PART2
彗星が駆け抜けた日から一晩が経過した。この地の住民たちの混乱はまだ納まるところを知らない。何故なら彗星は邪竜の復活を予言するものだからだ、今の世代は邪竜と救い主の伝説がただのおとぎ話と思い疑わない、彗星など見られないし、それに乗ってやって来る救い主も、邪竜もあり得ない。けれど、それがつい先日現れた。おとぎ話が、伝説が現実となる? 在り得ないと誰もが言いながら、けれど異様な状況であることに間違いはないと騒ぎは瞬く間に広まった。
火山の活動の活発化、凶暴化する野性の竜たち。異常などそこかしこに始まっているではないかと、呑気な人々の有り様に溜め息を吐いたのは聖竜が眠ると伝わる森を守護する一族にして、歴代の守護者でも指折りの実力を誇ると称えられる青年”ガンダー”だ。
彼は自らと守護兵たち数人を率いて彗星の行方を探る遠征へと立ち、森を離れ、森の切れ目である岩場の境界まで来ていた。彗星が落下したなどと言う報告は一つも無かった、しかし伝承通りの事態であるならば、救い主が降り立つ場所は分かる。ガンダーは移動用に調教された人数分の飛竜を待機させ、岩場の果てに聳える山のその山麓へと向けて更に歩みを向ける。
道中現生する生き物の中でも比較的巨体とされる四足歩行の獣の襲撃に会いながらも、ガンダーの得物である斧によりそれを撃退。無事であることを喜ぶ守護兵たちを他所に、本来山の中腹に生息していて出会う筈の無い獣が何故このような場所に居るのか、あまつさえ群れる生き物を襲わない習性であるにも関わらず、なりふり構わずに襲い掛かる程気が立っていたのは何故なのか、ガンダーの中に広がる疑問は尽きないどころか広がる一方であった。
やがて太陽が頂点から傾いた頃、ガンダー一行は山麓の一歩手前のとこまでやって来ていた。ガンダーが空を見上げると、飛竜たちが空を埋め尽くさんほど飛び回り、激しく騒ぎ回っていた。嫌な予感がする。そうガンダーが口にすると、流石に不穏さを感じ取り始めたらしい守護兵の若手が止めてくれとガンダーに不安の言葉を向ける。
「馬鹿言え、俺が居るんだ、何があってもお前らに傷一つ付けさせやしないよ」
ガンダーはそう言って左右に一本ずつ、人での犬歯に当たる位置に生えた牙を歯ごと歯茎が見えるまで剥き出しにして笑いかける。それじゃあ立場がないと守護兵の古参が同じくして笑い、若手の肩を軽く叩き元気付けて行く。若手も随一の実力者であるガンダーが居れば、先程の様に危険に会っても平気だと思えたのか、引きつってはいたが笑みを取り戻していた。
「さて、では彗星は本物だったのか確かめに行くとしよう。気を引き締めろよ、皆」
応、とガンダーに続き守護兵たちは山麓に出来た天然の洞窟を利用して造られた、伝承の救い主を祭り上げる祭壇へと、入り口に二名待機させ入って行く。
祭壇内は定期的に聖竜の森の神官らがガンダーや守護兵を連れて手入れに出向いていることもあって小綺麗だ。しかし何かがあったとするならば、内部はあまりに静かにガンダーには感じて、やはり彗星はただ観測されただけなのではと思い始めてもいた。何もないならばそれで良し、異変に感じていたのも時期的に不安定な期間に突入しただけだと割り切れる。ガンダーはそう考えつつ、歩みを止めずに暫くは一本道の祭壇を進み続けた。
やがて外からの光が届かなくなり始め、祭壇内部は闇に閉ざされようとしていた。ガンダーの指示で守護兵の若手が竜の吐瀉物から採れる発火石を使い松明に火を灯し、その火を祭壇の松明に移した。竜の脂が松明同士を結んでいる綱には染み込んでおり、それを火が伝うことで、内部の松明全てに一斉に火が灯る仕組みとなっている。そうして暗闇が照らし出され、再び進めるようになってから数分、一行は遂に祭壇の最深部を封じる扉の前へと辿り着いた。
祭壇の出入り口を閉ざす扉に画かれているものは一匹の竜と、角も翼も尾も持たない人の姿。そして一本の輝く剣。この扉を開く資格を持つものは本来神官であるが、ガンダーにもその資格がある為、彼が代表して扉へと手を掛ける。力任せに石の扉を押すと、接合部や砂利を引き摺る重々しい音と共に扉が開かれ。通れるだけの隙間が出来ると、そこからガンダーは片方ずつ開きかけの扉を肩で押して完全に解放した。
祭壇の最深部にして本部。山の内部をくり貫いて造られたその空間は、かつてあらゆる竜を支配する最強の"覇竜"がここに棲んでいた名残だと言われる。ガンダーと守護兵たちはそこへ立ち入る前に全員で跪いて黙祷を捧げる。
神官が不在なうえ、緊急と言うこともあり略式ながら儀式を済ませた一行はいよいよ祭壇本部へと立ち入る。また先程と同じ様に若手が松明に火を灯すと、同様の仕組みで本部を次々松明の火が明るくして行く。そして天井の中央、最も高い位置に設置された大発火石に巨大な炎がぼんっと短い爆発音と共に燃え盛り、祭壇から闇を追い払った。
一行がその雄々しく燃え盛る炎から、その真下に位置する祭壇へと視線を移した直後、ガンダーを除く守護兵全員が驚きのあまり声を上げてにわかにざわめき始めた。ガンダーも切れ長なその目の中に輝く金色の猫目のその瞳孔を大きく広げてそれを凝視する。祭壇には体を横たえた人らしきものが居たのだ。
ガンダーは守護兵たちにその場での待機を命じると、彼は一人で祭壇へと歩みより始めた。この中で祭壇に近付くことが出来るのは、扉を開けた事と同じ様にガンダーだけなのだ。警戒は解かないまま、しかし仕来たりに従い武器には手を伸ばさず、ガンダーは一歩また一歩と祭壇で沈黙するその人物へと近付く。
「――これは」
祭壇に横たえたそれは紛れもない人の少年であった。ガンダーが見た事も無いような衣服をその身に纏った少年は規則的な呼吸を繰り返しており、それはつまり眠っているようだった。ガンダーが驚いたことの一つに、その少年には角も無ければ翼も尻尾も無い。手を伸ばして少年の唇を押し上げて見るガンダー、やはりそこには牙すら無い。どれ程竜の血が表層化していなくとも最低限牙程度は生えるはずとガンダーは不思議に思いながら、今度は少年の襟元に手を伸ばし、ネクタイを緩め釦を幾つか外す。そして少年の纏う衣服を胸元が見える程度まで開けさせると、僅かに日焼けした健康的な肌があるばかり。
「鱗も無しか……まさか本当に……」
どれか一つはあるべきものが目の前の少年には何一つとして存在しない。鱗がある者は少ないながら、ならばと確認してみてもやはり少年に鱗は無かった。正しく、ガンダーの眼前に眠るその少年は伝承に語られる彗星に乗り現れるという人そのものであった。ガンダーはそれ故に言葉を失う、この少年がもし本物だというのならば、ならば、邪竜の復活もまた現実に起こり得るということとなる。異変もまた時期による偶然などではなく、全ては必然と言うことになる。
ガンダーは眠ったままの少年を抱き上げると興味津々と言った守護兵たちの元へと戻る。我先にと彼の抱えた少年を一目拝もうと守護兵たちがガンダーに押し寄せるものの、ガンダーはそんな彼らを押し退けて本部から出て行こうとする。普段は温厚で気の良い彼のただならない様子に守護兵たちは急ぎ扉を総出で閉めて追い掛けた。
半ば駆け足気味に通路を戻ったガンダーは見張りをしていた守護兵二人に声を掛けて帰還の指示を出す。それを聞いた二人は戸惑いつつも飛竜を呼び寄せる為の角笛を手に取り、それを吹こうとした時だった、突然起こった地鳴りと地震。思わずバランスを崩しかける程の揺れにガンダーは危険を感じて、同時に追い付き全員揃った守護兵たちに武器を構える様に命令を叫んだ。
何が何だか分からぬままに指示通り各々の剣や槍と言った得物を手にした守護兵たち、そしてそれは現れた。
「山が、山が崩れるぞ! あれは……サンドドラゴンだ!」
守護兵の若手が指差す方向に全員が視線を向ける。山肌が盛り上がり爆発するように吹き飛んだ後、そこから出現したのは牙と角を有しながら四肢も翼も無い、蛇のような外見をした巨大な土竜”サンドドラゴン”だった。
本来生息域でないこの地域に現れたサンドドラゴンは咆哮を上げながら山肌を滑り降り、蛇のような長い身体をくねらせながらガンダー一行の方へと一直線に向かう。サンドドラゴンの纏う雰囲気は明らかな敵意。それを察したガンダーは皆を散開させる。しかしサンドドラゴンが目指す先はガンダーだけ。
「狙いは俺……いや、この少年か!?」
少年を抱えたままでは戦えない。今だ眠る少年をガンダーはしっかりと腕に抱き、直後突進してきたサンドドラゴンを跳躍して回避する。心配する守護兵たちに狙いは自分だけであることを伝えたガンダーは、自らを構わずサンドドラゴンに攻撃するよう指示を出す。
各々がサンドドラゴンの身体へと飛び掛かり、刃を突き立てようと奮闘する中、ガンダーもその隙に少年を岩陰へと隠し、自らも斧を手にする。
己の身長ほどもあるポールアックス、絶大な威力を秘めたその武器を両手に握り締め、ガンダーは若手へと牙を剥いたサンドドラゴンの目の前へと躍り出る。そして咆哮を上げて振り抜かれた斧の一撃により、激しい激突音が轟きサンドドラゴンの顎が大きく天を仰いだ。そしてそのまま仰向けに倒れたサンドドラゴンはぐねぐねと暴れまわりながら蜷局を巻いて体勢を立て直す。狙いを完全にガンダーに定めたと言わんばかりに縦に切れた眼孔で彼を睨むサンドドラゴン。そしてサンドドラゴンと同じ目を持つガンダーもまた、その眼光に臆することなく睨み返した。
きっとこれも偶然や不運などではない。ガンダーは伝承が決しておとぎ話ではなかったことを今確信した。彗星の出現と時を同じくして伝承通りに現れた竜にない少年、そしてその少年を狙い現れたサンドドラゴン。
(ならば俺の役目は、漸く一族の悲願を果たすことが出来る)
「土の偉大なる竜よ、其方が悪しき気に中てられ、彼のものを亡き者にしようと言うのであれば、今は彼のものに代わり俺が……このガンダーが其方を打ち倒そう!」
ガンダーが雄叫びを上げるのと同時に、サンドドラゴンもまたその顎を開いて咆哮する。当代の守護者ガンダーは今こそ己の、一族が生涯果たすことの叶わなかった使命を遂行出来る事への喜びと、平穏が終わりを告げた事への悲しみを全て自らの力に変えて戦う意志を決める。守護兵たちと共に強大なサンドドラゴンへと駆け出したガンダー。決死の戦いが始まった。