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恋花の咲き開く時(十二)


 流石に今だ咳の止まらない山田を放っておけなくなった僕は、山田をトイレに連れ立った。よほど大量に入ったのか、鏡台に手をついて何度か強く咳き込ませると、そこでようやく収まりが見えてきた。

「大丈夫?」

「あ、ああ……コーラの一気飲みとか死ぬってことが良く分かった……」

 やっと人並みに話せるかと思ったら、やはりまだ収まりきっていないようで苦し紛れにはにかむように微笑みながら咳き込んだ。その様子を見て僕は苦笑で応え、背中を擦ってやった。

「あー、マジ辛かったわ……ありがとな、竹之内」

「さすがにあれはやりすぎたんじゃない?」

「だなぁ。これからは炭酸じゃなくて、もっと別のやつで一気飲みするわ」

 そういう問題ではないのだけど、僕は再び苦笑気味の愛想笑いを浮かべて肩をすくめた。そうしてついでに用を足していくという山田を置いて、先にトイレを出ると先程とは打って変わって店内は静まっていた。

 善貴は一体何が起こったのか分からずに、元いた席に戻ろうとした。しかし、その足が急に動かなくなる。

「あ、あれ?」

 一瞬焦った善貴の中で、緊張した声で呼び止められる。

『ヨシタカ。良く見ろ』

 その声に促されるまま、様子のおかしい店内、その要因になった中心に目をやった。

「よお、また会うなんて奇遇じゃんか」

「ちょ、ちょっとあんた」

 そういって伊東が席を立ち上がった。クラスの皆で集まっている真っ只中に、全員が全員、革ジャンにチェーンをつけた恰好で、いかつく粗暴の悪そうな連中が五人、僕らが陣取っている辺りでとぐろを巻いていた。

 その内の一人が威勢良く、座っている女子の一人の手を掴み上げる。

「痛っ! ちょ、やめてよ」

「うるせえ! ふざけやがって! てめえのせいでどんだけこっちが恥かいたと思ってる!」

 そういって、男の一人は腕を掴んだ女子に向って吠えた。男たちは目に狂気を宿らせて、見る者たちを圧倒していた。体格も良くいかつい連中五人に囲まれれば、女の子など一溜まりもない。案の定、全員が全員、男たちの凶暴な雰囲気に飲まれている。

 立ち上がった伊東もその場に立ち尽くしていた。普段はクラスの中で威勢よくしている連中も、下手に動けばすぐに手を出してきそうな連中の凶暴さに、完全に鳴りを潜めてしまっている様子だ。

 その中で、唯一先生だけが冷静そのものだった。

『全く、いつの世もああいった手合はおるものだ。ま、刀を持ってないだけマシかもしれんがの』

 そうはいっても先生の生きた時代と今とは違う。先生はもちろん、僕もここにいる誰も刀など持っていない。以前言われた、あらゆる身分層が刀を帯びていたという理由が、なんとなくだけど理解できた。

 もし危険な目に遭った時、それを自分でなんとかしないといけない時、確かに身に何かあれば何とかしないといけないという、そんな気持ちが生まれるのも当然だと。

 クラスの皆もなんとかしようと勇んで立ち上がる者が数名いはしたものの、連中の一人が睨みを利かせると、たちまちその場を動けなくなってしまった。それほどに彼らは凶暴さを身に纏っていた。

「お、お客様。申し訳ございません、他のお客様の御迷惑になりますので……」

 この様子を見かねた店長らしい男が恐縮しながら男たちの前に出ていった。これで少しは場が収まるかと思うと、そんなのは杞憂に終わった。連中は彼の胸ぐらを掴んで今にも殴りかからんとする勢いだったのだ。

『む、いかんなあれは。ヨシタカよ、かわや(=トイレのこと)に戻れ』

 僕は命じられるままに、トイレに戻る。

『その用具入れとやらに棒があるだろう。それを持て』

「はい」

 用具入れの戸を開けて中にあったデッキブラシを掴んだ。トイレを出ていったのに、すぐに戻ってきた僕の様子を山田が訝しげに見つめていた。その山田に、今は出ないほうが良いと告げて、僕はデッキブラシを手にトイレを出た。

 トイレを出ると事態は変化しており、腕を掴まれていた女子の間に、一人の女子が連中との間に割って入っていた。

(瀬名川――)

 僕は声にならない声で叫んだ。どうやら先程腕を掴まれていたのは、友人である金森由美だったらしい。その金森と男たちの間を、瀬名川が割って入っていたのだ。

『ふん。中々に骨のある女子ではないか』

「喜ぶようなことじゃないでしょ」

 瀬名川の様子を面白おかしくいう先生に、半ば呆れるように僕は言った。

『さてヨシタカよ、この局面、うぬならどうする』

「僕なら……」

 まず警察を呼ぶ……冷静にそう考えた。そうだ。警察だ、警察を呼ぶのが良い。そう閃いたものの、次の瞬間、連中の真ん中にいた男が割って入った瀬名川の顎を掴んだ。

「ほおう、いい女じゃねえの。お前、由美の連れか?」

「だったら何よ」

「ちょ、セナ、いいって!」

「俺ら、由美に文句あるんだわ。今ここで大人しくしてりゃ、由美だけで済ましてやってもいいぜ。お前の勇気に免じてな」

 髭を蓄えた鋭い目つきの男は、瀬名川を値踏みするように言った。その言葉とは裏腹に、まるで思っていることとは違うことを、全身から滲ませていた。

「そういうあなたたちこそ大人しく出ていってよ! 由美が何をしたのか知らないけど、いきなり連れて行かせようなんてことはさせないから」

「やけに威勢がいいな、お前」

 目付きの鋭い男が笑った。狙った獲物は逃さない、野獣のような目だった。

「兄貴、こいつ、足が笑ってんぜ」

 右側の男が瀬名川の様子を見て、にやにやと癪に障る声で言った。僕の位置からは見えないけれど、男の言う通り、きっと足を震わせているに違いない。あの子は、それでも大切な人は身を挺してでも守る、そんな子だ。

 そんな瀬名川を見て、僕の頭の中から警察を呼ぶ、という選択肢が消えた。そんなことをしている間に、もし彼女の身に何かあったら……そう思った時には、すでに身体が動いていた。

 完全に勢い任せといっても良かった。けれど、もう動き出した身体を止めることはできそうになかった。不意に、そんな僕の中で、ふっ、と誰かが何かを言ったような気がした。

 ずんずんと進んでいき、五人のそばにやってきたところで、僕はデッキブラシを手に向って言った。

「ちょ、ちょっとあんた方、や、やめ……」

 恐怖で呂律が回らない。しかし、突然デッキブラシを持ってやってきた僕に、連中はもちろん、この場にいる誰もが自分に注目するのが分かった。

「ああ? なんだてめえは」

「そのブラシで何しようっていうのかな、僕ちゃん」

 男たちは、勇んで立ち向かってみたはいいものの、まるで挙動不審者のそれである僕を見て、明らかに見下した様子だった。それが悔しくもあり、同時にそこに付け入る隙があることが幸いだった。

「た、竹之内」

 僕の様子を見て、誰かが言った。けれど、そちらに注意を向けることはできそうになかった。今ここでこの連中から目を離そうものなら、途端に自身の緊張の糸が切れてしまいそうだった。

『良し、それでいい』

 内の声に、僕はかすかに首を縦にした。そのまま相手をの出方を見て、そこから戦術を整える。それが先生の教えてくれたことだった。

 退きそうにない僕に、連中のリーダー格らしい目付きの鋭い男が瀬名川から手を離し、こちらに向ってきた。

「なんだ、お前は。もしかして、あの女の連れか」

「ち、違います……」

 一七〇センチをわずかに超える程度の身長しかない僕を、遥か高くから見下す髭面の男は、身長一八〇センチ以上は優にある。そのせいか、凄みというのがえらく増して感じられた。そのせいだろうか、足に震えを感じた。

『馬鹿もん。そんな輩に言葉を返す必要などないわ。言葉を優しくすれば、つけあがりおるぞ』

 先生はもう一度言い直せと、強く叱責した。そんなこと言ったって……この辺りがもう自分の限界だと思った途端、足の震えがさらに強まったように感じられた。

『……やれやれ。まだ無理か、お前には』

 先生はそう呆れつつも、少しだけ手を貸してやると言って、左半身、もっと言えば左足を右足の脛に思い切りぶつけた。

「いっ、たあ!」

 ごつんという音が足から響いた。踵を思い切り脛の中心に叩きつけてきたのだ。これのどこが手を貸すっていうんだ、苦言を言いそうになるのを堪え、僕はやせ我慢で相手の目を見た。

『そうだ、それで良い。目付けを忘れるな。今お前は一点しか見えとらん』

 一点……そうだ、一点だけじゃなくて全体だ。全体を見ないと……。そう思って目の付け方を切り替えると、その瞬間、髭面の男は僕の胸ぐら諸共、首を掴んだ。

 想像以上に男の持つ力は強く、掴まれた首元が途端に締め付けられだした。呼吸が苦しくなったところで、男が静かに言う。

「そのブラシで俺達をどうしようってんだ、クソガキ」

 掴んだ首から、僕を釣り上げようとした。途端に、首が苦しくなった。呼吸はもちろん、首に自分の体重がかかりだしたことによる辛さは、それ以上だった。

「う、くっ」

「た、竹之内! おい、あんた、それ以上はやめてくれ!」

 誰かが叫んだ。同時に、店内は阿鼻叫喚となり、瞬く間に女子たちの悲鳴がこだまする。しかし、僕にはどこか遠いところの出来事みたいに、それどころではなかった。

「なあ、おい。お前、あの女に惚れてんだろ? 違うか? え?」

「ち、違……僕は……」

 掴まれた首から手を離そうと必死になった僕は、持っていたデッキブラシを落とそうとした。両手で持っていたブラシを落とそうと右手だけが、男の腕にしがみつく。しかし、左手だけは自分の意思に反して、ブラシを持ったままだった。

「へぇ? こんなでもそいつを持ったままなんて、見かけにやらずやるじゃん、お前」

 髭面の男はそう言って、思い切り僕を横のボックス席に投げ飛ばした。ブラシを持ったままのため、ブラシの柄がテーブルや椅子に引っかかって、床にまで倒れ込むのを防ぐ。

 その様子を見ていた先生が、好機、とだけ短く言った。

『ヨシタカ、棒を前に』

 のろのろと立ち上がった僕は、声の命じるままに柄の先端を男に向ける。

『全体だ。全体を観ろ。どこが動くか。どこに向ってくるか。丹に気を集中させろ。意識をたわめるな』

 先生の一言一言が頭の中で爆発する。男はブラシの柄を向けられて、まだやる気であることを感じ取ったらしく、次の瞬間、身体を前に勢い良く迫り出した。

 そこだ――!

 その声と共に、僕は半ば無意識に身体が動いた。向けていた柄を男の動きに合わせて回転させ、後方にあったブラシ部分を男の空いた脇に叩き込む。

 しかし、緊張のためか、あるいは見切られていたのか、男は反対の手でそのブラシの柄本を掴んだ。戦い慣れた人間の動きだと、善貴は瞬時に悟った。

『いかんわ』

 先生が鋭く言った。

「あぶねえな。デッキブラシなんて汚えもん、人に向けんじゃねえよ」

 男は掴んだ柄本を思い切り引っ張って善貴を引き寄せた。

「うわ」

 その力強さに、僕は思わず声を出してしまった。それが最後だった。完全に緊張の糸が切れてしまった僕には、もう為す術もなく男の元に引き寄せられてしまった。

『やれやれ。引っ込んでおれ』

 そう言った瞬間、僕の意識は急激に遠くの場所に追いやられた。


 



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