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「本質」と「形式」

作者: Syu.N.

「本質」と「形式」



「本質」という言葉がある。

意味は「そのものとして欠くことができない、最も大事な根本の性質・要素。」

その対義語の一つに「形式」という言葉がある。

意味は「物・事となって現れている(うわべの)形や型。」


ざっくり言うと「本質は「中身」、形式は「見た目・外っ面」」みたいなものと思ってる。

例えるなら「「性格がいい」異性と「見た目のいい」異性ではどっちが好き?」と言った感じかな?

アバウトすぎるかも知れないけれど。



私が何故「そんなの知ってるよ」と言う人が多そうな言葉をわざわざ挙げたかと言うと、

「この二つのどちらを重視するか」で多くの問題の展開が変わってくるということ。

そしてその展開によっては、「八方塞がりあるいは無用な混乱をきたす」と考える。


ここで近年よく取り上げられている、「スポーツ団体にたびたび起こる体罰問題」を例に考えてみる。

「体罰が起こった」。この問題の「本質」は何であろう?

「人を殴るのは暴力。それを行ったコーチは当然、然るべき罰則を与えるべきである。」これが本質ですか?

いえいえ違います。

「「何故体罰を起こした(体罰が起こった)のか。そうしないためにはどうすれば良い(良かった)か。」を

調査・検討し改善すべく議論していく」ことが「本質」ではないでしょうか?


「〇〇大学のコーチが体罰を繰り返していたことが判明。そのコーチは大学から解雇されました。」と言うニュースが流れる。

そして「次のニュースです。」

(・・・え?これで終了??)と思うことが多々あります。

(そのコーチは何故、どういった状況で、どういった考えで体罰に至ったのかがまるでわからない・・・)

ひょっとしたら「練習をしなくて当然のように負けた選手が八つ当たりで襲い掛かり、身の危険を感じたのでやむなく殴り返した」のかも知れません。

「正当防衛」が成立しそうな極端な例ですが、ありえないとは言えないと思います。

こんな例でも本質を考えるなら「練習もしないのに負けたからってコーチのせいじゃないだろう。・・・強いて言えば何故練習をしなかったのか?

しない理由にコーチの指導方法が大きく関わっているんじゃないだろうか?」となるのではないでしょうか。



さて、上では主に「本質」について語ってきましたが、こう思った方もいるのではないでしょうか?

「「本質」とか言って、一つ一つ見て考えろってこと?それは手間がかかるし現実的じゃないよ。」

そうですね。「本質を考えるのってめんどくさい」と言うのは、私も正直なところだと思います。

だから、大きな組織になると「本質を避ける」傾向が顕著になるのかなと考えてます。

大組織の役員・幹部ともなると、皮肉抜きで考える事の多い方がほとんどだと思います。

中には「本質」を考えて行動しようとしている方もいるでしょう。

ですが、ただ(そういう方こそ信頼されていろんな仕事を任される傾向もあるので)純粋に手が回らない方も多いのが現実だと思います。


ちなみに私、こういった「「本質」を考えるべきはわかっているけど、「形式」的にならざるを得ない」と言うのを完全に否定している訳ではありません。

むしろ「”普段は”「形式」通りやってもらった方が、混乱を起こしにくい」とすら考えています。

これが最初に言った「「形式」を重視することで無用な混乱をきたしにくくする」です。逆接になってますが。


「「本質」を考える」ということには以下のようなデメリットがあると思います。

①「原則、個別に考えなければならない」

②「(付随して)時間がかかる」

③「細かいところを考えていくことで、全体がわかりにくくなりがちである」

特に③の状況が重なると、「結局どういうことなの?」となり混乱をきたし、場合によっては誤情報、デマが発生するかも知れません。

そう言った意味で、”普段は”大きな組織であるなら特に「形式を重視して」話を進めるのも一つのやり方だと考えます。


「形式を重視してでもいいよ」みたいに述べた際、執拗に「普段は」とつけました。

そうです。「「普段」ではない時は、「本質」を考えて欲しい」と思っているからです。

「スポーツ団体にたびたび起こる体罰問題」に話を戻します。

体罰を受けた選手や学生の中には、「確かに体罰はあったかも知れないけれど、指導の一環だと思ってる」と言う方もいます。

それに対し、「いかなる理由があれ、殴ってしまえば体罰は体罰。指導と思っているあるいは思われている内はこの問題は解決しない。」と言う方も多いと思います。

正直、真っ向から否定できません。「「指導」を隠れ蓑にして指導者がやりやすいようにしているのでは?」とも思うからです。


ちなみに私自身は「体罰の定義」については以前書いた「体罰とは何か?」において以下のように結論付けてます。

体罰とは「教える側が「自分のために」、教えられる側に危害を加えること」あるいは、

「教える側が教えられる側に危害を加え、かつ「教え子のためにやったと周囲そして教えられる側に理解されない」こと」

まぁ、ここでの「本質」はこれではないので、詳細は省きます。


ここで私が今回気になって取り上げたいのは、「いかなる理由があれ」という文言です。

「理由があるから結果がある」とよく言われます。

その理由の是非を問わずに「本質」を語れるでしょうか?私はそうは思えません。

最初から「体罰を起こそう」と思って動く指導者は、まずいないでしょう。

よしんばいたとしても、「暴力快楽主義者」や「その選手に怨みがある」と言った個人的なケースですかね。

最近は特に体罰に対する世間の目や罰則も厳しくなっているので猶更でしょう。

・・・それでも体罰を起こしてしまった。

そこに軽はずみな理由が安易に並ぶでしょうか?

「指導に熱が入りまたは選手が言うことを聞かないので、「ついカッとなってしまった」」と言うのをまま聞く気がします。

「自制心がないだけじゃん。」そうかも知れません。

ですが、「早期に結果を出さなければいけないプレッシャーで・・・」とか「私もコーチから叩かれて覚えた。だから私もそうした」

「周囲もそうだし、全体的に体罰をしても許されそうな雰囲気だった」と言うのがほとんど無いと言える環境だったのでしょうか?

「それも含めて自制心が足りないんだよ!他の人はやってないんだから!!」と言う方もいるでしょう。


ただ「体罰が発生しやすい環境を放置・継続していくのは好ましい事ではない。」

・・・と考える人が多くいた際はどうなるでしょうか?


「一波纔かに動いて万波随う」と言うことわざもあります。

例え最初は少数でも、同調する人たちが多くなれば、今後の組織の運営に大きく支障をきたすでしょう。

そういった局面において、「形式」的な対応で上手くいくでしょうか?

到底、納得のいく回答・展開とはならないでしょう。場合によっては双方、八方塞がりになりかねません。

なので「普段ではない」言い換えれば「異例な状況」においては「本質」で考える必要性が高いと私は考えます。


「(本質を軽視し)形式を重視する」のデメリットは以下であると考えます。

①「個々の状況が見えにくい」

②「相手が本当に欲しい答えを返せない」

③「ルールの変更が行われにくい」

「形式」と言うのはだいたい伝統・慣習が絡むので、③は容易に想像がつくと思います。


全体を見るのが「形式」、個々を見るのが「本質」とも言えるかも知れません。

でも「全体は個の集合である」ことも忘れてはいけないと思います。



結論:


組織を運営、まとめる上で形、「形式」は必要でしょう。大きいのであれば尚のこと。

ですが、「ここぞと言う時は「本質」は何か」をきちんと考えた上で、判断、回答をして欲しいものです。

2018年10月1日、「平成の大横綱」と言われた「(3代目)貴乃花」が親方を引退、退職しました。


大相撲に詳しい訳ではないですが、父がよく観ていることもあり一般レベルの知識はあると思います。

年代的にいわゆる「若貴フィーバー」直撃世代と言うこともあって、貴乃花は特に好きな力士です。


貴乃花は現役引退後、ざっくり言えば相撲協会と言う伝統に根付いた「形式」と闘っていたんじゃないかなと思ってます。

彼が欲しかったのは「本質」的な答え。でもそれは到底得られそうにない。だから辞めた。


もちろん、関係者でもまして本人でない以上、真実はわかりません。

ですが、私はそう感じました。


なので、私は本作を書こうと思うに至りました。


最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。


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