ダリルの日常2
ダリルの日常1の話の直後のお話です。
ちょっと汚いお話が含まれますので、食事中の方はお気をつけ下さい。
街灯なんてものはない暗い夜道。
足元を照らすのは、今は雲に隠れている月の明かりだけ。
舗装されていない砂利道。胸にワインの空き瓶を抱いてすやすやと気持ち良さそうに眠っている部下のノリスを、両腕に抱えて転ばないように慎重に歩く。
「何が悲しくて男を抱っこしなきゃいけないんだ…」
あの一件以来女性は苦手だけど、それでも抱き上げるなら男より女性の方が良い。
平均より小さい身体は軽いけれど、それでも騎士団員として訓練しているから筋肉の分は重い。
ノリスを見下ろしながら俺は小さく溜息を吐いた。
飲み会の後。
酔いつぶれて眠ってしまったノリスを、ノリスと同じ騎士舎に住む他の部下達に任せようとしたら全員に断られ、それを横で見ていた親父が「お前が送ってこい。団長命令」と他の全員を連れて帰ってしまった。
俺の部下だし仕方が無いかと思い、家まで送る為に俺用の馬車に乗せてやるも、すぐに揺れで「気持ち悪…」と馬車から飛び降りて吐いき。
そのまま道路に寝始め。
しょうがないと背負えば寝惚けながら「暑い」と俺の髪を引っ張り。
無視ししてそのまま背負っていれば「暑いー!」と身体を離すように上体を後ろに倒して地面に頭を打つ。
かと思いきや、誰かが捨てたらしい空のワイン瓶を「うへへへ~むかえざけ~」とか言いながら抱き抱えて眠る始末。
そんなだから、背中と膝裏を両手で抱える…所謂『お姫様抱っこ』になった。
そりゃ、誰も送りたくないと言い出すわけだ。と独り言ちる。
前に飲み会があった時に送ってくれた奴等が、他の連中よりも顔を真っ青にして、首が取れるんじゃないかと思う位に横に振っていたのも頷ける。
騎士舎は王城からそんなに遠くは無い。
飲み会をしていた城内の騎士団室からだと徒歩で三十から四十分くらいか。
ただし、それは通常の時間だ。
今みたいにいつ暴れるかわからない爆弾を抱えている場合は、慎重になる分その倍の時間が掛かるだろう。しかも途中で嘔吐したりもあって時間のロスも多い。
俺、何時に家に帰れるんだろう…明日早いのに…
何度目かの溜息の後、ふと視界に何かがうつる。
その場に立ち止まって耳を澄ませば、砂利を踏みつける小さな軽い音がした。
人数は一人のようだ。辺りは何も無く静かだから、息遣いや衣擦れも聞こえる。
緊張しているのか、相手が息を飲んで帯剣していたのだろう剣を鞘から抜く音が聞こえた。
「…そいつをこっちによこせ」
月が雲で隠れているせいで顔は見えないが、シルエットからして少年のようだ。わざと声を低くしているような喋り方だ。
先日捕縛した奴隷狩りの残党か。
奴隷販売をしていたエリーの親を捕まえた際に、エトワール商会に奴隷を卸していた奴隷狩りの一味も捕らえた。成人男性だけではなく、女性や小さな子供達も奴隷狩りをしていた為に人数が多かった事。そして、捕縛した際にすでにアジトから奴隷狩りに出ていた者が居た為に、何人か捕まえられなかった。
目の前のヤツもそうなんだろう。
暗くて顔は良く見えないが、短いザンバラの髪にズボンの裾がボロボロになったダボダボの服装という姿から察するにマトモな人間ではないだろう。
「……嫌だ。と言ったら?」
「力ずくで奪うまで!」
腰を屈めて一気に間合いを詰めてきた少年は剣を振るうと、俺の耳元で空を切る音がする。
素人にしては早い剣捌きに慌てて後ろに下がるも、すぐに次の剣を繰り出してきた。
随分と使い慣れているのか、少年は細い剣を自由自在に繰り出してくる。
応戦したいけれどノリスを抱いている為にできず、避けるのが精一杯だ。
せめてノリスが起きてくれれば…と考え事をしていたら、何度目かの剣を避けそこね頬に痛みが走った。
「っ!だから!怪我したくなかったらそいつをよこせって!」
慌てたように言うその声は通常の声なのだろう。さっきよりも高い声だった。
ふと違和感を感じた。
奴隷狩りならば傷付けることに罪悪感を感じない奴等ばかりだった。
まるで人間が食べるための豚を捕まえるように、奴隷となる人間を捕まえる時には怪我をさせる事すら厭わない。
けれど目の前の少年は俺の頬が軽く切れただけでも慌てているし、それ以前に身体は狙って来ない。
通常なら、人一人を抱いたままなのだから、身体の方が動きが悪く剣を避け難いとわかっているから身体を狙うはずだ。けれどそれはしない。
一瞬、一応見目は整っているノリスに傷を付けたくないのかとも思ったが、この暗闇で顔が見えているとは到底思えなかった。
一か八かの賭けだと思い、避けるのをやめて立ち止まる。と、案の定、追いかけてきていた剣もピタリと首の横で止まる。紙一重というのはこういう事を言うのか、ほんの少し…1ミリでも動いたら切れる場所に剣はあった。
「っ!!これ以上怪我したくなかったら…死にたくなかったら、ノリスを返せ!!」
「…はぇ?……んー?……なに?……あれぇー?…たいちょーだー…なにー?…ってか…気持ちわる…おぇぇ…」
甲高い声に返事をしたのは、腕の中で目を擦ってこちらを見るノリスだった。
そしてそのまま俺の軍服の胸に…吐いた…
「え?隊長?え??ノリス??え???」
雲が切れて月明かりが差し込む。
俺の白色の軍服の胸元にしがみ付いて吐き続けているノリスと、大切な式典用の軍服に嘔吐されて眉を寄せた俺を交互に見る泥色の双眸の持ち主は、腕の中のノリスとまったく同じ顔をしていた。
◆◆◆◆◆
「すみませんでした!!てっきり人攫いだとばかり…まさか隊長さんだったなんて…本当にすみません!!」
ノリスの騎士舎で素肌に毛布を巻き付けた俺に頭を下げる、ノリスと同じ顔の人物は良く見たらノリスよりも少しだけ小さかった。
多分、弟かな?下げた頭のつむじがノリスと逆巻きだなと思いながら苦笑しながら見下ろす。
「いや。見えなかったんだから仕方が無い。正直俺も始めは奴隷狩りの残党かと思っていたから…俺の方こそすまなかった」
「そんな!!私の方が悪いんです!!本当にすみません!」
「じゃあ、お互いが悪かったってことでここまでにしないか?」
お互いに謝罪を繰り返しても仕方が無いと思いそう言うと、ノリスの弟は困ったように微笑んだ。
騎士舎は前世で言う社宅のような物だから家族で暮らすことが出来る。
貴族や王都に家を持っている団員達は自宅から通うが、中には王都以外の町や村。場合によってはスラム街から騎士になった者たちもいる。
そういう人達の為に、家族で暮らせるようにと建てられた建物だから、弟と暮らしていても不思議は無い。
「そろそろ乾いたかな?…ちょっと見てきますね」
「あ…あぁ。ありがとう」
パタパタと軽い音を響かせて歩く少年を見送ると、部屋の床に転がされたノリスを見やる。にやけた顔で口の端から涎を垂らす様は意外におっさん臭く、ノリスを可愛いと言う女達に見せてやりたい姿だ。
しっかりものらしいノリス弟と比べると雲泥の差だなと、ノリス弟が向った部屋のドアを見やり、さっきまでの事を思い出した。
ノリスの家に着くと、「また吐くと面倒なのでそこでいいです」と床に転がすよう指示したノリス弟は、俺がノリスを下ろすと俺を風呂場へ促した。
「お風呂は…今からはちょっと入れるのは難しいので、お湯沸かしてきますので服脱いでそこに置いておいてください」
そう言うとノリス弟は小走りで部屋に戻った。
言うとおりに、嘔吐物が床に落ちないように気をつけながら服を脱ぐ。
呑むと同時に料理も沢山食べていたから、いろんなものが付いている。これは新調しなきゃダメか?…と思いながら汚れた部分を中にして畳んだ。
「このくらいかな?…服洗うんで、その間に身体拭いてください。って、下も汚れてるじゃないですか。ついでなんでそれも洗いますから脱いで下さい」
ノリス弟は沸かしてきたお湯を、大きなたらいに入れると水で冷ましつつ手で温度を確かめるよう混ぜ、俺にタオルを二枚渡してきた。
一切目を合わせずに服を持って外へ向うノリス弟を見送り、用意された湯にタオルを浸して身体を拭く。
今日は少し暑かったから汗ばんでいた身体を拭うとさっぱりする。
特に嘔吐された胸元を念入りにゴシゴシ拭くと、乾いたタオルで濡れた身体を拭いた。臭いが落ちたか確認する為に腕の臭いを嗅ぐと、湯にオイルでも入っていたのか、爽やかな柑橘系の香りがした。
「終わりました?今急いで乾かしてますので、すみませんがそれまでこれ使ってください。そしたら怪我の治療しますのでリビングに来てください」
洗濯が終わったらしく戻ってきたノリス弟は、申し訳なさからか顔を俯かせたまま薄手の毛布を俺に渡すと、そそくさとリビングに戻っていった。
そして頬の怪我の治療をしてもらい、今の謝罪合戦に至る。
出してくれた紅茶のカップに口を付けると、いつも飲む物よりも薄い香りがした。
庶民用の茶葉なんだろう。けれど、庶民用でも紅茶は少し高めだったはずだから、元スラム育ちのノリス家ではお客に出すには最高級のもてなしなんだろう。
いくら騎士団員とは言え、まだ入って数ヶ月程度の新人だから、まだ余裕はないだろう。部屋を見渡しても、置いてあるのは傷が多くあるテーブルに椅子。
カバーを掛けられたソファーは、カバーを捲るとつぎはぎだらけ。
家具は全て中古か…もしくはスラムに捨てられた物でも持ってきたんだろう。
けれど普段のノリスの服はきちんとしているから、弟はノリスを優先しているんだろうと予測される。
だが…勿体ないな。
弟の剣筋は、傷を付ける事に戸惑いがあるような感じだったけれど、磨けばノリスよりも戦えるようになるだろう。
小さい身体は栄養をきちんと取ればそれなりに育つはずだ。
むしろ若い分、今から育てたら場合によっては隊長クラスにもなるだろうに。
ノリスが騎士団員になったから遠慮をしているのか。それとも何か事情があるのか。
正直、給料は新人でも平民の年収よりも良い。
なら二人とも騎士団員になってしまえば、収入は倍になるだろう。
しかも、今のノリスの仕事は伝令兵だ。同じ顔ならば、敵を欺くにも最適だ。どうにか勧誘できないだろうか…
「まだちょっと生乾きですが、結構乾きました。完全に乾くまではちょっと時間が必要ですけど…どうしますか?もしこんな家で宜しければ泊まっていかれますか?」
「え?…あ。いや。生乾きでもいい。ありがとう」
俺の軍服を両手で大事そうに持ってきたノリス弟に礼を言って受け取る。
ほっとしたように微笑んだノリス弟の瞳と、初めてきちんと合った。
ドクンと心臓が鳴った。
ノリスと似ていると思った表情は、ノリスよりも可愛らしい。
稚児趣味はないけれど、ふとその柔らかそうな頬に触れたいという衝動に駆られる。
「あの?」
「あ。すまない」
思わずノリス弟の頬に出しかけた手を慌てて引っ込める。
「着替えてくる。その後に、ちょっと話をしてもいいだろうか?」
「え?…はい。大丈夫ですが…隊長さんは大丈夫なんですか?」
ちらりと時計を見たノリス弟は頷くと俺の心配をしている。
時計はすでに深夜2時を指している。明日…すでに今日になったけど、は、5時には起きて登城しなくてはいけない。今から帰って寝たら、確実に寝坊コースだし、ここに泊まっても同じだ。むしろ城に近いだけ自宅に帰った方がマシだろう。
「弟君が大丈夫なら、話をさせて欲しい」
「え?…はぁ…明日はバイトも休みなんで大丈夫ですけど………」
了承の言葉を聞いてから、生渇きの軍服を持って脱衣所に向った。その後に何か言っていたようだけど、良く聞こえなかったから後で聞こう。
読んで頂きありがとうございます。
中途半端ですみません。まだ続きますが長くなりそうなので一旦投稿させて頂きました。
次回、ダリルの日常3を投稿します。
また読んでいただけましたら嬉しいです。
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