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恋花の花開く時(十)


 桜庭の説明を聞き終えた僕は一人、屋上にやってきていた。僕の中の同居人もまた、彼女の説明を聞いて何か思うところがあるのか、沈黙を貫いている。屋上から中庭を覗くと、模擬店のテント群が所狭しと引き締めあっている様子が望めた。

 僕は屋上のフェンスに手をかけてその様子を見下ろしていたが、それにも飽きてフェンスを背に、その場に座り込んでぼんやりと遠くの空を眺める。下界の喧騒と違い、青々とした秋空の天界はまるで静謐な大空間のようだった。

 なんだか、思考が定まらなかった。空を見上げていたからだろうか、あるいは祭の騒々しさを感じたためだろうか、それは善貴自身にも分からなかった。

『思わぬ場所で、思わぬものと繋がるものよ』

 先生は独りごちた。

『あの場が、まさか時を越えて今、こうしてお前と繋がるきっかけになろうとはの』

 善貴は頭の中に響くその言葉に肯定も否定もせずに、上の空で聞いていた。

「でも、まさかそんなことでこうなってしまうなんて」

『否定はせん』

 桜庭によれば、あの合宿所の裏手の付近はその昔、ちょっとした合戦が行われたのだという。その時、なぜ僕はああも桜庭の話に食いついたのか、うまく説明はできない。なんとなく、以外に説明ができないのだ。

 けれど、そのなんとなくが先生の記憶と結びつくことになったのである。あそこは戦国時代の後期に、落ち武者らによって何度も攻め込まれたらしい集落がかつて存在しており、そこを数人の武士たちが彼らを撃退したという逸話が残されているのだという。

 もちろん、それくらいでは歴史には残らなかった。ところが、その逸話には後日談が残されているのが他の合戦話とは違う点だろう。その逸話というのが、集落の村長の娘がある一人の武士を雇い入れたことによることが、この地を落ち武者たちから救うことになったと記されていたらしい。

 それを聞いた先生は、まさか、とひどく驚いた様子で桜庭の話を聞き入った。近くには寺があるはずという先生の言葉に従って桜庭に尋ねてみると、取材した地元の研究者曰く、その寺院にそんな文献が納められていたとのことだった。

「そもそも先生は、当時のことをあまり覚えてないんですよね? その戦場に出る直前のこととか……」

『うむ。朧げだな。だが時折、唐突に記憶が蘇ることもある。さきほど、あの娘っ子の話を聞いて、思い出したことがあるぞ』

「どんな記憶ですか?」

『確か、我は戦場いくさばに向かう前、近くの寺に祈願しにいったのだ。そんなものはいらんと言ったが、村人たちから是非に、とな。うむ、確かにそうだった』

「なるほど。ならそのお寺の名前などは」

『うむ。確か、妙見だったな。山号などは覚えとらんがな』

「山号?」

 着慣れない言葉に、僕は思わず聞き返す。先生は、うむ、と頷いた様子で説明してくれた。

『山号とは、要するに寺を表す屋号のようなものだな。開基が由緒ある寺院は、良くこの山号が付けられておることが多いものよ。有名なところでは、延暦の比叡山、金剛の高野山と呼び習わしたりするだろう。要はあれと同じ。

 全国に同じ名の寺院や神社があるだろう。だが、それらを区別するのに、山号があればどの寺社を指すのか、自ずと分かってくるというもの。山号とはそうした場合にも用いられたのよ。この時代風に言えば、住所のようなものだな』

 実に分かりやすい説明だった。確かに、寺院というのは時に山にないのに山の名が付けられている場合があったのは知っているけれど、そのように使い分ければ、どの寺社かも分かってくる。だから、良く地元では別称で呼んだり、またその他の地域では総本山で呼んだりするわけだ。

「それで、先生が祈願したのは妙見寺という場所だったんですね?」

『うむ』

 僕は再度頷いた。なんだか、一歩前進したような気持ちになった。これまでどうして僕の中に、時代を超えて武士を自称する人が入ってきたのか分からなかったが、少しは何か手掛かりになり得そうなものが見つかったような気がするのだ。

 桜庭からは、文献が納められていたらしい寺院や、インタビューしたという地元研究者の住所や所在も聞いているので、一度そこを訪れてもう少し詳しい話を聞いてみようという気になった。ただ、住所や寺の名前までは分からないというので、桜庭にはもう一度調べてもらうよう言付けておいたので、分かり次第教えてくれるだろう。

『とにかく、近いうちにその場に行ってみようではないか。手掛かりになりそうなことを教えてもらっておいて何もせんというのは気分が良くない』

「ええ。僕ももちろん、そのつもりですよ」

 気持ちが整理できたところで善貴は立ち上がった。何気なくポケットにしまっておいたスマホを取り出すと、時刻はすでに一五時半を回っていた。そろそろ一般来場者の締め切り時刻になるので、後は体育館で軽音楽部によるライブなどで桜花祭も締めくくられようとする頃合いだ。


 屋上を訪れていた善貴は、再び校舎の中に入って階段を渡り廊下に出て本棟に入ったところ、聞き馴染みのある声がして思わずその途中で足を止めた。

「じゃあ、そろそろ帰るね。こんなとこまでありがとう、ユーリ」

「ううん、いいよ。それじゃまたね」

「途中でいなくなっちゃったけど、ヨシタカくんにもよろしく」

「うん。多分、あいつも友達同士で回ってるんだと思うから、後でよろしく言っておくよ」

 そういうと、会話の主は軽快にその場を立ち去っていった。もちろん、声の主は瀬名川と美樹子の二人だ。どうやら時間も来て、帰る美樹子を見送りに来ていたらしい。

 二人の声を聞いて思わず足を止めて立ち聞きしてしまっている僕だけれど、なんだかこれもおかしな気がするので、なるべく自然に階段を降り始めた時だった。向こうからこちらにパタパタと足音を響かせながらやってきた。

「竹之内?」

「瀬名川。もう模擬店の方は終わり?」

「そうだけど……それよりも、こんなとこでどうしたの?」

「あ、いや。手持ち無沙汰になったから、少し屋上に行ってた」

「ふーん。折角だから色々見て回ればよかったのに」

「実習棟の方、少し見て回ったけどね」

 ばったりと出くわした瀬名川は、まだウェイトレスの恰好をしたままだった。改めてウェイトレス姿をした瀬名川を見つめると、いつもの学校制服とはまた違った良さがあって、善貴は思わず顔を赤らめてしまった。

「何?」

「いや。まだ着替えてないんだと思って」

「あー、これ? 今から着替えに行こうかと思ってたところ」

「ミーコさんは」

「ついさっき玄関まで送ってきたところ。そしたらばったり竹之内と会った」

 実際には別れたのを知っているのだけど、なんだかここで二人の会話を盗み聞きしていたと思われるのが嫌で、僕はついそんなことを口にしていた。瀬名川は特に気にする様子もなく、素直に答えてくれた。僕は、そうなんだ、と適当に肯定しておいた。

 瀬名川とはいつもこうして会話こそすれど、こう何度かやり取りすると、いつも会話が続かなくなる。それをどうすべきか考える間もなく、続けざまに瀬名川が言った。

「竹之内、実習棟の方行ってたんだよね? まだ何かやってた?」

「うーん、どうだろ? そろそろ時間だからどこも片付けに入る頃だと思うけど」

「ね、ちょっと行ってみない?」

「え? 今から?」

「そう。だって、竹之内も特にやることないんだよね? だったらいいじゃん」

 それは困る……そう言おうとした善貴の言葉は、廊下を足早に行こうとする悠里の行動によって遮られた。彼女は善貴の手を掴み、半ば強引に引き上げる。

「う、わっ、ちょっと瀬名川」

「ほら、早く」

 瀬名川に引っ張られる形で、僕はやってきた渡り廊下を再び戻っることになった。桜花祭の終了まで後三〇分もないため、模擬店はもちろん、出し物など展示物の撤去作業に入ろうかという時刻である。

 それを、突然どうしたんだろう。これまでは、学校ではほとんど喋ることがなかった。これを貫くべきだと思っていたのに、瀬名川の急激な態度の変化に僕は戸惑いを感じていた。

 それは、全くといって良いほど自分勝手な自己保身のためでもあるかもしれない。けれど、今まで学校ではほとんど接してこないようにしていたのに、ここにきてそれを覆すのはなんだか憚られてしまう気がしてならず、僕は渡り廊下から階段に差し掛かったあたりで強引に掴む瀬名川の手を離した。

「ちょっと待ってよ瀬名川。痛いよ」

 なんだか興奮気味の彼女が握る手は、いつしか力が入っていて僕の手首の関節に極まった形になっていた。偶然とはいえ、その状態で引っ張られるほど痛いものはない。僕に言われて、初めて彼女も強引すぎたのを自覚したらしい。

「あ、ごめん……」

 ぱっと手を離し、強引すぎたことを謝った。彼女の様子はまるで悪いことをして怒られそうになった子供のようだ。

「どうしたの瀬名川。なんだか興奮してるみたいだけど」

 いつもの君らしくないよ。そう言おうとして止めた。そこまでの間柄じゃないだろうと思って、自制せざるを得なかったのだ。彼女が何をそんなに興奮しているのか分からないが、ともかく少し落ち着いてほしかった。

「ほら、折角の文化祭なんだし、ちょっとくらい一緒に回ってみないかなと思ってさ」

「うーん、だけどそろそろ時間も時間だし。それに早く着替えないと、皆に迷惑かかっちゃうよ」

 体育館の方では、最後の催し物である軽音部によるライヴが行われている最中だった。時間としては一五分となっていたから、それが終わるとこの桜華祭も終わりを迎えることになる。そんな時、いつまでもウェイトレス姿でいれば彼女だけが目立つことになる。

 そう思って言ったのだけど、瀬名川はなんだか面白くないといった表情でむくれている。困ったな、まさかこんな表情をされるとは思わなかった。どうしていいのか分からずに、僕はふっと思いついた言葉を口にした。

「どうせなら、また後で付き合うからさ。今は早く着替えておいでよ」

 そうまで言われると瀬名川もさすがに、それ以上は何か言う気はなくなったらしい。ため息をついて、いつもの彼女に戻ったようだった。けれど、それも束の間、瀬名川は何か思いついたようで、ぱっと表情を明るくして提案してきた。

「分かった。じゃあさ、今日この後、クラスでやる打ち上げがあるんだけど、竹之内も絶対参加ね!」

「えっ、打ち上げ? これから?」

 これから打ち上げがあるなんて、そんなの僕は知らない。初耳だと告げると、彼女はさほど驚いた様子もなく、さっき決まったからねと付け加えた。

「後で付き合うって言ったんだから、それくらいいいでしょ。永井くんとか内海くんも来るみたいだし、竹之内も来なよ。男子は全員参加することになると思うから」

 有無を言わさぬことはこのことで、僕は流されるままにため息をつきながら頷いていた。





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