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僕の中の奇妙な同居人(六)


 まるで金縛りにでもあっているかのような気分だった。頭の中に響いた声に、善貴は全く動けずにいた。

「う、あ……」

 呻き声をあげるのが精一杯だった。声を上げるのも忘れていたと言っても良い。いや、むしろ声を上げようものなら、色々と面倒なことになるのが分かっていたからかもしれない。得体の知れない何かにとんでもないことをされるのではないかという、漠然とした恐怖だった。

『貴様、何を無視しておるのだ。こっちは呼んでおるのだぞ、返事をせんか』

 ごくん――息とも唾とも知れないものを呑み込む。返事をしようにもどう返して良いのか分からなかった。そもそも相手がどこにいるのかすら分からないものに、どう返せば良いのかなど僕にできようはずがない。たとえそれが、自分自身の中から聞こえてきているものだということを自覚していようともだ。

『良いだろう。うぬがそうまでするならこちらにも考えがあるわ』

 考えがある? どういうことだろう。今は自分の意識下にある体に、何かしようというのか。つまり、明日の朝にはもっとひどいことになるのでは……そう思うと気が気でない。

『馬鹿もん。自分の体を傷つける者がどこにおるか。こうするのだ』

 その声にはどこか、不敵な含みのあるニュアンスが込められていたように思う。次の瞬間、僕の左手が勝手に動き出し、握った拳で左頬を思い切りぶつけてきたのだ。

「つっ!?」

 さらに今度は手の平で反対の頬を叩かれる。それが往復ビンタならぬ、半復ビンタになっていることに気付いたのは、それから数瞬後のことだった。

『目が覚めたか』

 やはり含みのある言い方だった。

「痛いな! 何するんだ!」

 僕は含みあるその言葉に苛立ちを覚えながら、ついに叫ぶように喚いていた。それが誰もいないとはいえ、一人、部屋の中で行っている図などあまりに恐ろしすぎて想像もしたくない。

『ようやっと返したか』

 ニヤリ。そんな擬音が聞こえてきそうな含みだ。声の主は、何が何でも僕に気を持たせたかったらしい。

「こっちが無視してるからって何も殴ることはないだろ!」

『ぬかせ。そもそも声をかけたのに無視するとはどういう了見ぞ。不心得者め』

 全く持って正論。そこを突っ込まれるとこちらも立つ瀬がない。けれど、いきなり自分の中で声がして、それを何事もなく対応するほうがどうかと思う。少なくとも自分はそうだ。それをこの奇妙な語りで声をかけてきた主はなんとも思わないのだろうか。

「それより何なんですか、あんた。勝手に人の体で……」

 言いかけて善貴は口をつぐんだ。そもそもこの声の主が、さも当然のように在る人物のようにいるなど、あり得る事なのか? もしかして、本当に僕は自分がどうかしてしまって、ありもしない妄想を作り上げてしまったんではないか……そう思うと、とてもこれ以上は口にできなかった。

『ふむ。わしにもその辺は良く分からんのだ。気付けばここにおったからな。流石のわしも初めは驚いたぞ』

「い、いやそうじゃなくて……ずっと僕の中にいたんですよね? いつからなんですか。それに今までどこに? 僕の意識がなかった間どうしてたんですか」

 一度口を聞いてしまうと、善貴は堰を切ったようにこの数週間のことを聞かずにはいられなかった。自分の記憶がない最初の一週間以上は、間違いなく彼に記憶があるに違いなかったからだ。それ以上に確信付けるものはなく、そう決めこむようにあたり喚いていた。

『小うるさいヒヨッコめ、少しは落ち着け。話にならんわ』

「う……」

 何が起こっているのか判らず、ただ喚き散らす子供をあしらうように窘める彼は呆れたように言い、思わず善貴も言葉を詰まらせた。確かに、こんなにもありありと喚いていては聞ける話も聞けない。善貴は一旦落ち着いて、大きく深呼吸するとベッドに腰かけた。

『わしも正直なところ、なぜうぬの体の中におるのかそれは判らん。いや、もしかすると本当のわしはすでに死んでおるかもしれん』

「すでに死んでる?」

『うむ。矢傷と刀傷による出血がひどく、満身創痍だったのは覚えておる』

 矢傷と刀傷……。僕は思わず息を呑んだ。この声の主はつまり、どこかの戦場からやってきたということだろうか? 僕の拙い記憶の中にも、矢が使われ刀で傷を負うなどのことが行われていたのは、戦国時代くらいしか思い浮かばない。

「それで……?」

『それだけだな』

「はぁ!?」

 またも声を荒げてしまった。それだけ? 矢や刀で傷を負って満身創痍になったのは判る。出血もひどかったということは、それだけ死の危険があったということもだ。けれど、それで終わりとはどういうことだ。その後は一体どうなったというのか。

「つまり、あんたは戦場で傷ついて死にそうになった。で、気付いたらもうここにいたと。そう言いたいんですよね……?」

『話が早いな小僧』

 それじゃ何の解決にもならないじゃないか。どうやってここに来たとか、僕が聞きたかったのはそういうことなのに……。もうこれ以上は、この声の主と話していても有益な情報を得られそうにないことに、善貴は落胆して肩を下げた。

「判った、判りましたよ。あんたはやっぱり存在しない、そうに決まってる」

『ほう、なぜそう思う?』

 なぜって……いや、普通に考えたらそうではないか。自分の中に武士がいるんだと吹聴したところで誰も信じやしないし、そもそもなんで武士なんだよと総突っ込みすらされそうだ。

 先ほどの解離性同一性障害を引き合いに出しても同様だ。何の因果か、僕の中に現われたもう一つの人格が戦国時代を生きた武士だ、なんて言ってもやはりこの障害を名乗るにはあまりに突飛し過ぎている。むしろ、もっと別の何かを疑われてしまいそうで怖い。

「だってそうでしょ? 僕の頭の中で突然見知らぬ人が出てきて、勝手に頭の中と会話しているなんて、頭のおかしい人間のやることでしょうが」

『つまり、わしがただの妄想の産物だと言いたい訳だな、うぬは』

 しまった。そう思った時にはすでに遅く、再び左手は善貴の意思とは無関係に頬を往復ビンタする。

『どうだ、これでもまだ信じんか?』

 再び往復ビンタ。善貴はこれを防ごうと右手で掴もうとするも、全くの無駄で右手を押しのけて左手は的確に頬めがけて迫ってくる。

「いたっ、ちょ、やめて」

『信じる気になったろう』

 さらに駄目押しのビンタは先ほどまで違って、さらに強い張り手だった。

「分かりました、認めますから!」

 ならば良し、と左手は動くのをやめた。ようやくビンタが止まって両方の頬を摩りながら、善貴は理不尽だと泣きたくなった。いや、事実、善貴の目尻には涙が溜まっていた。

「だ、だけどなんで今になって突然……?」

『うむ、そのことなんだがな。ヨシキとやらよ、何故うぬは何もしようとせんのだ?』

「……は?」

 唐突の質問に、僕は間抜け面で返してしまった。頭の中で声が続ける。

『この何日もの間うぬを見ていたが、勉学に勤しむわけでもなく、かといって心身の鍛錬をするでもない。ずっとぱそこんとすまほとかいうのをいじっておるばかりではないか。母上殿はもっと勉学に励めといっておったぞ』

「う……」

 返す言葉もない。見ず知らずの人間に話しかけられて、開口一番にそんなことを言われようものならいくらかの弁解の余地もあるのだけれど、相手は頭の中(こう表現するのもおかしなものだが)でこっちの行動を見つめていたに違いない。自分がそうしていたように。

『今は今で、何を見ていたかと思えば……』

 まずい。このまま言わせ放題だと、頭の中でさらに説教を食らいそうだ。善貴は、その声を遮って言った。

「こ、これは自分が夜に何していたか知るためです。最近ずっとだるかったし……ていうか、あんたのせいでしょ」

『それはお前が気付かんからだ。ずっと呼んでおったのに、いい加減頭にきたぞ』

「え? ずっと呼んでたって……?」

『そうだ。学校とやらに行った日、突然意識がここに飛ばされて以来、ずっとお前に呼びかけておったのだ』

 そんなの知らなかった……。善貴が呟いた。これに対し、向こうは何度も呼びかけていたが、中々反応しなかったが、善貴が就寝後は意識が戻り体を自由にできたというのだ。そこで彼は夜、善貴が寝ていることを良いことに存分に体を使ったという。

 道理で……と思わず納得した。つまるところ、これは呼びかけても全く反応がない僕に対しての当てつけの意味合いがあるのだ。

『お前が寝ておる時だけ動けるのなら、徹底的に体を動かして疲れさせれば少しは何とかできるかもしれんと思っての。左手一本がせいぜいだったが』

 なんということだろう。つまり彼は、僕に存在を気付かせるためだけに深夜、あんなことをしていたというのか。少々賭けだったが、と言い加えたところで、結果それを成功させたのだから大した忍耐力だな、と呆れてしまった。

「それで……一体、どうする気なんですか」

『うむ、正直に言っての、このままどうするべきなのかわしにも分からん。そこでしばらくお前の体を借りようと思っておる』

 ん? つまり、ずっとこのまま居座るってことだろうか、それは。

「い、いやいや、それはちょっと……そもそも、借りるってどういう意味ですか」

 難色を示す善貴に、彼はあっけらかんと言った。

『なに、わしは自分がどうなったのかを知りたい。なぜ、こんなことになったのかもな。それはお前とて同じだろう? わしとて、いつまでもこんな軟弱な体に居座りたくないが、そうするしかないであろう。なので、うぬの手を貸せい』

 こちらの都合は無視して断定して言う彼は、善貴に有無を言わせないものだった。反論しようにも、いつまでもこのままでいたくないという気持ちは全くの同じ。つまり、いずれは何とかしなくてはならないのだから、協力した方が良いだろうという意味だ。多分……。

 それを理解したからこそ、僕は軽く眩暈がして大きくため息と、肩を下げてしまった。

『ため息など男らしくないぞ。もっと胸を張れ、胸を』

 そうさせる原因が何を言っているのか……。善貴は反論する気にもなれず、先ほどよりも盛大にため息をついた。





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