部にでも使えば」

 悠介が、腕を組んで考えている。

「そうと決まれば、まずは必要なものをあげて、午後は値段の偵察に行くか」

「そうですね。でも先輩時間大丈夫なんですか」

「ひとつ先週終わった。しばらく余裕はある」

「そうしたら、また放課後に集合でいいかな。井上も大丈夫?」

「はい、大丈夫です」

「ところで先輩、コンクールの結果はどうだったんですか?」

「予選は通った。次はセミファイナルが七月だ」

「おお、おめでとうございます」

「えっ、コンクール? セミファイナル? 高津先輩ってもしかしてすごい人なんですか」

「そこまですごくはない。もし私がすごい人だったら、もっと忙しくしているだろうからな」

 私なんてまだまだだ、莉乃はそういって肩をすくめた。



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