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二人をつなぐ距離(一)


 遡ること三日前のことだ。僕は僕の中に潜む同居人との、奇妙な邂逅を果たした。

きっかけは、体を襲う寝不足とだるさ、それらに伴って激しい筋肉痛も引き起こしており、両親からの妙な指摘も付加されておかしいと思い、撮影した自分の映像を見たことだった。以来、僕と僕の中の同居人との、奇妙な共同生活が始まった。

 どうやら、僕の中の同居人は僕という意識が無くなると、今度は僕に変わって僕の体を自由にすることができるようだった。よって、僕が眠ると彼は自由に行動できることになるため、夜は僕と入れ替われる時間ということになる。

 しかし、これには一つの問題があった。僕と彼の意識はそれぞれ分離はしているものの、体は一つであるという点だ。つまり昼間に僕が体を自由にし、夜は彼が使うとしても、体の方は常に入れ替わっている時間を動き続けることになり、その分の疲労が蓄積され続けるということになるのである。

 彼はこうなってしまった以上は、僕の中に居座ることに決めてしまい、今後何かしらの解決策ができるまでは僕の中から消えることはない。となると当然体をシェアするわけで、体のエネルギー残量を考えて行動していかなくてはならないのである。

 しかし彼も”外”に出たいというので、互いに意識を交代することで決まったのだ。これは僕自身も経験のあることだから理解できるのだけれど、ずっと中に閉じ込められているというのは結構苦痛だったりもするので、そういう彼の言い分は良く分かる。

 これも上手くは説明できないのだが、感覚はないのに何かをやったという意識は、互いの意識が目覚めている限りは残り続けるらしく、僕が体を通じて経験や触れたものの感覚は、知識として感覚が互いにシェアできるらしいのだ。

 しかし、僕の意識が無いときに彼が経験したものは残念ながら共有できないわけで、彼が行動を起こすときは僕も意識をしっかりと保っていなければ、それらは無駄になるということも意味している。

 それはお互いに言えることなので、互いに行動した経験や知識、感覚、時間を無駄にしないためにする必要があった。よって、こんな奇妙な共同生活を送るようになって早三日、僕は何故か庭で木刀を振っていた。

「さん、びゃくっ……」

 三百回目の素振りを終えた後、さらに最後に一回、もう一振りで今日の素振りは終わりだ。しかし、その最後で木刀が手からすっぽ抜けて地面にたたきつけられる。

『馬鹿もん。最後の最後で武器を落とすな。もう一度だ、最後くらい決めんか』

「分かってますよ、分かってるけど……」

 正直腕が上がらなくなってきていた。頭の中で喚かれてはどうしようもないが、かといって疲れた腕で、平然ともう一度やれというのもまたどうしようもなかった。止まらずにやり続けている時は、多少疲れていても何とかできたが、一度それが止まってしまうと途端に動きが鈍くなってしまうのだ。

『全く、情けないの』

 呆れるようなニュアンスでそういわれ、思わずムッとなる。それを見透かされたように彼が言った。

『はよう最後を決めんか。それで今日は休ませてやろう』

 僕は深いため息をついて、地面に投げ出された木刀をのろのろと拾い上げると、中段に構えて上段に振り冠ると、スッと振り下ろして最後の一振りを終えた。呼吸を整えるために大きく深呼吸する。ようやく終わったことの開放感から、何とも清々しい気分になった。

『気が緩みすぎだ。最後の一振りの後に残心を忘れるな』

 そんなこと言われても……。拾った木刀を足元に落とした僕は、膝に手を置きながら肩で息をしていた。本当に呼吸が荒い。ただの素振り、されど素振り。始める前にそう言われていたことが理解できた。たった三百回の素振りも、やってみればこんなに辛いものかと善貴は尻餅をつくようにその場にへたり込んだ。

 へたり込んで地面についた手がぶるぶると震えて、今にも支える体が崩れてしまいそうだった。まだ荒い呼吸を少しでも鎮めるために僕は天を仰いだ。額や頬、首筋から脇や胸、背中まで全身の至る箇所から汗が吹き出て、たらりと肌を流れていくのを感じた。

「こんなこと、ずっと、やるんですか……」

 荒い呼吸に、途切れながらなんとか言葉を搾り出した。

『当たり前だ。一日や二日、軽く素振りした程度で剣が極められるなら、誰も修行などせんわ』

 ごもっとも……。僕はついに、まだ震える腕を崩して体を草の地面に横たえた。Tシャツに滲んだ汗と、草の生える地面がひんやりと背中が気持ち良い。

(そういえば、こんなに体動かしたの久しぶりかも)

 薄雲にかかった空の向こうに、ぼんやりと抜けるよう青い空が見えた。確かにきつくはあったけれど、終わってみれば不思議と辛いとは思えず、むしろ爽やかな心地良さすらあった。

 こんなに体を動かしたのはいつぶりだろう。体育も一応は参加するけれど、むしろサボりがちで、あまり興味の無い競技をやったりする時は、グラウンドの端で祐二と座って話すのが常だった。

 それだけに単調な素振りをやるのはむしろ楽かな、なんて最初は思ったが、いざやってみるとこれが意外なほどに苦しいものだった。とにかく重いのだ。最初だからと、一番軽い木刀でやることになったのだけど、ものの五〇回と振らないうちに手が力による緊張できつくなってきたのである。

 頭の中で彼は何度も力を入れるなと言ったが、力を抜くと今度は木刀がうまく振れないというジレンマに陥り、幾度も手からすっぽ抜けそうになってしまった。それでも、なんとかやり抜いた善貴は心地よい達成感に満たされていた。

『とりあえず今週は毎日三百回だ。その後は、徐々に回数を増やしていくぞ』

「えぇー!?」

 さも当たり前のように言う彼に、善貴は思わず声を上げた。三百回でもこんなにきついのに、それをさらに増やすというのか。

「か、勘弁してください……」

『何を言うか。わしがお前と同じ年の頃は、毎日五千、一万はやっておったわ』

 一万回……。その数字を聞いて善貴は気が遠くなりそうだった。三百でもきついものをその三十三倍もやる……やってもないうちから顔面の筋肉が引き攣っていた。

『安心せい。誰もい初めっから一万やれとはいっとらん。まずは刀の振りに慣れることからだ。その内に重さと振りに慣れ、徐々に回数も増える。これを繰り返すうちに五千や一万、あっという間だわ』

 あっけらかんと言うが、善貴には人間が到底一万回も振れるはずがないと意気消沈した。たった今の今まで心地よい気分だったのに、真っ逆さまに地獄へ突き落とされたような気分だった。僕は先ほどまでの荒い呼吸とは違った深いため息をついていた。

『ため息をつくな。まだ体が慣れとらんからきついだけだ。丹田もできとらんうちから何千回も振れるわけはない。慌てんでも、きちんとできるようにしてやる』

「いや、望んでないですよ、そんなの……」

『うつけが。うぬのためだけではないわ。この体はわしの物でもある。わしの物でもある以上はそれ相応のものにしとかねば、いざという時の意味が無いだろうが。一朝一夕で丹もたいも業もできるわけではない。だとしてもそれに少しでも近づけることこそ重要ぞ。千錬万鍛に培われたものこそ、絶対の理だと心しろ』

(つまり、日々の積み重ねが重要ってことね……)

 だとしても、それは職業武士っていうこの人だからこその理論だろ、と善貴は心中ぼやいた。滅多と戦うことがないこの現代人である自分に、そんなのを課す意味などない。本人はそういうが、その疲労が僕にもかかってくることなのだから正直勘弁してほしい。

 これ以上はまともに相手をしていると、こっちが先に潰れてしまいかねない。そう思って、再びため息をついた時、彼が言った。

『ヨシキよ、来客ぞ』

「へ? 客?」

 体を起こして辺りを見回してもそれらしい人影はなく、そんなのどこに?、と言おうとした矢先、玄関の方で女の子の声が庭にまで聞こえてきた。

「ごめんください」

 善貴は無意識のうちに何故か身構えてしまう。誰だろうか。少し聞き覚えのあるような声だけれど、なじみがない声だ。

 おまけに相手は若そうな女の子とくれば、なんだかこの恰好のまま出るのが恥ずかしい。居留守を決め込もうとした善貴だったが、庭の横を徐行する一台の車が玄関の横で停まった。見間違うはずがない、うちの車だった。用事で午前中から出かけていた母親が、帰ってきたようだ。

「あら? あなた」

「あ、お邪魔してます。ヨシ……竹之内君いますでしょうか?」

 ドアの閉まる音がして、母親の来客用の妙に甲高い声が家の裏になっているはずの庭にまで丸聞こえだ。

「あら、いない? 私が出かける前はいたんだけど。ちょっと待ってね。ヨシキー」

 ご近所迷惑などお構いなしに、母は玄関から僕の名を大声で呼んだ。それがなんだかすごく恥ずかしくて仕方ない。恥ずかしさに耐え切れず、僕はすぐさま起き上がって玄関へと顔を覗かせる。

「大声で呼ばなくても聞こえてるよ」

「あんた、いたんなら声かけなさいよ」

「そっちが勝手に大声出しただけだろ、って……瀬名川?」

 家の中ならまだしも、外で大声で名前を呼ばれるとすごく恥ずかしいので、仕方なく玄関にやってきた僕を待っていたのは、なんと瀬名川だった。鮮やかな柄と英文がプリントされたTシャツにショーパンという、彼女らしい私服姿の瀬名川悠里がなぜかうちの前にいた。僕は目を大きくして、瀬名川になんて声かければ良いのか分からずに、母と交互に見返していた。





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