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夏は過ぎ去りて風が吹く(三)


 地元の駅に降り立った僕は、改札を抜けて自転車置き場へと移動すると、ロックを外して軽快に家路についていた。そこで何度めかの呼びかけとなる先生の声に、今度こそ反応した。

『悠里は、我らのことを気遣っておったようだな』

「そう、なんでしょうか」

『そうだろう。最後のあの沈黙がその良い証拠。ヨシタカも随分と女泣かせよの』

 目には見えないけれど、最後は間違いなくニヤリとした含み笑いがあったに違いない。言葉を否定するように善貴は頭を振った。

「いやいや、ただ困らせてしまっただけです」

『同じことよ。男が女に困らせるようなことをできるのは、それだけの関係があるということ。少なくとも、うぬと悠里はそれだけの親しい間柄ということでもあろうよ』

「僕と瀬名川はそんな関係じゃありませんってば」

『ならばどのような関係だ』

「それは……」

 言葉に詰まる。僕と瀬名川の関係。改めて問われると、僕らの関係はどんなものなのかと考える。すごく親しい関係かといえばそれは違う。けれど確かに、全く接点がないのかと言われればそれも違うような気がする。

 恋人なのか? いやあり得ない。ならば異性の友達か? それともなんだか違って感じる。少なくとも友人なら、あんなに気を使ったりしないだろう。となると、やっぱりただのクラスメイトというのが一番近い表現ではないか。

 あるいは……彼女に貸しのある恩人といったところだろうか。何となく、これが一番近いかもしれない。クラスメイトであり、彼女の命の恩人。そうだ。それが一番しっくりくる。

「クラスメイトで命の恩人、かな?」

『恩人というのは、お前がか』

「はい。以前、瀬名川を助けることがありました」

『ほう、なかなかやるではないか』

 突然褒められると、なんだか恥ずかしい気分になる。それを追い払うように僕は首を振って否定した。

「いえそんな、大したことは……と、とにかく、多分それで彼女もきっと僕に対して気を使ってるのかもしれません。だから、さっきもそういう意味で事故について聞いてきたんじゃないかと思いますよ」

『そうかの』

「そうですよ」

『……ふん。言葉では何とでも言えるがな』

 鼻にかけたその物言い。僕は思わずカチンときた。それが一番しっくり来る関係だと思って答えたのに、なんでそんな風に言われなきゃいけないのだ。第一、僕だってそんな曖昧な関係である彼女と、はっきりこうだと言えるものがないのに、それくらいも分からないのだろうか。

『だったらば、今度わしがそれとなくその辺を突っついてみようではないか』

「えっ? いや、そんなことしなくて良いですよ」

『ならば聞くがヨシタカよ、うぬはあの娘とどうなりたいのだ』

 やけに真摯な問いかけに、僕は再びどう答えるべきか、沈黙した。先生の言葉を反芻させ、こいでいた自転車を停める。

 僕は瀬名川とどうなりたいのだ。そう考えた途端、先程の恥ずかしそうに、申し訳なさそうにする彼女の表情が思い起こされる。

 ドクン――。

 心臓が一際大きく撥ねた。これまで瀬名川といえば綺麗で可愛いけれど、つっけんどんな表情で、冷めた印象のある子だった。すごく無愛想だし、勝手に僕のことを見下していた感もあった。

 だっていうのに――。

 あの表情、あの仕草は反則ではないか。事故のことを聞くにしたって、それも今更過ぎやしないか。

 いや、これまで接点がなかった僕らが、互いに急接近してきたら互いに警戒してしまう。少なくとも僕が彼女の立場ならそう思う。だとすれば、彼女なりに考えてようやくそれができた、とかだろうか。

 なんというか、すごく口下手そうな印象を持ったのだけれど、もしそうなら何となく彼女の言い分も理解できないではない。それだけに、余計に彼女の見せた思わぬ表情に、僕はドキリとさせられる。それが無性に腹が立ってくる。

 なんだって、あの子にこんなにも振り回されなくてはならないのか。僕に負い目があるならあるで、そこに彼女に何かを求めようものなら、まるでつけ込むみたいでそれもまた億劫である。

『して、如何なる答えか』

 先生はここにきてなおも彼女とどうしたいのか詰問してくる。

「別に瀬名川とどうなりたいとか、何も考えてませんよ。というか、彼女に下手に付きまとわれるなんて迷惑です」

『うぬは……』

 僕が強くそう言うと、先生は何か言いたそうにしながらもその先を呑み込んだ。ただ、その後に盛大なため息をついたような気がした。僕は反抗的に、いつもはため息を漏らすなと言ってる割に、自分だってそうじゃないかと思いつつペダルを勢い良く漕ぎだした。

 いつの間にか、自宅まで後数十メートルのところまでやって来ていた善貴は、それでもなお全速力だった。急ブレーキになるのもお構いなしに、ただ早く瀬名川のことを忘れたい一心だった。

『まあいい。ともかく、寝る前はいつも通り鍛錬しておけ』

 そう言ってから彼は、その日はもう善貴に口を利くことはなかった。




『じゃ、おっやすみー☆』

『また明日ねー』

 ラインにて短く交わされた文に、二つの既読がつくと同時に私はタスクを切ってアプリを落とした。続けざまにもう何度目か分からない、あいつの家の電話番号を表示させる。

 いつでも電話しようと思えばできるだけのものは揃った。けれど、家の人が出るかもしれないと思うと迂闊に表示されている番号をタップできない。それに、何度もこうして眺めている内に、電話番号自体も暗記してしまった。

 だからこそ、今日はあいつ自身の番号を聞き出そうと思って行動したのだけど、何だか変な状態のまま別れることになった。正直、聞きにくい質問だとは思っていたけれど、あそこまで動転するなんてやっぱり聞いちゃまずかったかな……。

 悠里は善貴の家の電話番号を眺めながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。はー、と長く出るため息を合図に、彼女は充電がなくなってきたスマホをケーブルに繋いだ。

 リモコンで部屋の電気を消すと、ベッドに寝転がる。暗くなった部屋の中、ケーブルに繋いだ枕元近くに置いたスマホからの明かりが、薄ぼんやりと悠里の横顔を照らしていた。

(ここんとこ、毎日あいつのことばっか考えてるなぁ)

 あいつがあんなことになってしまったことへの謝罪の意味もあるけれど、あいつに対してすごく興味が湧いている自分がいたのを最近になって、私は強く自覚していた。それはきっと数日前に会った友人との間で交わされた会話も、いくらか尾を引いているに違いない。でなければ、こんなにも自覚することはなかっただろう。

(ミーコ、本当に竹之内のこと興味あるのかな……)

 正直に言うと、あまり面白くない話だと悠里は素直に思っていた。美樹子は子供の頃からずっと仲が良く、幼馴染という間柄であることを除いても、あの子とはきっと仲良くなっていただろうことは容易に想像できるくらいに、悠里にとって特別な友人だ。

 だから、あの子に気になる男の子ができたというなら、全力で応援したい気持ちはある。すごくある。けれど、それが竹之内だとすればどうか。あの子が幸せになってもらえるなら、それも良い。けれど、あいつは駄目だ。

 自分でも醜いと思ってしまうけれど、それでも嫌だった。あいつだけは。だって、あいつは今まで全く何とも思っていなかったであろう私のことを、あんなにも助けてくれた。時には命をかけて……。

 あいつのことを、ただのダサいオタクだと決めつけてかかっていたこともあるのは事実。そんな私に対して、快く思っていなかったのも事実だろう。だけど、それを抜きにしてもやっぱりあいつのことが気がかりな存在になっていることは、最早自分でも言い訳できないくらいになっていた。

 もちろん、あいつが選択したというのなら、美樹子と幸せになる権利だってある。それを止める権利が私にあるはずもないことも分かっている。

(だけど……)

 そんな未来が存在するかもしれないと思うと、心のもやもやは晴れるどころか、より厚く私の中で立ち込めてくるばかりだ。

『私は竹之内君にすごく興味湧いちゃった。また会いたいかなって』

 あの日、別れ際に美樹子の放った言葉が悠里の脳裏に蘇る。あれ以来、呪いのようにずっと頭の中をかすめていた。

(嫌だよ……)

 初対面だというのに、物怖じしないどころか遠慮もしないあいつの態度。それに対して、今まで異性に興味がなかったはずなのに満更でもない様子の美樹子。多分、もし二人が付き合うことになれば、きっとお似合いのカップルになるのでは……そう思うのに微塵も疑う余地がない。

「そんなの嫌だよ……」

 絶対に嫌だ。その二人の姿を想像した途端、そう思った私はこれまで溜め込んでいた感情を吐露していた。

 それでも、もしあの二人が一緒になってしまったら……。その時私はどうするだろう。どうすれば良いんだろう。笑顔で祝福してあげれるだろうか。そこから先の答えはない。あるのは混沌とした暗い感情だけだった。

 ただ、いつの間にか目頭に熱いものを感じた私は、それを否定するように布団を頭までかぶって、強引に目を閉じた。数日前、男たちから守ってくれた際に繋がれた手に、善貴の手の温もりを思い出したまま――。




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