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恋花の咲き開く時(八)


 一番忙しいお昼時とあって、混み具合は頂点に達していた。一般客たちに混じって、普段は怒りっぽい教師陣も、この時ばかりはいくらかほがらかな雰囲気で模擬喫茶に訪れては、何気なくその場の雰囲気を楽しんでいる様子も見られた。

 もちろん、午前のシフトを終えたメンバーや他、各クラスメイトらもそれぞれの友人たちを伴って模擬喫茶を訪れていた。普段とは違う表情を見せる彼らの様子はどことなく善貴の気持ちを高ぶらせる良い材料であった。

 そうこうしながら代わる代わる訪れる客たちをもてなした善貴は、思った以上に盛況だったこの状況が目まぐるしく変化していき、不慣れな彼にとって気付けばあっという間に二時間近くが経過していた。その感の時間の感覚がまるでなかった。

 シフトは二時間で終わるので、後一〇分もしたら終わりだ。実際、最後の一六時までのメンバーも集まってきつつあり、あと少しだという実感を齎した。この時間がシフトだという祐二と内海もやってきており、互いに挨拶がてら引継ぎも完了させる。

(後一〇分切った)

 そう思って、ふと何気なくホールとなった教室を眺めると、そこに瀬名川と美樹子がやってきた。瀬名川はすでに今回のために用意された制服に着替えており、いつもとは違う彼女の恰好に思わず目を奪われてしまった。

「あ、いたいた。やっほー」

 僕を見つけた美樹子がこちらに向かって、ひらひらと手を振った。思わず心臓が高鳴る。あの時のことが蟠りとなっている僕にとって、一番、素面しらふで顔を会わせたくない相手といえるかもしれなかった。

 けれど、そんなことが許されるはずもなく、僕は手を振る代わりに小さく会釈するように頷いて彼女を席に案内した。

「約束通り来たよ、ヨシタカくん」

「いらっしゃいミーコさん。これ、メニューです」

「なんだか普段知ってる人にそんなこと言われると照れちゃうなぁ」

「知り合いにそう言われると僕も少し恥ずかしいですね」

 お互い笑い合っているところを見ていた瀬名川は、じろりとこちらに向けて睨みを利かせていた。なんだか、ウェイターが仕事中にナンパなんかするなと言われているような気がして、僕はそれ以上の会話はせずに仕事用トークでその場を切り上げた。

 もちろん、瀬名川も今からの時間帯がシフトなので僕の後をついてきた。その無言のプレッシャーを背中に強く感じられて後ろを振り向けなかったのは言うまでもない。

「あ、セナ。あたしと交代ー」

「うん」

 そういって、金森由美と交代する瀬名川は、すぐに一旦奥へと離れていった。それになぜか安堵して、僕は思わずため息が漏れた。

「よしき氏、交代しようぜ」

「分かった。後は任せるよ」

 祐二と交代したところで、時間はちょうど十四時を指し示した。僕と同じタイミングで働き出した山田も同様に交代し、僕らは再び空き部屋へと移動していき、そこで早速着替え始めた。

「ところでさー、竹之内ってさっきの子と知り合いなん?」

「さっきの子って?」

 山田の言うさっきの子とは美樹子のことだろうか。まぁ、文脈から考えるにそうとしか言いようがないのだけど、僕は特に深く考えることなく、そうだよ、と言った。

「へー、あんな可愛い子と知り合いなんてやるじゃん」

「ただの知り合いだけどね」

「そうなん? の割には仲良さそうに見えたけどな。さっき、来た途端に手ぇ振ってたから誰だと思ったら、まさか竹之内とは思わなかったわ」

「そ、そうかな」

「伊東たちも可愛いって言ってたぞ。まさかもうお前が手ぇつけてるとは思わなかったけどな」

「いや、彼女は瀬名……」

 そう言いかけて僕は慌てて口を閉ざした。危ない危ない。僕は何を口走ろうとしていたのか。瀬名川との紹介で知り合ったなんて、いくらそれなりに気心の知れている山田にであっても言える筈がない。

 そもそも僕と瀬名川は教室では相変わらずほとんど喋ることがないのに、そこを突然あの子からの紹介で、なんて言おうものならどんな風評が立つことやら知れたものではない。

「せな?」

「ああ、いや、なんでもないよ。以前、”友達”の紹介で知り合ったんだ。他に友達がいるらしいから、学校に」

「ふーん。ついでに会いにきたってことね」

 いいなぁ、俺にもあんな可愛い子が友達にいたらなぁ………山田がそんな男子特有のお決まりの会話で話が逸れていくのに安堵感を覚えながら、僕は手早く着替え終わると山田との会話もそこそこに、足早に部屋を出た。深く詮索されでもしたら自ら墓穴を掘ってしまいそうだった。

 でも参ったな。これでは下手に教室には戻れそうにない。教室には祐二と内海がいる上、美樹子もいる。遊びに行くという手もあるのだけれど、同時に今教室には瀬名川もいるのだ。一応友達?認定されているようだから、その彼女に会うというのは決しておかしなことではないのだけど、それだと瀬名川に対して申し訳が立たない。それだけは避けるべきだと考えていた。

 ともかく、人のいなさそうな所に行こうと思い、善貴は人の少ない実習棟へ移動した。普段、授業などの必要な時以外は立ち入ることのない場所だが、今日はお祭りとあってか棟の中は幾分人の気配が感じられた。

 善貴は特に当てもなくブラブラと実習棟の中を歩いて回った。高校三年間、帰宅部ということもあって実習棟にどんな部活があり活動しているのか、なんとなく気になったので立ち寄ってみる気になったのだ。

 演劇部や美術部といった芸術方面で活動する部活を中心に、音楽室では吹奏楽部がいつも練習しているのを知ってはいるけれど、実際にそこに立ち入ったことはなく、これを機に見に行ってみることにしたのである。

 見て回ると、他にも写真部や軽音部なんかもこの棟で活動しているらしく、これらの部活動は今日をそれぞれの発表会の日に定め、演奏や、部室での展示を行っている。軽音部はこの後行われる体育館でのライヴをやることになっていたはずだ。

 善貴が実習棟を訪れると、演劇部が普段使っているらしい部室からぞろぞろと連れ立ち、体育館へと向かっている最中だった。今からが彼らにとっての本番ということだろう。華麗な衣装を身にまとった演者からジャージ姿の道具係まで、全員がその表情に緊張感を漂わせている。

 彼らの出ていった後の教室をそれとなく覗いてみると、下級生だろうか、数名の部員がこちらに背を向けて打ち合わせしているだけで、広い部室に静寂が訪れていた。善貴は彼らに気づかれないうちにその場を離れ、三階へと上がるとそこで見知った顔の生徒が部室へと入っていくのを見て、吸い込まれるように彼女の後を追った。

「桜庭さん」

「ほえ?」

 そんな気の抜けた返事で振り向いたのは、クラスメイトである桜庭澪だった。振り向いた彼女は、串団子を咥えてそれを頬張っている途中だったようで、頬がぷっくりと膨らんでいる。

「むぐ……た、竹之内くん」

「大丈夫?」

 あまりに突然のことだったのか、彼女は驚きのあまり口に入れたばかりの団子を喉に詰まらせてしまい、慌ててそれを咀嚼し呑み込んだ。流石に軽く呼吸困難に陥った彼女を見て心配になったけれど、持っていたペットボトルのお茶を飲み干して落ち着きを取り戻しつつあった。

「ごめん……。どうしたの、こんなとこに来るなんて珍しいよね?」

「ああ、うん。別に理由があって来たってわけじゃないんだけどね」

「分かる。何となくぶらついてたんでしょ」

「そんなとこ」

 桜庭も桜庭で、どうやら僕と同じ境遇だったらしい。彼女は午前のシフトを終えた後、昼に他の子とざっと校内を見て回った後、手持ち無沙汰になったのでここに来たのだという。

「でも、ここ……?」

 教室の出入り口には、地理研究部と銘打ってあった。中を覗いてみると、壁や移動式のホワイトボードを利用して、そこに彼らの研究成果を展示してあった。その奥に、部員である下級生男女五名が詰めており、模擬店からの土産ものを広げて食事している最中だった。

「お邪魔だったかな」

「ううん、良いよ。それにここ、人なんてほとんど来ないしね」

「そうなの?」

「うん。一般参加のお客さんはほんの四、五人しか来てないし、それ以外も数える程度だよ。だから竹之内くんも良かったら見ていってよ」

「桜庭さんは地理研なんだ」

「そうだよ。部長なんだー」

 さりげなく言った桜庭に、僕は思わず彼女の方を振り向いてしまった。彼女が部長? そんなのは初耳だった。それどころか、てっきり帰宅部だとばかり思っていたのに、まさか部長だとは思いもしなかった。……人は見かけによらないというけれど、まさにその通りだな、と僕は思わずうねってしまった。

「あー、私が部長だって信じてないでしょー」

「いや、そんなことはないけどね……」

「とはいっても、桜花祭でその部長も終わりだけどね。後片付けしたら、来週には引き継ぎしなきゃいけないの」

「そうなんだ」

「うん」

 半信半疑だった部長疑惑も、こうして話してみると、まあ、こういう文化部の部長なら逆に彼女らしい感じはしなくもないなと思った僕は、それ以上詮索することなく、お言葉に甘えて中を見させてもらうことにした。

 始め、お客さんだと思っていた部員の子たちは早々に食事を止めてこちらの対応をしようとしていたが、部長のクラスメイトだということを知った途端、先程までと同様にだべり始めた。高校の文化部での展示室では、こんなものだろう。

「地理研か。こういう部活があるんなら僕も入っとけば良かったかな」

「何言ってるの、一年の時、部活紹介できちんと紹介されてたよ」

「そうだっけ?」

 残念ながら、全く記憶にない。元々部活自体に興味のなかった僕だから、そもそもその部活紹介ということがあったことすら覚えていなかったのは、この際黙っておこう。

「そうだよ、竹之内くんも入っとけば良かったのに。浩子とかもちょくちょく来てたよ、お菓子食べに」

 半分以上お遊びみたいなもんなんだけどね、と付け加えて話す彼女に善貴は頷いた。

「高倉さんは地理研だったわけじゃないんだよね?」

「うん。浩子は吹奏楽だからねー」

「そうだったんだ。てっきり運動部かと思ってた」

 高倉浩子はすらりとして、女子の中では割りと上背もある方だ。なので、何となく陸上部か何かかと勝手に思っていたが、意外なことに彼女は楽器をやるらしい。恥ずかしながら、桜庭から聞くまで、まるで自分が人にあまり興味を持って接していなかったんだなと痛感させられる。

「そうだよ。ハープやってるんだよ中学校の時から」

「へぇ。桜庭さんと高倉さんって中学校の時から一緒なんだね」

「違うよ。一緒になったのは高校から」

「そうなの?」

「浩子と中学校が一緒だったのは瀬名川さんだよ」

「瀬名川と?」

 思わずビクンと体を震わせて驚いた。それってつまり、美樹子とも同じ中学校だったというわけでは……。桜庭からの思いがけない一言によって、僕は瀬名川の中学時代がどうだったのか興味が出てきた。

 もちろん、美樹子からも聞いてはいるのでそれは今更聞くまでもないのだけど、それでも他の人からの視線で見た瀬名川はどうだったのかは興味がないはずがない。

「浩子、瀬名川さんが吹奏楽辞めちゃったの、ちょっと気にしてたみたいだけどね」

「瀬名川って中学時代、吹奏楽やってたの?」

「そうらしいよ。浩子もあんまり詳しく言わなかったから興味ないけど」

 それもそうか。高倉もそうだが、それ以上に高校で初めて知り合った桜庭が瀬名川について深く知りようもないだろうし、よほど情報通でも気取らない限りは必要以上にその人隣りに興味を持つ人間などいはしない。

「なんか意外だな、瀬名川が吹奏楽やってたなんて」

「だよねぇ。私も瀬名川さんと同じクラスになったのも二年からだから、結構驚いちゃったよ。だって楽器なんてやる風に見えないでしょ?」

 確かに、と同意して頷く。もちろん悪気があるわけでもないのだが、何となく彼女が楽器を演奏しているという姿が想像できないのだ。

 今度、それとなく聞いてみようか。そう思ったけれど止めた。本人が自分で言ってもないことに、それを他人の横好きで言われたことをずけずけと聞いて良いはずがない。もっと親しい間柄ならまだしも、瀬名川とはそこまでの関係でもない。

「そういえばさ、竹之内くん」

「うん?」

「こんなこと本当は聞いて良いのか分からないけど、竹之内くんってあの事故の時、瀬名川さんと何かあった?」

「は? なんで……?」

 なぜ突然あの時のことを問われるのか。僕は訝んだ表情で桜庭の方を振り向いてそう言った。

「ごめん。言いたくないなら良いから。ちょっとした興味、っていうか、ほら、私あの時叫んだでしょ?」

「あー……あの時か」

 桜庭の言っているあの時とは、あの合宿での夜に行われた肝試しのことを指しているのだと思い出した。僕とお馴染みの二人に、高倉と桜庭を加えた五人で夜の山道を歩いたあの日のことだ。

 雰囲気を盛り上げるために裕二が語りだした、しょうもない怪談話を真に受けた彼女が、つい悲鳴を上げてしまったあの夜のことを、昨日の事のように思い出した。確かに山頂まで登りきった僕らではあったけれど、そこで山田たちから悲鳴に驚いた瀬名川が脚を滑らせて谷を落ちたと聞いたんだっけ……。

 あれが自分の悲鳴のせいだということを、彼女なりの責任を感じているのだろう。あれ自体は偶発的なものであったし、何より瀬名川自身も何も自分から落ちていったわけじゃない。全て偶然が産んだ出来事でしかないのだ。

「まあ、別に気にする必要はないと思うけどね。だって、あの時瀬名川が落ちたのは、そもそも……」

 自分で言いかけて、僕はそこで言葉が途切れてしまう。そもそも、なんだ? あの時瀬名川が落ちたのは、間違いなく悲鳴を聞いて驚いたからだった。けれど、その前に何か重要なことがあったんではなかっただろうか。確か、誰かに言い寄られていたのを逃げるため、だったような……。

 ならば、その誰かというのは一体誰なのか。……なんだろう。何か胸の奥がすごくモヤモヤしてしょうがない。僕は何か重要なことを忘れてるような気がする。けれどそれがなんであるのか思い出せない。それが嫌にもどかしくてならなかった。





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