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僕の中の奇妙な同居人(四)


 翌朝、僕は再び母に起こされるまで寝過ごしてしまった。一度目は昨日のこともあってか七時前に起こしてくれたので事なきを得たが、どういうわけか今朝は完全に寝過ごしたらしい。枕元近くに置いたスマホは、すでに八時半になっているのを教えている。

 完璧に遅刻が決まった時間だった。朝の家事を済ませるためにてんやわんやする母は、時間を忘れていたようだが、未だ起きない息子に再び喝を言いに来たことで、僕もようやく目を覚ますことができた次第だった。

「あんた、ちゃんと目覚ましかけてるの?」

「かけてるって!」

 そんなやり取りもそこそこに、僕は急いで制服に着替え、食事もとることなく家を出て行こうとした時だった。

『待て』

「え?」

 駆け下りるように玄関で靴を履き替えた時だった。外に出ようとする僕を引き止める、野太い声が聞こえたのだ。父のものでもない、あまりに聞きなれない声。その声に僕は思わず振り返って、後から追いかけるように降りてきた母に向かって言った。

「何か言った?」

「何言ってんの。ご飯は」

「こんな時間から無理」

 しょうがないわね、と小言を言いながら、母は弁当と買い置きしてあった菓子パンの袋を、二つ一緒に持たせてくれた。電車の中ででも食べろということだろう。電車の中での飲食には気が引けるけれど、ありがたいことだった。

「サンキュ」

 急いでそれらを鞄に詰め込んで家を飛び出す。ドアが閉まるのと同時に、玄関の母が気になることを口走る。

「早く行きなさいよ。だからあんな遅くまで体動かすから……」

 それはどういう意味だろう? それは昨日のことを言っているのではないのか? 頭をもたげる僕だったが、それよりも今は優先すべきことがある。大急ぎで駅にやってくると、ちょうどロータリーに着いた僕の目の前で、乗るはずだった急行電車が発車し始めていたところだった。

 僕は肩で息をしながら、その様子を見送ったところで手を膝に呼吸を整える。元々遅刻だったが、これで次の電車で行くことが確定した。しかも時刻表を見ると、次にやってくる電車は普通電車だ。

 ここらで普通電車といえば、学校最寄の駅までに間の駅で、必ず後続の特急やら急行やらに連絡するために数分間は停車するはずだった。つまり実際のところ、僕は三〇分近いロスをすることになるのである。

 大体一〇分に一本程度の間隔で次が来るが、どういうわけかそうでない時刻帯があるおかげで、その時間帯だとロス時間を含めて、えらく長く時間を取られることがある。それがまさに今の時間帯だった。

 遅刻確定の身だから、今更電車の時刻がどうこうということもないのだけれど、せめて一矢報いる気持ちで少しでも早い時間に行きたかった僕は、その出端すらも挫かれることになったのである。

(仕方ない……)

 折角だから、少しの間だけ休憩しよう。信号ギリギリで、車道を飛ばしてまで全速力で自転車をこいできたのに、間に合わなかったではこれも仕方ない。それよりも今は少し休みたい気持ちでいっぱいだった。

 改札を抜けて誰もいないホームに降り、三つ連なった椅子にだらしなく足を広げて腰掛けた。とりあえず、今のうちに母から渡された菓子パン二つを食べておこう。そう思い、自販機で缶コーヒーを買うと、再び同じ椅子に座って鞄からパンの袋を取り出した。

 あっという間にパン二つを頬張り終え、甘い缶コーヒーで追い討ちをかけるように喉に流し込むと、そこでやっと一息つけた。呼吸も整いはしたけれど、とにかく体がだるくて仕方なかった。おまけに今日は、空気に湿気があって蒸し暑い。

 いや、それもあるけれど今日は何故か体の節々に痛みを感じる。どう考えても昨日よりもだるく、節々にある痛みは強まっていた。一息つくと、出かけの際に母が言った言葉の意味と相まって気になってきた。

 まさかと思って、昨日は一度捨てた可能性を再び思い返した。あの言葉の意味するところは何なのか。そして、それに対する一つの解が僕の中にはあった。そのまさかとしか思えなくなってきたのだ。

(……夜に体が勝手に動いてる?)

 夢遊病者か僕は。いや、あの母の言い方は、それを当たり前のこととして言っている様子だった。つまり僕は、そもそも深夜に体を動かすことを前提に、母もそれを承知していたということだ。

 しかし当の本人である僕にそんな記憶はない。昨夜は一昨日のこともあって、いつもよりも少し早い午後十一時前には就寝したのだ。

 つまり遅い時間とは、そこから後、僕が就寝してからの時間を差して言ったということだろう。そこからは僕が朝起きるまでの記憶がないわけだから、それらが指し示す意味は、どう考えてもその可能性しかない。

 途端に冷や汗が出てくる思いだった。僕が知らないうちに、また”僕”が勝手にしている。それも寝ている時を狙って……。考えたくもなかった。けれど、今僕が思いつきうる可能性はこれくらいしかない。

「冗談じゃないよ……」

 もしかしたら、とんでもないことが僕の身に起きたんではないかという、嫌な想像が頭の中を駆け巡る。昨日は嵐の前の静けさというやつで、何か危険なことが身に起きている……そう思うと立ってもいられない。僕はスマホ片手に、登録してある病院の連絡先を表示させた。

「竹之内?」

 突然呼びかけられて、下を向いていた僕はひどく驚いて顔を上げた。声のした方を向くと思いもかけない人物がそこに立っていた。

「え、瀬名川?」

 あまりに思いもかけない人物の登場で、僕はぽかんとしてしまった。学校指定の制服を着崩した女子高生ファッションという、いつも通りの恰好をした瀬名川悠里が、なぜかそこに立っていたのだ。

「何やってんのこんなとこで。学校は?」

「え? いや、今から行くとこ、だけど……。そういう瀬名川こそどうしたの? っていうか、この駅だったっけ?」

 思わぬ人物の登場に、僕はしどろもどろになった。なんとか気を持たなければという思いで、そういいはしたものの、最後は危うく噛みそうだった。

「今日、友達のところから来たから。あんた、この駅なん?」

「う、ん、まぁ」

 どの駅を使っているかまでは知らないが、善貴の記憶にも悠里が別の駅で乗り降りしていることくらいは知っていた。少なくとも自分の駅でないことくらいは。それでも何故かそう質問してしまった。

 ともかく、だとしても何故こんなとこにいるのか理解できなかった善貴だったが、彼女の言う理由を聞いて納得した。

「ふーん。初めて来たとこだけど、この辺りなんもないね」

「まぁ、ベッドタウンだし」

「そっか。仕方ないね」

 そんなやり取りをしながら、悠里はじっと善貴を見下ろしていた。

「……何?」

「席、どっちかゆずってくんない?」

「あ、ごめん」

 三人がけになった椅子の中央席に陣取っていた善貴は、その両方それぞれに鞄と、もらったパンの入った袋と缶コーヒーとをそれぞれ置いていた。悠里に言われて気づいた善貴は、一言謝って鞄を持って隣の席に座り直した。

 善貴が中央の席に鞄を置くと、悠里はすかさずその上に自分の鞄を置き、空いた席に座った。重ね合った互いの荷物を挟んで座る形になった。

 突然現れた悠里にドギマギしている善貴にとって、突然隣に座られてもそれはそれで困る。そもそも、こうして三連椅子に座ること自体があまりに想定外なので、これくらいが許容できる程よい距離感であった。

 ルーズソックスを履いた脚を投げ出すように座る悠里は、ごそごそと制服のポケットにしまってあったスマホを取り出していじり出した。その様子を横目で見ていた善貴は、この子はいつもスマホいじってるな、と思いながら自分もスマホを操作していたことを思い出し、それをポケットに入れた。

 なんとなくだけれど、悠里と一緒であると思われるのが嫌だったのだ。しょうもない反抗心といえばそうなのだけれど、小さなことに拘る器の小さな自分だとも下卑してしまう。

 どうしようか思い悩んだ善貴は、まだ余っている缶コーヒーに口をつける。甘いはずのコーヒーの味がほとんど感じられない。どういうわけか、口の中がカラカラになっているのに今更気付いて、一気に残りのコーヒーを流し込む。

「そのコーヒー、甘くない?」

「うん」

「良くそんな甘いの飲めるね。あたしは無理」

「好みは人それぞれだから」

 無難な切り替えしだろう。善貴はそんなことを思いながら、ホームから見える街の様子を眺めていた。というより、考えないようにするために眺めていたといった方が正しいだろう。とにかく悠里と何を話せば良いのか、皆目見当がつかないのだ。

 第一、なんでこの子は突然僕の前に現われたりしたんだ? これまで接点なんてなかったはずなのに……。思い起こすのはせいぜい、この前ナンパから助け出したことくらいだけれど、だとしてもそれはあまりに今更過ぎておかしい気もする。

 それにあれは自分がやったことじゃない。外見は確かに僕かもしれないけれど、実際には自分の中にいる、全く違う別の誰かなのだ。

(もしかして……)

 僕は下賎な考えを否定しようとしたが、それよりも早く口が言葉をついていた。

「僕に何か用事?」

 もうほとんど理性が利かずに吐いていた。最後は、少しだけ気を利かせたつもりだったが、無難なやり取りを続けたはずの僕は、ぶっきらぼうにもそう言ってしまった。ああ、なんてことを……自分でも後悔してしまいたくなる。

「え? いや用事っていうか……実はさ……お金、少し貸してくれないかな?」

「なんで?」

 嫌な予感ほど良く当たるというけれど、正にその通りだった。

「定期無くしちゃって……その、お金もないの」

 やっぱりね……。下賎なことを考えてしまったと後悔しかけた僕だったが、そのあまりに予想通りの返答に、再び僕の意識の目は現実に向けられた。せめて、何かもっと、人並みには接してきてくれるかと思ったのに、そうではなかったのだ。

 友人の家からきたのは良かったが、文無しのために適当に見つけたカモに金をせびろうなんて、とんだ根性の持ち主ではないか。いつもはこっちのことなんて自分よりも下の人間としか思ってない癖に、こんなときだけはえらく都合が良いではないか。

 善貴は思わず、口をつぐんだ。こんなところでお金を貸したところで、本当に返す気があるんだろうか。小額だし、別にそれはそれで構わないのだけど、返りの電車賃くらいは学校に行けば周りの友人――それこそ金森由美や原田瑞奈など、貸してくれそうな連中はいくらでもいる。

 ここで彼女にお金を出す理由はないが……なんだかそれを断るのも可哀想だ。善貴はため息を一つ、観念したように言った。

「仕方ないな。後で返してよ」

 少し申し訳なさそうにしている彼女の表情に、正直少し心ときめいてしまったのは絶対に顔に出してやるものか。そんな気持ちでぶっきらぼうにそう言って、僕は財布から五〇〇円玉を取り出して瀬名川に手渡した。

「ありがと。ちゃんと返すから」

「期待しないで待ってるよ」

 そういって、自分でおかしなこと言動と行動だなと苦笑してしまった。貸してやっても良いと本音じゃ思ってるのに、それをおくびに出したくない。なのに結局お金を貸してしまった自分。返せよと言いながらも、期待しないで待つだなんて、全てが矛盾しているではないか。

 ただ、どういうわけか僕の気持ちは、それまでの不安と鬱屈した気持ちから解放され、清々しい気持ちでいっぱいだった。それまで感じていた体のだるさや痛みなど、どこかに吹き飛んでしまっていた。





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