PART3
「~~っステキ!! 素敵よリオン!! こんなスゴイの、生まれて初めてなんだからぁっ」
そう興奮して飛び上がる彼女”ソレイユ”はスマートフォンと携帯音楽プレーヤーをそれぞれ両手に握り締めて、きらきらと目の前に流れる陽光を反射する小川と同じくらいその碧玉の瞳を輝かせていた。表情は正しく恍惚としていて、目に悪いブルーライトを発するスマートフォンの画面を凝視し、一生懸命に画面を指で撫でその度に切り替わる画面にその度に歓喜の黄色い悲鳴を上げる。そんなソレイユの両耳にはイヤホンが詰まっており、伸びたコードは音楽プレーヤーに接続、凛音がいた世界で流行りの楽曲が今は彼女の耳に流れている真っ最中だ。
今、凛音とルーン、そしてソレイユは彼女が経営しているという雑貨屋と言う名のガラクタ置き場に居た。最先端の最新デバイスを前に最早他は目に入らないらしいソレイユが落ち着くまで、凛音は小川の畔、若草の絨毯の上に腰を下ろし村の様子を眺めていた。先程は子供たちに翻弄されたものの、村のやや端にある”雑貨屋ななつ”の前から見えるセントレルのその牧歌的な様相は絵画のようで、凛音は自らがこれまで見て来たどの風景よりも美しいとさえ思っていた。
彼のこれまでの人生は退屈極まりない、不自由こそ少なく家族にも友人にも恵まれても尚満たされない何か。だからこそ満たされなかったのかもしれないと、その時ふと凛音は考え至る。よくある暮らし、よくある日常、何も自らを起点には起こらない。起こり得ないと考えていた、あの時までは。
「助けて、欲しい……あなた、救い主……」
今は座る凛音の隣で降り注ぐ日の光の下、ぽかぽかの陽気が気持ち好かったのか若草の上で仰向けになり寝息を立てているルーンを彼は見る。そして思い出す。学校が終わりいつもの一日が過ぎようとしていた夕焼けに染まる街角。何故か人通りの無くなった大通りで凛音はルーンと出会った。助けてほしい、そう言われ幽霊と言われても通用しそうなほど現代社会からは浮世離れした彼女をしかし彼は放っておけず、良いよと応えてしまった。安請け合いは悪い癖だと昔から言われていた、しかし困っていると、助けてほしいと頼られて決して断れないのが凛音だった。それだけは体裁などと言った下らないものの為ではなく、彼自身が生まれ持った自身の根底に根ざした凛音が凛音である為の唯一のものであった。だから、助けてほしいというルーンを、助けると凛音は彼女に約束した。そこからの記憶は一部が欠落、再び思い出せるところはルーンと共に見下ろしたこの世界という景色。
幸せそうに眠るルーンを眺めながら、凛音がそんな風に物思いに耽り、人知れず、自らも知らぬままに穏やかな笑みを浮かべていると、突如彼はずしりとした感覚に前のめりになる、なんだなんだと首を回して後ろを見るとそこには凛音の背中に腰かけたソレイユの嘲笑があった。そんなソレイユとは裏腹に怪訝な表情の凛音、ソレイユはシシシと意地悪い笑い声を喉から出しながら握った拳の親指だけを出してその指先を傍らのルーンへと向ける。
「エッチなことしようとしてた」
「してない」
「だって見てたでしょ」
「見てない」
「おっぱい」
「ぐっ……」
言い淀んだ凛音を見てキャハハと愉快そうに笑うソレイユは凛音の背中に腰かけたまま足を浮かせてぱたぱたと宙を蹴る、凛音が言い淀んだのは何も図星だったからではなく気恥ずかしさから言葉に詰まったに過ぎない。実際言われるその時までまるで意識などしていなかったが、しかしソレイユに言われた事で逆に意識してしまったのだ。ルーンに救い主と呼ばれ、超常的な力を発揮しようとも、凛音は年頃の男なのだから。
赤くなった顔をソレイユから逸らし、小川の中を泳ぐ魚を見ながら冷めて行くのを凛音は待つ。しかしソレイユはそんな彼を一層面白がって一度は彼の背中から降りるものの、すぐに凛音の背中の方を向いて今度はその背中に抱き着いてみる。その突然の凶行に凛音は直後凍り付き、ソレイユは彼の首に腕を回しながらどれどれと肩口から顔を覗かせるとそこには彼女の想像通り耳まで顔を赤くした凛音の間抜け面があって、思う壺な彼の様子ににんまり笑うソレイユは掌で凛音の熱い頬を撫でつつ顔を寄せて行く。そして唇を彼の耳元まで寄せたソレイユは、そっとそこで唇を動かす。
「……良いもの見せてくれたお礼、してあげようか。救い主様のリオンになら、なぁんでもしてあげるよ?」
「っ……ばっ、ッぶぐ……!?」
「はーい、本気にしなーい」
耳元で吐息と共に囁きかけられたソレイユの言葉は扇情的に過ぎ、それによってあっと言う間に目を回した凛音が最早なりふり構わずに彼女から逃れようとした瞬間、先手を打つようにソレイユの指が凛音の鼻を摘み思わず凛音は豚のような声を出してしまう。混乱して動きの止まる凛音の首から腕を解いたソレイユは次に彼の両肩にそれぞれの手を行くと、よっという軽い掛け声の後に凛音の上で逆立ちを行う。そしてそのままくるりと足を縮めて前転の動作に移ると一回転して凛音を飛び越える。その身軽な動作に呆気に取られつつ摘ままれて赤くなった鼻を摩る凛音を振り向いたソレイユが見詰め無邪気そうに笑う。
「リオンってさ、ちょっと良いなって……ふふ、ごめんね?」
水面を反射した陽光を背景に金の髪を躍らせたソレイユ、タンクトップとショートパンツと言う活発そうな格好通りに多く覗く焼けた肌はそれらの要素を見事に引き立てる。思わずどきりと胸を高鳴らせた凛音、そして一連の騒動で微睡から覚めてしまったらしいルーンが上体を起こし欠伸を一つ溢す。事態が飲み込めないらしいルーンは二人の様子を交互に見た後、また欠伸を落としふらりと体を横たえたのだが、今度は草原の上ではなく凛音の膝の上へとその頭を乗せた。それがあって漸く謎の金縛りから解放された凛音は視線を落とし、膝の上で眠るルーンをどう扱って良いのか分からずに眉を下げて困ってしまう。そんな凛音を見かねたソレイユは自らの頭を掻きつつそのまま静かに寝かせていてあげれば良いと告げる。なんでも角のある竜人の共通の悩みとして眠る時に角が邪魔で寝辛いというものがあるらしい。ソレイユの様に比較的小さな角ならばまだ良いが、対するルーンの角は両側頭部付近からそれぞれ生え後頭部にかけてぐるりと輪を作るように伸びている。その形はさながら天使の輪とでも言うべきか。兎に角ソレイユと比較しても大型の角だ、それでは眠る時もさぞ辛いだろうと彼女はルーンに同情する。
それを聞いた凛音は自分の膝で楽に眠れるのならとなるべく大きく動いたりせずにルーンをそのままにしておくのだった。
無防備な寝顔を晒し、規則的な肩の上下を繰り返すルーンはまるで膝の上の猫。凛音は半ば自然と彼女の翡翠の髪を撫でる。そうするとルーンが僅かに身動ぎ、心地好さげに表情を緩めた。その様子が何だか凛音の気分を良くさせ、二度三度と眠りの妨げにならない程度の頻度でそれを繰り返した。そうしていると彼の傍らにソレイユがやって来て腰を下ろす。また揶揄われるのかと表情を硬くした凛音だったが、今度ばかりは違う様でソレイユも一緒になってルーンの寝顔を覗き始める。
「……リオンはさ、珍しいものいっぱい持ってるけど、一番珍しいのってこの子なんじゃないかな。角があって羽もある人はまあ居ない訳じゃないけど、ふわふわの羽なんて初めて見たし、何ていうか雰囲気? みたいなのも特別感あるよ。でもこの子は買い取る訳にはいかないしなぁ……あの《《板》》でガマンするか~」
ソレイユがあの時凛音を助けたその訳は、救い主とまで言われる人物ならば自らの好奇心を満足させられる珍しい逸品を持っているのではないかと言う考えからだった。結果的にはその予感は的中したようだが、それ以外にもルーンにも興味があるようだった。しかし彼女ばかりは凛音から離れる気配も無く、諦めるしかないとして凛音と一緒になって彼女の髪を撫でて諦めをつけるソレイユ。ちなみに互いの自己紹介もソレイユが凛音のポケットを漁っている際に済ませていた。
こうしてソレイユ側の目的が大概果たされたと感じた凛音は今度こそ、彼の懐く疑問について尋ねることにする。ソレイユが何か知っていれば良いがと一縷の望みを胸に、まずはここがどういう場所で、頻りに耳にする”救い主”とは何なのか、それを隣に座るソレイユへと凛音は尋ねた。少しの間を置いて、目を丸くしたソレイユが言う。
「――うそぉ……それ、マジで言ってるの?」
……と。