PART5
危ないとガンダーが叫んだ瞬間に、凛音の姿は彼の目の前から消え失せた。それは決して凛音が動いたわけではなく、突如割り込んで地中から突き出て来たサンドドラゴンの尾の先端による攻撃に曝されたからだった。サンドドラゴンは何もその強大な力で正面から敵を打ち取るだけが能の竜ではない、高度な知能は致命傷を受けて倒された”ふり”すら行い、更にはそれを囮に隙に付け入る硬骨さが最も恐ろしいのだ。地中を尾だけ潜航させ、凛音が隙を見せる時を窺い、その時が訪れるとすかさずそこへ攻撃を見舞う。見事に一連の不意打ちを成功させたサンドドラゴンは即座に復活し、辛うじて剣の腹で尾による攻撃を防いだものの姿勢を崩した凛音に矢継ぎ早の尾の叩き付けを行う。凛音もそれを次々と剣で払い除けて行くものの、上からの叩き付けを防いだ際に遂に膝が折れ、その隙へとサンドドラゴンの尾が槍の様に凛音の顔面へ目掛けて放たれた。誰もが危機を感じた時、顔を上げた凛音の表情に一早く気付いたガンダーは呆ける守護兵たちに伏せるよう怒鳴り付ける。ガンダーの声に半ば反射的に従って地面へと次々飛び込む守護兵たちと、自らも身構えたガンダー。凛音は決してサンドドラゴンに力負けして膝を折ったのでは無く、それはそう、まるで力を溜め込むかのように”構えた”様にガンダーには見えたのだった。
腰を低く落とし、反対の脇に剣を潜めた凛音。その剣に宿っていた烈火の輝きはやがて凛音の全身に行き渡り、増大して行く。そしてサンドドラゴンの尾がすぐ眼前まで迫ったその時、その表情を不敵な笑みに変え、まるで居合でもするように凛音が剣を振り抜くとまず刃に触れた尾が横から切り裂かれ、次に剣から生じた光を伴った衝撃が走り、それは凛音の正面に広範囲に広がってガンダーたちの頭上を掠めて行く。そして衝撃波の直撃を受けたサンドドラゴンはその巨躯を軽々と吹き飛ばされ背後の山肌へと叩き付けられてしまう。山肌と共に崩れ落ちる様に力無く長大な体躯を折り曲げて倒れるサンドドラゴンを見て凛音は漸く安堵の溜め息を零す、何事も無かったとはいえいきなり剣を手に蛇の化け物の様なサンドドラゴンとの戦闘、緊張と言う言葉すら生温い。実際攻勢に移ったサンドドラゴンに凛音は恐怖していたし、今の一撃とてイメージ通りの結果が出るか不安であったものの共にあるルーンと竜、そして自らの勇気を奮い起こして彼は立ち向かった。そして結果は好転した。今だ焔の揺らめきの様に煌々と輝きを放つ剣を手元に眺める凛音、だがまだ終わりとは相成らないようだった。
覆い被さった土や岩を払い除けて、全身の筋肉の伸縮を利用した爆発的な跳躍を行ったサンドドラゴンが凛音に襲い掛かる。剥き出しにした牙で噛み砕かんと迫ったサンドドラゴンの顎を凛音は咄嗟に剣を盾にして防ぐものの勢いにまでは勝てず、そのままサンドドラゴンの突進のままに引き摺られていった。このままではまずいと凛音が思った時、サンドドラゴンの牙を押さえ込んでいた剣の輝きが増して行く。
「汝の、力に……代わり……っ! うぉぉ……ガァァアッ」
その直後、サンドドラゴンはまるで何かにつっかえた様に身体を後ろ側から大きく跳ね上げて動きを止めた。そして膨大な量の炎のような真紅の輝きの噴出がサンドドラゴンの眼前から始まり、追い掛けてきていたガンダーはそれを目の当たりにして怖気を感じ息を飲む。彼は目を凝らし、その濁流の様な輝きの中に居る凛音の姿を確認する。そこに居た凛音の姿は、先程までの純白に包まれたそれとは違っていた。そこに居たのはまるでガンダーたち竜人の様な角を生やし、翼と、尾すら備え、全身を刺の鱗と甲殻の鎧に包んだ正しく竜と人が混ざり合ったが様な風貌の凛音らしき存在だった。そんな今の凛音が持つ力は絶大であり、サンドドラゴンの突撃を事も無げに受け止めあまつさえ押し返し始めてすらいた。
竜を屠る竜。ガンダーは祭壇への入り口がある山麓を見る。あそこの最深部にある祭壇はかつてあらゆる竜を支配した最強にして最悪の”覇竜”の巣を祀り造られたとされる。そしてそこで眠りについていた少年が凛音。今、サンドドラゴンを圧倒しようとしている彼だ。まさかあれこそが覇竜の力なのかと、ならば救い主と言うのは、その意味が持つもう一つの側面を想像しガンダーは言葉を失う。そんな時、世にも悍ましい咆哮が轟いた。それはサンドドラゴンのものではない、であるならば一体なにもののものなのか、それは彼、凛音から発せられたものだった。まるで竜の咆哮のような叫び声と唸り声を上げる彼はサンドドラゴンを押し込んでいた剣を振るい上げる。するとその巨体が嘘かの様にサンドドラゴンの体躯が宙に浮いた。
マグマのように噴き出していた真紅の光が凛音が掲げた剣へと集まって行く。それは剣を中心に渦を巻き、天に届くかと言う程高くまで伸びて行く。そしてやがて光は形を成し始め、剣の元のその形に準えた巨大な真紅をした剣となった。王冠の様な角をその頭上に生やし、煌々と輝く竜の目をした凛音は、鋭い牙を生やした歯を剥き出しにして叫んだ。同時に振り下ろされた巨大な剣は宙のサンドドラゴンを直撃し、共に地面へと叩き付けた。強力な土竜をも容易く両断したその一振りは地面を抉り、その先にあった祭壇の山をも切り裂き破壊して見せる。剣の生み出した切れ目からはマグマの様な灼熱の輝きが溢れ出し、吹き上がる。その光景はこの地から流れ出る鮮血のようで、地響きは痛みに悶えるそれの様にガンダーは感じた。
「お前たち、戦う用意をしろ」
ガンダーが発した言葉に守護兵たちがどよめく。ガンダーの目には倒すべき敵を失い、まるで次なる獲物を捜すかのように周囲を見渡している人の形をした竜となった凛音が居た。再び、今度は怒鳴るように守護兵に戦闘準備を命じるとガンダーは斧を両手で握り締め構えを取る。守護兵たちもガンダーに続き各々の武器を構えた。そして凛音も、そんな彼らを視界に捉えると両腕を荒々しく振り広げ空を仰ぎながら咆哮した。その衝撃にガンダーは兎も角、守護兵たちは容易く後退りしてしまい、続いて凛音の足元から吹き上がる光の噴出に皆が怖気づいた。唯一ガンダーだけは恐れを押し留めて凛音と睨み合う。同じ竜の目をした二人、しかし持ち得る竜としての力は絶望的なまでの差がある。例え打ち合ったとしても瞬く間にガンダーたちは凛音に八つ裂きにされることだろう。
それでも生き残るためには、例え救い主であるものに立ち向かうことになってでも戦うしかない。そうガンダーが死を伴う覚悟を決めた時だった、突然凛音が苦しむ様に悶え始め、その場に膝どころか両手を着いて跪いたのだ。それでも再び立ち上がり覚束ない足取りでガンダーたちの元へと歩み始めたのもたったの数歩。すぐに凛音はその手から剣を滑り落とし、頭を抱えて呻き声をいつまでも上げた後、再び空を仰ぎ一段と悍ましい咆哮を上げたのを最後に纏う光は霧散しその身に纏っていた竜の鎧も消滅。再び純白の装衣ちに戻ったのも束の間、それすらもゆっくりと白い光の粒子になって消えて行く。そして最後に残ったのはガンダーが初めて出会った時と同じあの変わった服装をした凛音だった。
茫然自失と言った様子で立ち尽くすのも程々に、凛音はやがて糸の切れた人形の様にその場に倒れてしまう。思わず駆け寄り助けようとしたガンダーだったが、その足を止めた。
「君は……」
ガンダーと凛音の間に立ちはだかったもの、それはこれまで影も形も見えなかった翡翠の髪の少女ルーン。彼女は凛音を護るようにガンダーの前に立ちはだかり、両手を広げた。彼女の竜の目が呆気に取られるガンダーを睨みつける。ガンダーは動くことが出来ず、ただその竜人と思わしき謎の少女を見詰め、疑問を投げかけた。君は誰だ。その問い掛けにルーンは答えず、凛音を彼から庇い立ちはだかり続けるのだった。
伝承はおとぎ話などでは無かった。彗星は本当に現れ、救い主を連れて来た。ただそれは、誰もが言い聞かされてきた、単純な救世主が悪を打ち倒すだけの英雄譚とは違うことをこの時ガンダーは理解する。突如何処からともなく現れた少女の背後で眠る少年。その少年が見せた圧倒的で、あまりに強大過ぎる力はきっと片鱗に過ぎない。救世主と呼ばれる存在が振るうにはあまりに恐ろしい力。ガンダーの一族は使命を果たせなかったことを悔やみながら皆死んでいった。しかし、その使命の正体を前にしたガンダーは父や祖父、その先祖たちが幸せのままに逝ったのだと気付く。それでも守護者たるガンダーは、自らに言い聞かせるのだった。
――少年を正しく導くのだ、と。