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恋花の咲き開く時(七)


 先生からの強引な呼びかけにより、意識を交代させられた僕は、教室から奥まった場所にある空き部屋に突っ立っていた。少しばかりの間、意識を途切れさせていたので少し前までのことが今ひとつ明瞭でなかった。

 空き部屋に置かれた掛け時計を見ると、そろそろ正午前だ。シフトが一二時からなので、先生もその時間にきちんと戻ってきたということだ。そしてそんな時にこうして呼び出されたということは、今から僕が時間まで働けということを暗に言っているわけでもある。

『着付けなど分からんからな』

 そういう理屈で僕と交代したのだけど、自分だけ楽しんで嫌なことは押し付けるなんて最悪にもほどがある。けれど一緒に回るはずだった祐二とのこともあって、一人では回る気になれなかったので交代したのだから、まぁそこは仕方がないと言えば仕方ない。

 けれど僕自身、先生と交代しておいて良かったと思った。まさか、美樹子と再会するとは思わなかったのだ。

 つい先日のことだ。予備校帰りの駅で電車を待っていたところ、僕は偶然にも美樹子と再会することになった。瀬名川についてや、他愛もない会話をしていた美樹子が突然、僕と付き合わないとか言ってきたのである。僕はため息をついて、その時のことを思い出していた。

「じゃあさ、ヨシタカくん。私と付き合ってみるっていうのはどうかな?」

 思いもかけない言葉を投げかけられて、僕は返答に困ってしまった。穏やかな笑みを浮かべて、彼女は僕の方を見つめている。

 彼女はどういう意図でそんなことを言ったのだろう。僕は彼女の真意を読めずに、なんと答えるべきなのか視線を泳がせる。情けないかもしれないけれど、そうする以外にどうしようもなかった。

「いや、あの……」

 なんとか絞り出した台詞の直後、美樹子がぷっと吹き出した。

「あははは、君は本当に面白いね、冗談だよ」

「なんだ、冗談か……心臓に悪いですよ」

 愛想笑いを浮かべながら、僕は胸を撫で下ろした。本当に心臓に悪い。この手の質の悪い冗談はやめてほしい。美樹子の冗談による一言で、妙に動悸の激しくなった胸を何度も撫でていた。

「ごめんごめん。なんか君、すごくからかい甲斐のありそうな顔してたから、ついね」

「つい、でからかわないでください。本当にどきっとしたんですから」

「あはは、ごめんって。それよりも、また元に戻ってるよ?」

「あ……と、とにかくもうやめてよ」

「はーい」

 そう言うと美樹子は、まだ漏れ出る笑いを堪えながら向き直って幾ばくかの間を置くと、すぐさま元の彼女に戻った。そして、小さなため息が聞こえたかと思うと、続けて言った。

「でもさ。私と君、結構相性良さそうな気がしなくもないんだけど、どう思う?」

「僕と……ミーコさんが?」

 顔も向けずに言う彼女の真意が上手く読み取れない。けれど、善貴は改めて彼女との関係について思い返した。確かに、彼女と一緒にいるとなんだか悪い気持ちはしない。むしろ、楽しいとすら思えることもある。

 コロコロ表情も変わるし、見ていて飽きない。先生と一身同体になっている今、性格が前向きになった感があるためかもしれないが、多感情である性格の彼女に興味を持てる自分がいるのも確かだ。

 けれど、そう思う自分がいる反面で、どうしてもあのつっけんどんにつっかかってくる、あの子の顔を思い出さずにはいられない自分がいるのもまた事実だった。

 今自分は、こんなことで感情を揺さぶられてはいけないんではないかという気持ちと、決して悪い印象を持っていない美樹子に対する感情とで、揺れ動いているようなそんな気がしていた。

「……ほんと、君とユーリは良く似てるなぁ」

 善貴が次の台詞をいいあぐねていると、沈黙を破って美樹子がそう言った。

「いや、僕と瀬名川はそんなに似てないと思うよ」

「お? そっちの方は即否定しますか?」

 にんまりと、けれど嫌味っぽく感じさせない笑みで彼女は善貴の方を向いた。思わずその言葉の意味を聞こうとしたところ、ホームに先発列車が入ってくるアナウンスと共にベルが鳴り響き、言葉が遮られる。

「きちゃった。じゃあ私、この電車だから行くね」

「あ、はい」

 そう言われては聞こうにも聞けないので、善貴は続きが気になりつつも椅子から立ち上がった彼女を見送る。電車から利用客が降車するのと入れ替わり、彼女も電車に向っていこうするのを、つい続きが気になって仕方なかった善貴は美樹子を呼んだ。

「ミーコさん」

 呼ぶ善貴の声に反応して、美樹子は振り向いた。彼女の明るい性格をそのまま表した笑みを浮かべたままの美樹子は、善貴の言葉を聞かずに言った。

「またね、ヨシタカくん。近いうち、学校行くから」

 そう言い残して、彼女は電車に飛び乗った。善貴はその言葉の意味は何なのかと閉じたドアからこちらを見て微笑んでいる美樹子を、黙って見送ることしかできない。発車ベルが鳴り響き、動き出した電車を、彼は視界から消えるまでずっと見つめていた。

『……随分と積極的な娘よの』

 感慨深げに、先生が言った。僕は呆然と通り過ぎていった電車の方を見つめたまま、小さく返した。

「そうですね」

 なんだかやり切れない気持ちのまま、彼女を見送って数日、美樹子の言った近いうちに学校で、というその意味が今日になってようやく分かった僕は、せっせと着替えながらそんなことを思い返していた。

 あの時、言ったのはこのことだったのだ。瀬名川とは一番の友人である彼女が、来ないはずがないではないか。もちろん、同じ受験生である以上、時に勉強などの兼ね合いで時間が取れないこともないわけではないが、こうなることくらい容易に想像できたはずだろう。

 だというのに、僕はまるでそんなことなど予想するらできずに、今日という日を迎えてしまっていた。なんだか、あの時美樹子の言葉の意味を問いただしたいという気持ちと、そうすべきでないという相反した感情がもやがかっていたのである。

「っていうか先生、なんだか体が重いんですけど」

『うむ。中庭に出ておる店の物、全て食べ歩いたわ』

「いやいや、後で交代する身にもなってくださいよ」

 先生は豪快に笑った。本当、食べることには見境がなくて困る。僕は呆れつつも、なんだか膨らんだお腹を手で擦りながらため息をついた。

『そういうな。これでもまだ腹八分目にも至っとらん。まだ動けるだけの余地は残してある』

「そういう問題じゃ……」

 着替えながらそう言い掛けたところで、同じシフトになっている山田が着替え部屋に入ってきた。

「よおっす。あれ、竹之内一人?」

「他のメンバーはもう出てるよ」

「そっか。なら早く行かねえと」

 体育会系のなせる業なのか、山田の着替える早さといえば大したもので、僕よりも後に来たはずなのにその僕よりも早く着替え終わっていた。柔道部の副キャプテンで、体躯も大振りというので何となく動きも遅いのでは、という先入観があったけれどまるで逆だ。

「おおい竹之内、早く行こうぜ」

「ああ」

 着けなれない蝶ネクタイを詰襟のの内側につけ終わって、整えるのもそこそこに山田はそう促して部屋を出た。山田とは大きさこそ違うがウェイターとして同じデザインの服を着ているけれど、彼の図体には服が間に合っておらず、所々服がパンパンに張っている。

 多分、彼自身も結構窮屈に感じているのだろうが、それをおくびにも出さないのはえらいな、と感心すべきところだ。その背中に続いて部屋をでた僕らは、すぐに教室へと入って午前中のメンバーと交代し、仕事が終わった彼らは解放された気分を滲ませて教室を出ていった。

「おっし、じゃあやりますか」

 僕と山田よりも早くに来ていたメンバーたちを促すように、山田は張り切って言った。その一声でメンバーたちは頷き合い、午前中のメンバーと引き継ぎを完了させて交代した。時間はお昼時とあって、一番込み始める時間帯だ。気合を入れて、善貴は普段は教室であるホールへと入っていった。





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