7話 遭逢
私の最愛の人。
焦がれて焦がれてこの時をどれだけ夢見たことか。
以前はあれだけ近くにいたのにその幸せは泡沫のように消えてあの幸せな時間が夢だったんじゃないかと何度も何度も思った。
だけど、彼は今目の前にいる。
「お会いしたかったですわ。スタ──────……」
彼の元へ駆けようとした足が止まる。
喜色を浮かべ愛しい彼の名を呼ぶ声が失われる。
パクパクと口を開閉するも声が出ない。
動こうとする身体が地面に縫い付けられたかのように動かない。
「ジル!そこから動くな!!嬢ちゃんも動くなよ」
成程。
この男、やはり邪魔ですわね。
私の行動を奪ったのは今は後ろにいる男の所為だと直ぐに気付き恨みがましく睨み付ける。
ジルと呼ばれた愛しい人は私を見た瞬間目を見開き唖然としていたものの男の呼び声に正気に戻り私へと鋭い視線を投げ警戒している。
暑くもないのに吹き出る汗。これは冷汗か。彼の瞳は夢で見たあの時の瞳と同じように冷たい。馬車の中で見た夢がフラッシュバックしてチクリと胸が痛むも気付かない振りをする。
本当に嫌になるわね。
私は逸る気持ちを落ち着け目を閉じて息を吐き出す。
「公爵家の嬢ちゃんだろうと俺達の事を知られちゃあこのまま帰すわけにはいかない。悪いが縛らせてもらうぞ」
男が背後から歩み寄って来る気配が分かる。
私は心の中でライを呼んで召喚する。
ライがゲートを開き出てきた瞬間に私の身体は光に包まれ淡く発光する。
「本当に貴方嫌な男ですわね。わたくしとスタン様の感動の再会までも邪魔するなんて。幾らスタン様の命の恩人だからと言ってもこればっかりは許されませんわ。」
私は完全にスタン様との再会を喜ぶ機会を失い、その要因である男を振り返り怒りにストレンジが漏れ出し足元に円形を作り小さな水の渦を作り出す。
「その光は治癒のストレンジか。もしかして、おじさんの能力に気付いちゃってる……?ぽいね~」
男は苦笑する。
やばいなぁ。なんて言って後頭部を搔いているが全然ヤバそうには見えない。その態度が更に私を苛立たせるが恐らく男の策なんだろう。
ライの治癒能力は維持されたままだ。その治癒能力によって、興奮状態が沈静化され頭が冴えてくる。
ライの治癒能力は怪我や病気だけでなく状態異常や精神系にもその能力が適応される。ライの治癒によって冷や汗も止まり、声も出せるようになった。つまりは、私の目測通りこの男の能力は状態異常を引き起こすものか精神に干渉する能力なのだろう。
「"威圧"とは珍しいストレンジですわね。初めて見ましたわ。それに、相手に気付かれることなく深層心理にまでその威力が発揮されるなんて、とても恐ろしい能力ですわ」
「うーん。流石、カプレ家の嬢ちゃんだな。噂には聞いていたが噂以上の切れ者な上におじさん以上に曲者そうだ」
男は完全に足を止めて私との間に一定の距離を保つ。
男のストレンジ威圧は私が既に気付いてしまった上に男に対しての恐怖心も不安も一切ないのでライの治癒を解いても問題ないのだが、今は依然として男の言葉を守りじっと動かず此方を伺っている彼が出てくるのであれば話は別だ。
どれだけ気丈に振る舞おうとも彼の事となると簡単に心が揺れる。弱くなる。
今だって本当は直ぐに抱き着いて咽び泣き私を思い出してと縋り付きたい。
しかし、男の前で弱さを見せることは得策ではない。
この男のストレンジはそれ程にも厄介なのだ。
威圧…それは、威力や威光によって相手を押さえ付けること。
弱肉強食の世界でもよくみられるものだ。相手の威圧に萎縮した時、それを分かりやすく諺にした言葉がある。蛇に睨まれた蛙。
私は知らず知らずの間にこの男に威圧をかけられ、本来の力を最大限出す事が出来ていなかった為に反応が鈍り遅れた。トンの重力も初めのうちは効いていたのに途中で効かなくなったのもこの男がトンを威圧して蛙の状態となったトンは徐々に力が出せなくなったという原理だろう。
それにしても、一瞬にして相手の力を半分以下にまで制限する威圧の能力、侮れない。そして、威圧による過度のストレスは失声症を起こし声まで奪う危険な能力だ。気が弱い人であれば威圧を掛け続けることによって急性心不全を引き起こせるのではないかと言われる程だ。
「曲者はお互い様でしょう。寧ろ、貴方の能力の方が油断ならないわ。わたくしは、スタン様に会いに来ただけなの。スタン様を連れ戻しに来たわけではないのよ……少しだけ話をさせて下さるだけでいいの」
私は男の目を見つめ交渉するが男は考える素振りをしつつも私から視線は一切外さず、目も笑っていない。
完全に危険対象と見られている。
「それは、出来ねぇわ。嬢ちゃんが何モンで何処まで何を知ってるか知らねぇが嬢ちゃんとアイツを接触させるわけにはいかない」
「なっ!何故ですの!彼は今此処にいるではないですか!少しでいいの、少しだけ……話をさせて……下さいませ……お願いします……」
この空間に、同じ場所にスタン様がいる。彼は記憶を無くし、名前も変え私の事すらも覚えていない。
そんなの彼の様子を見れば一目瞭然だ。
あの頃のスタン様はもういないのかもしれない……だけど、一年以上もスタン様を求めて来たのだ。この気持ちが、彼の記憶から私が消された程度で無くなるものではない。
私は、腰を折って頭を下げる。彼に関する事ならば何度だってこの頭を下げよう。この国に土下座という概念があれば矜恃などかなぐり捨てて何度だって土下座をしよう。
「師匠……彼女は何を言っているのですか。今此処にいるのは俺と師匠だけですよね」
背後から戸惑いの見える愛しい彼の声が聞こえる。
彼の声をもっと聞きたい。彼の顔をじっくりと見つめたい。彼と共に手を繋いで一年前のように薔薇園を歩きたい。
次々と押し寄せる欲求。
小刻みに震える身体。
だけど、顔を上げることなく男に向かって頭を下げ許しを乞う。
「ジェルヴェール、彼女と少しだけ話をしてやれ」
「よろしいのですか!!」
男が盛大に溜息を吐きスタン様にそう告げる。その言葉を聞いて勢いよく顔を上げると男は渋い顔をしながらも頷いた。
「だが、俺も同伴だ。それと、此奴の名前はジェルヴェール。余計な事は言うなよ。嬢ちゃんの首が飛ぶことになりかねないからな」
スタン様よりも男との距離の方が近い。その為、スタン様には今の会話は聞かれておらず、急に男から私と話をするように言われて驚いている真っ最中だ。
男の同伴は構わないが男の脅しは本気であろう。既に男の能力を見破った私には威圧は効かないし、戦闘力では私が上回っているが男が言っているのは国が出てくると権力の圧をかけているのだ。
そんな事は承知の上。国家機密である彼に接触した時点で私は罪を犯しているのだ。
「分かっていますわ。元より覚悟の上。それに、貴方が黙ってさえいてくださればわたくしの首が飛ぶことも御座いませんわ」
「ははっ。肝の据わった嬢ちゃんだ。見逃すのは今回限りだ。おじさんの首も飛びかねないからねぇ。だから、嬢ちゃんもおじさんたちの事は黙っててくれな」
流石、陰影のリーダーとでも言うべきか。
今回は私の方が有利だと気付いていたようだ。国家機密事項に足を踏み入れるのだ。何の対策も無しに罪を犯すはずもない。その為に一年以上も時間を費やしたのだから。
私はポケットの上から気付かれないようにマティ兄様作成の録音機をそっと撫でる。
「今回はお互い様と言うことで宜しいですわよね。わたくしも誰かに言う気などさらさら御座いませんわ。先程から申してますが目的はただひとつ。ジル様にお会いすることですもの」
私はにこりと笑ってそう言うと後ろを振り返り愛しきあの方の元まで駆ける。
彼との逢瀬の制限時間は残り5分。




