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恋花の咲き開く時(十一)


 桜花祭の後片付けが粗方終わると、最後に片付けていた机や椅子などを再び元の配置に戻したところで帰りのホームルームとなった。

「これから打ち上げとかやる奴らもいるだろうが、あんまり羽目を外しすぎるなよ。先生たちもお前らが行きそうなところは巡回するからなー」

 そんな締めの挨拶とともに、ホームルームを解散させて放課となった。全員参加だという打ち上げに半ば強制参加することになった善貴は、ぞろぞろと打ち上げ会場となる駅近くのファミレスへと移動しているところだ。

 裕二と内海も参加するということだったから、彼らもここに含まれているはずだが、会場へ向かっている今、二人の姿が見当たらない。どうしているのか分からないが、あの二人、特にこうしたイベント事の好きな内海のことだから、何か企画でもしているのかもしれない。

 そんなわけで僕は一人、とつとつと駅の方へと向って歩いていた。もっとも、傍目には一人でも、僕には中にもう一人、打ち上げに興味のある人がおり、彼がしきりと僕に話しかけてくるので、僕自身にとっては一人ではなく二人で、ということになる。

『それで打ち上げというのは、どこでやるのだ?』

「ああ、駅近くのファミレスだそうですよ」

『ふむ。”ファミレス”というのは、あの色々と食を多く出している食事処のことだったな』

「ええ、まあ」

 打ち上げという言葉を聞いて、先生は密かながらにこれを楽しみにしているきらいがあった。ちなみに先生によれば、すでに戦国時代には、祭り事などの後に行われるどんちゃん騒ぎを打ち上げと呼んでいたらしい。

 先生もいつ頃からそう呼ばれるようになったのかは知らないと言いつつも、すでに源平の頃には呼ばれていたのではないか?と推測していた。源平の時代と言えば、平安の終わり頃だから、実に古い言葉なのだなぁと僕は感心して聞いた。

「そういえば、先生は戦国時代の生まれなんですよね? だったら、戦の後に打ち上げなんかしたりしなかったんですか?」

『うむ。まず一つヨシタカよ、うぬらが戦国と呼ぶ頃、我らは単に乱世と呼んでおった。時は、敢えて言うならば、足利末期、と呼ぶが良いだろう。もっとも、その足利将軍も我が主君、信長公によってお役御免とされたがの。

 それで、打ち上げが行われていたかだったな。あんなものはあったりなかったりだったな。大きな戦の後は行われていたかもしれん。だが、戦場を直に渡り歩くと、そんな打ち上げなどにいつもいつも参加できたわけではないぞ。むしろ、決戦前の英気を養うために腹ごしらえをするのが普通であったな』

 なるほど。大きな戦果が上がった時は、敵領地などからの貢もあるから、それで祝い事として打ち上げを行ったのかもしれない。けれど、それを毎度毎度できるはずもないので、当然打ち上げが行われたはずもないということだろう。

 先生は、今の時代の食糧ならばそれも賄えただろうがの、とごちた。それを聞くたびに、よほど今の時代は恵まれているんだなと、善貴も改められる気持ちだった。古今東西、様々な場所から様々な食材を得られる時代、打ち上げ一つとっても何気なく行われる、当たり前のこととは違うのだと感慨深く思われるのだ。

 こうした事情を聞くたびに、先生があんなにも食べるという行為に、見境がないというのも頷ける。見たこともない、けれど味は十分な豊富な食材が多くあるこの時代に、それをありがたく感謝するという気持ちは、その激動の時代を生きた人にしかその有難みは本当には分からないかもしれない。

「よ、竹之内。何さっきからブツブツ言ってんの。危ない人みてえ」

 後ろから早歩きでやってきていることには気がついていた善貴は、そう声かけられて振り向くと、そこに山田の陽気ような笑みを浮かべてやってきていた。

「ああ、いや、ちょっと疲れたなって」

「だよなー。ま、でも打ち上げ楽しもうぜ。なんか、ちょっとしたサプライズもあるらしいし」

「サプライズ? どんな?」

「いやー、それが俺にも良く分からないんだよな。女子たちの発案らしくて、男子には聞かされてないんだわ」

「ふーん。まぁ、あまり期待しないようにしとくよ」

「だな」

 変に期待しすぎると、どういうわけか期待はずれになってしまうように思うので、ここは期待しないでおくのが吉だろう。僕は、適当に相槌を打つ山田とそんなやり取りをしながら、九十九折の下り坂を降っていった。


 打ち上げ会場であるファミレスには、すでにクラスメイトの大半が揃っていた。もっとも、その大半は男子ばかりで、女子たちはごく一部を除いてほとんど集まっていなかった。

 なんだか話が違うけれど、多分、これもサプライズによるものなのだろうと、善貴は特に気にすることもなく、適当に空いている六人が座れるボックス席に座った。隣には一緒に来た山田が自然と収まる。

 隣にボックス席には、陸上部のエースだった伊東が同じ元運動部連中と相席になって、談笑していた。こうして見てみると普段とは違うメンバー同士がボックス席に座っていたりと、普段とは違う様子を各々が見せていた。

 自分もそうなので人のことは言えないが、それはきっと桜花祭の成功はもちろん、自分たちの出し物である模擬喫茶の予想外の盛況ぶりが、男子たちにある種の連帯感を生んでいるに違いなかった。

 しかし、後で遅れてくるという裕二や内海の姿は当然まだなく、気心の知れる相手がいないというのは、なんだか善貴の身を狭めるような感じもあって、なんだか落ち着かなかった。

「お、来たぞ」

 窓側にいた男子が会場に向かってやってくる一団を見て、嬉しそうに言った。残念ながら僕の席からは見えないので、その方向に顔を向けるだけで精一杯だったが、どんなサプライズが待っているのか、にわかに期待感が高まってきた。

「遅れて申し訳ないね、男子諸君」

 そんな声と共に、内海がファミレスに入ってきた。横には裕二も一緒だ。あの二人だけでいるのは格段珍しいものではなかったけれど、今日はなんだか様子が違って感じる。

「ではでは、桜花学園高校三年一組による打ち上げを始めたいと思いまーす」

「おいー、内海―。まだ女子たちが来てないぞ」

 勝手に進行し始めた内海に、一部の男子が疑問と不満とを織り交ぜたような声を上げた。もちろん、それは織り込み済みなのか、内海と裕二は当たり前のように頷いて言った。

「大丈夫大丈夫。さー皆、入ってきて」

 内海の言葉が合図となって、エントランスから待っていたらしい女子たちが入ってくる。それを目の当たりにした一部の男子たちは、おお、と思わず声を漏らしていた。かくいう善貴も、まさかそうくるとは予想もできず、彼らと同様に入ってきた女子たちに目が釘付けになってしまった。

「桜花祭、お疲れ様ー!」

 クラスの中心的な人物の一人、原田瑞奈が元気にそう言った。それに対して、クラスの男子も相槌を打つように、おおー、と声を上げた。それもそのはずで、彼女たちは模擬喫茶で着ていたウェイトレス姿だったのだ。

 普段の学校指定の制服とは違った姿を目の当たりにするというのは、男子にとっては案外テンションの上がるもので、みな祭りの時以上に興奮している。その熱気にあてられたのか、僕も普段とは違う姿の彼女たちを見て、つい綻ばせてしまっていた。

 ボックス席は三人がけのソファーが相席になっており、男子とは反対の席に女子が座るということになっているらしいが、ボックスによっては男子が四人座っていたり、二人だったりとマチマチだ。ともかく、空いている席に女子たちが座るという構図になることは間違いないようだった。

 けれど、高倉や実習棟でもウェイトレス姿だった桜庭澪は当然のこと、原田瑞奈に金森由美までもがウェイトレス姿というのは、案外、非日常というのを感じさせるもので、彼女たちも各々が好きに各ボックスに腰を降ろしていった。

 僕は、横を通り過ぎていく彼女たちを眺めながらも、その実、お目当ては一人しかいなかった。

(いた――)

 瀬名川だ。いつもはつっけんどんで、どこかこういうイベントごとには冷めた様子の彼女も、僕と似たようなもので皆の熱気にあてられたのか、ウェイトレス姿で通路を歩いていた。

 改めて、きちんと彼女のウェイトレス姿を見た善貴は、悠里から目が離せなくなってしまった。相変わらずその表情は冷めているけれど、普段とは出で立ちが違うというだけで、随分と印象が違ってみえるのはなぜだろう……。

『ふむ、中々ではないか』

 僕の見ている光景がそのまま視界となっている先生も、瀬名川の姿を見て納得いくように言った。僕は、ただ言葉をかけることもなく、ただ小さく頷くだけで精一杯であった。

 彼女がここに来てくれたら――通路を歩いてくる彼女を見つめながら、善貴はそんな願望を抱いた。けれどその反面で、今席に来られてもまともに正視できないかもしれない。顔を合わせようにも、あまりに意識してしまって無理であろうことが自分でも分かるくらいに、善貴は悠里に対してドギマギしてしまっていた。

「セナ、こっちこっち」

 すでに席に着いていた金森に誘われるままに、瀬名川は僕のいるボックス席の横を彼女たちの方へと通り過ぎた。この目に焼き付けんばかりに、僕はその動きに合わせて通り過ぎていく彼女の姿を目で追う。

 金森の横に着席した瀬名川の後ろ姿を目で追いつつも、どこか安堵した気持ちと残念な気持ちとないまぜになった複雑な感情を善貴は覚えた。相も変わらず一緒にいたところで何を話せばよいのか、話題を探すだけでも一苦労だというのに、それでも良いから彼女のそばにいたいという相反した感情を持て余してならないのだ。

「なんだ、お前も瀬名川か?」

「えぇっ」

 やや、声が大きくなって隣に座る山田の方に向き直った。そんな僕に対して、山田はそれこそ驚いた様子から一転、こんな僕を面白がって笑った。

「なによ、突然。そんな驚かすようなこと言ってねえっての。で、竹之内もやっぱり瀬名川が良いと思ったんだよな?」

 山田は僕に耳打ちしながら親指で後ろを指した。その刺された指先の向こうにいる瀬名川の後ろ姿を追って、視線が動く。金森や原田と早速話し込んでいる彼女の姿を見ると、なんだかホッとするやらがっかりやら、またも複雑な気持ちで一杯になって仕方ない。

「あ、ああ。瀬名川って、何着ても似合うんだなと思って」

「確かにな。けど、こっちも悪かないと思うぜ」

 そういうと山田は、僕らの前に座った高倉と桜庭の二人を見て言った。

「あたしらがこんな恰好してるってのに、随分なご身分だこと」

 腕を組んで思わしげな黒い笑みを浮かべている高倉が、僕と山田を睨んでいた。その様子に、思わず僕は顔を引き攣らせながら愛想笑いを浮かべる以外になかった。山田も同様だったが、まぁまぁ、と高倉を宥め、その場を和ませようと必死になっている。

「じゃぁ、皆席についたってことで。ドリンクバーで好きなの持ってきたら、乾杯するよ」

 穏やかな表情で内海がやけに通る声で言った。内海と裕二も僕らのいる席にやってきて座った。これでこの席は男子四人、女子二人になる。ふと、こういう時男女人数が合ってないとおかしなものだなと思った。

 すると、各ボックスの人数に合わせてそれぞれからウェイトレスに扮した女子たちが席を立ち、ドリンクバーへと足を向けた。このボックスからも高倉と桜庭が経って他の女子たちに続こうとする。

「で、男子四人はどうすんの?」

「じゃあ拙者、ウーロン茶で頼む候」

「僕はコーラが良いなぁ」

「んなら俺も同じので」

「竹之内くんは?」

「ジンジャーエールがあればそれで。なければなんでも良いよ」

「ん、了解」

 そういって席を離れていく高倉と桜庭を尻目に、僕はやはり瀬名川の様子が気になってしまい、それとなく彼女の座ったボックス席の方を流し見た。

 彼女は金森と原田と共に、席を離れてドリンクバーへと向っていた。その様子に、なんでかホッとしてしまう自分がいた。あの子のことだから、きっと一人だけあの場に残るなんてことはしないだろうけれど、もしそうだったらどうしようという要らぬ心配をしていたのである。

『……ふん。そんなにも気になるのなら、初めから声をかけておれば良かったではないか、ヨシタカよ』

「い、いや、そんなの無理ですって」

 つい小声になって先生に返した僕に、すぐ隣の山田が不思議そうな顔ををしてこっちを覗いている。僕はなんでもないと愛想笑いを浮かべて黙り込む。いけない。今周りに人がいるのに、ナチュラルに返そうになってしまう自分が憎い。

「それにしても、まさか女子たちがウェイトレス姿で来てくれるとは思わなかったな。でかしたぞ、内海」

 再び男子だけになったところで、山田が内海に向って言った。内海は、いやぁそれほどでも、なんて言いながら頭を掻いている。二人のやり取りを眺めながら、僕は案外この二人は息が合っているのかな、なんてことを思った。

 思えば二人は、合宿の時だって一緒になって肝試しを企画したり、イベントごとには必ずと言ってよいほど皆の前で仕切ったりと、クラスのムードメーカー兼リーダー的な役割を果たしているので、ある意味では当然と言えるかもしれない。もっとも、こんなサプライズが待っているとは流石に思いつきもしなかったけれど。

「じゃぁ、女子たちがウェイトレス姿なのは、内海の発案なんだね」

「まぁ頼んだのは僕だけど。発案したのは永井くんだよ」

「裕二が?」

「これだけ上玉揃いの我がクラスの女子たちを、そのままにしておくなど持ったないと考えたまで」

「なるほどな。いや、だが正解だぜ、永井」

 山田が大いに頷く。もちろん、それについては僕も同意見だ。けれど、ここのところ突然変なキャラになっている裕二の喋り方に違和感を覚えていた僕は、それよりも裕二のその喋り方の方が気になったくらいだった。

 けれど、多分、何かしらアニメかゲームかの影響を受けたんだろうということは容易に想像がつくの黙っておく。それについては先生も思う所があるらしく、よく分からぬ奴よ、斬って捨てたのに思わず苦笑した。

「はい、おまたせ」

 トレーに注文したドリンクを乗せて、高倉と桜庭が戻ってきた。ファミレスで、しかも模擬喫茶であったとはいえウェイトレス姿でいる彼女たちを見ていると、本当に自分たちがお客になったような、変な錯覚を覚えてしまうのは僕だけだろうか。

 いや、多分僕だけではないだろう。幾人かは明らかに鼻の下を伸ばしている者も見受けられるので、やはり同様に考えている者はいるようだ。むしろ、彼らを反面教師に、あまり鼻の下が伸びないよう自分に言い聞かせる。

「じゃ、皆ドリンク行き渡ったね。それじゃ、桜花祭、お疲れ様ー!」

 内海の音頭で、僕らはドリンクを掲げて出し物が成功した祝いと労いを兼ねて乾杯した。続けてボックス内でそれぞれがコップの飲み口を突き合わせ、それをグイっと喉に流し込む。

 流し込んだジンジャーエールの強い炭酸が喉を焼いた。この刺激を心地よく感じながら、僕はグラスの三分の一近くほどの量を一気に飲んだ。

「おー、竹之内くん良い飲みっぷり」

 思わず、ぷはって漏れた息とその様子を眺めていた高倉が上機嫌に言った。続けざまに腹の中から、出きっていないガスを出そうになるのは堪える。いくらある程度の気心がしれていても、流石に女子たちの前でそれはまずい。

 僕のそんな様子を見ていた山田は、変な対抗意識を燃やしたのか、あろうことかコーラを一気飲みにし始めた。今度は反対に僕がその様子を見ていると、案の定というべきか、山田は三分の二ほど飲み干したところで、ついにやってしまった。

 隣でから突然のように聞こえてくる、ぐほぉ、という呻きとも悲鳴とも取れない声を上げながら、山田は盛大にぶちまけてしまった。飛沫となって飛散したコーラが両隣にいる僕や内海にまで飛んできた。

 このボックスにいる誰もが悲鳴を上げながら、総立ちになる。不幸にも山田の目の前にいた高倉には、それが最も多く被ることになり、彼女は半ばキレ気味に山田をたしなめた。

 しかし、当然のように山田は山田でそれどころではなく、変な器官に入った炭酸を排出するのに必死だ。高倉の怒りに対応すらできずにいる山田に、隣の内海に台拭きやティッシュなどを取ってくるよう言うと、内海は頷きながら席を立った。

「もう、変な対抗心出すから! 勘弁してよね」

 咳き込む山田は手切りでなんとか申し訳ないことを告げるが、そう簡単に咳が治まるはずもなく、それを見ていた周りの連中から大きな笑い声があがり、あっという間に店内は騒々しくなった。




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