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チェイン  作者: 矢本孝
1/1

Looking Forward

【序章】


 ○月○日 毎朝新聞

 【男女2名 行方不明に】

 ○月某日X県の県境で木村俊彦さん(30)とその妻みれいさん(27)が行方不明となった。県警は事件・事故を含めて捜査に乗り出した。

 県警によると二人が乗った車が県境で発見されており、そこから何らかのトラブルがあったのではないかと推測している。


【1】


 今日1日何をしていたのか思い出せない。

 朝起きてみれいと話したことまでは憶えてる。

 だけど気づけば今俺は帰りの電車に揺られていた。

 周りをみてみれば、みんな無関心な表情をしている。死人みたいだ。

 俺だってこいつらと変わらない。


 駅を出れば、無気力な男がポケットティッシュを配っていた。

 何気なく受け取ると、それは新しくできる風俗店の宣伝だった。

「『あなたを至福の天国へ』、か。天国なんてねえよ」

 吐き捨てるように言って、俺はポケットティッシュをゴミ箱に捨てた。

 家に帰ると真っ暗なままだった。

 小さく「ただいま」と言って靴を脱ぐ。

 テーブルの上には冷めた食事が並んでいた。みれいは料理が得意で、いつだって手の込んだ食事を作ってくれる。

 俺はみれいに感謝しながらも、彼女の健気さに時々苛立つ思いがあった。

 風呂に入って、食事を終えると、しばらくビールを飲んで休んでいた。

 テレビをつけてみてもくだらないニュースばかり。「人が死んだ」とか「国会が荒れた」とか「不倫」「脱税」「海外のテロ」「核ミサイル」。もう俺にとってはなんでもない。

「あ、おかえりー」

 とみれいが顔を出した。

 化粧っ気はないが、素朴でかわいらしい顔立ちをしている。

「ああ」

「ご飯、食べた?」

「食べた」

 みれいは席に着くと、「ビールいい?」と訊いて、自分も飲んだ。

「眠ってたんだろ?悪かったな」

「いいよ。ちょっと飲みたい気分だったし」

 しばらく二人の間に沈黙が横たわった。

 もう慣れてしまった。

 昔は沈黙を埋めようと会話を続けた。だけど俺たちは、いや、俺は疲れてしまった。

「ねえ、仕事の調子はどう?」

 みれいは労わるように訊いた。

 彼女に悪意がないことはわかってる。だけどその質問は俺を苛立たせた。

「どう?どうでもない。ただアリのように働くだけだ」

「……そっか」

 みれいは言葉といっしょにビールを少し飲んだ。

「そういえばね」

 とみれいは思い出したように言い始めた。

「高校時代の友達に会ってね、その子、来月出産なんだって。すっごく幸せそうでさ、羨ましかった」

 みれいが求めていることはわかっていた。

 だけど今の俺にはそんな体力はなかった。

「ごめん。疲れてるから」

「そうだよね。ごめんね。じゃあ、私、寝るから。おやすみ」

「……おやすみ」



「先輩、知ってますか?」

 と後輩の高村が言った。

「ネットに書いてあったんすけど、実は政府が秘密裡に人体実験をしてるらしいんすよ」

 彼はオカルト好きで、なによりもネットの情報を頼りに生きているような男だった。

「秘密裡にしてることがなんでネットなんかに漏れるんだよ」

「いやだなー、今の時代、どんな秘密があってもネットで暴かれるんですよ!それでね、ある書き込みの中に元政府職員を名のるやつがいて、政府が秘密裡に人体実験をしている!って言ってたんです」

「元政府職員とか、普通に考えて怪しいだろ」

「でもね、今の首相のこととか官僚のこととかけっこう詳しく知ってるんですよ!」

「そりゃ誰だって憶測くらいかけるだろ」

「でも昔からアメリカにだって「エリア51」みたいな場所もあるんっすよ!日本にもあるはずなんです」

「こんな国土の狭い国で秘密なんて隠せないだろ」

「それがそうでもないんすよ。意外と日本の山間部って、未だに秘境みたいなところがあるらしくて。そこは私有地じゃなくて、国有地で、国が実験のために使ってるって話です」

 こういう噂話にはうんざりしていた。

 地球滅亡とか、グレイの正体とか、どうでもいい。

 ただ地球滅亡という噂は本当であってほしいと思うことはあった。

「おい、木村」

 と課長が呼んだ。

 言われることはわかっていた。

「どういうことだ、おい」

「どういうこと、と言いますと」

「明らかにこれは予算オーバーだろ。もっとなんとかならないのか?」

「これ以上は無理ですよ。ただでさえ消費が落ち込んでるんです。先方もそれが限界だと言ってます」

「だからおまえは無能なんだよ!」

 課長のつばが飛ぶ。

「いいか、相手が「ダメです」と言ったら、「はい、そうですか」で済ますのか?そうじゃないだろ!ギリギリまで粘って、とことん交渉するのが筋だろ!おまえはだからいい加減なんだよ。勤めて何年だ?あ?これだから高卒のゆとり世代は使えない。なんでもかんでも相手の言ったことを鵜呑みにして。ああ、おまえのせいで会社がかたむいて、多くの社員が路頭に迷ったらどうする?おまえが責任とれるか?とれるわけないよな!ゆとりは責任なんかとらないから。本当、国は馬鹿な教育をしたもんだ。こんな無能を量産するんだから」

 課長は厭味ったらしくまくしたてた。

 俺よりも高村のほうがキレそうだった。

 だけど俺は怒りよりも、じっと課長の鼻の上にあるほくろを見つめていた。

(あんなとこにほくろがあったんだ)

 しばらくして解放されると高村が近寄ってきて、

「俺、あいつのことネットに書き込んでやりますよ!」

「いいよ。そんなことするとおまえ、今の時代起訴されるぞ」

「望むところっす!ネット民はああいう理不尽なやつ大っ嫌いですからね。俺はヒーローになれますよ」

 俺は苦笑して高村の肩をぽんと叩いた。



 体調の異変には気づいていた。

 食欲不振や不眠はずっとあったけど、なによりも眩暈が激しくなってきた。

 そしてとうとう俺はストレスの限界に達し、電車の中で倒れてしまった。

 気がつけば病院のベッドで寝ていて、目の前にはみれいの心配そうな顔があった。

 みれいには言えないが、俺は目が覚めたことに後悔した。

 そのまま死んでしまいたかった。死んでしまえばもう悩むこともないのに。

 だけどみれいはそんな俺の心に反して、

「良かった!目が覚めたんだ」

 と言った。

 俺はみれいの純粋さに答える力もなかった。

「今、何時だ?」

「今は、12時。昼の」

「そっか。会社に遅れたな」

 自虐的に言ってみた。

 みれいは泣きそうな顔になってしまった。


 医者は俺に休養するように強く求めた。血液検査の結果エタノールアミンとかいうのが高かったらしい。

 みれいは「ぜひ!」と言って、医者に診断書を書かせた。

 俺はしばらく会社を休むことになった。

 みれいは嬉しそうだったけど、俺は会社に行ってた時よりもずっと何をする気力も起きなかった。

 みれいの自慢の料理も味がしない。セックスだって、みれいがどんなに頑張っても勃たない。

 なんだか俺は無価値な人間に落ちてしまった気がした。


 そんな時、みれいはある提案をした。

「ねえ、お医者さんが言ってたんだけどね。心機一転するには別の場所で過ごすのがいいんだって。だからね、今のお仕事辞めて、どこか静かな場所へ引っ越さない?」

 俺は何も言わなかった。

 賛成も反対もする力がわいてこない。

「私たちにはまだ子どももいないし、今がチャンスだと思う。そりゃ今までみたいにおいしいものとか贅沢はできないけど、私は俊彦の体が心配なの。だから、ね?引っ越そう?」

「いつ?」

「まだ決まってないけど、できればすぐに。実はね、もう行く当てはあるんだ。お医者さんから教えてもらって、田舎の小さなところなんだけど、移住者募集してるんだって。そこでね農業して、いっしょに暮らそう?貧乏でも二人でいればきっと良くなるから」

 みれいは必死に訴えた。

 俺は彼女の手を撫でた。

「それも、いいかもな」

 と答えた。

 みれいは涙をボロボロと流した。心が通じたと思っているのかもしれない。だけど俺は別のことを考えていた。

 静かな場所で死にたい、と。



 車を走らせてから5時間が経過した。

 次第に色濃くなる緑を眺めながら、みれいの楽しそうに喋る話を聞いていた。

「それでね、そこの町ってあまり知られてないんだけど、お医者さんが言うには「自然と共存できて、精神を安定させるには一番いい場所」なんだって。だけど不思議なんだけどね、インターネットのマップとかにも載ってないの。だからどこらへんにあるのかすごく苦労したけど、役所の番号を教えてもらって電話したら丁寧に道を教えてくれた。○○県の県境の辺りまで来たら、また連絡ください、だって」

「それにしても日本にもまだ地図に載らない村もあるんだな」

「村じゃないよ。町。もう村って存在しないみたいだから」

「なんていう村なんだ?」

「『比戸須手』っていう町」

「ひとすて?変な名前だな」

「でも、きっといいところだよ。役所の人もすごく優しそうだったし。あっ、あそこが県境じゃない?」

 みれいは車を止めると、携帯で電話をした。

「もしもし、先日お電話させていただいた木村ですけども。お世話になります。ええ、今県境に着きまして……。ええ、あ、わかりました。えっと、あ、ありました!」

 みれいは電話を保留にして、山道に行くような小路に入っていった。

「おい、どこに向かうんだ?」

「この小路を抜けたらすぐに迎えに来てくれるんだって」

 その時、ドンっという衝撃音とともに車が大きく揺れた。

「キャッ!」

 すぐに原因はわかった。俺は車から降りると、タイヤをのぞいた。

「パンクだ。破裂してる」

 みれいはハンドルにもたれかかり、

「最悪」

「どうする?」

「……仕方ないよ。歩いていこう」



 不思議なことに、森の中なのにも関わらず獣どころか虫の鳴き声ひとつない。それに夏だというのに寒気がする。ただ空気はうまかった。

「あ」

 とみれいが叫ぶと、少し先のほうに明かりがみえた。それは太陽の光なのかわからないが、道筋の到達点であることはたしかだった。

 小路を抜け出すと、そこには密接するように家々が建ち並んでいた。その周囲には田んぼや畑があり、やはり町というよりも村という印象が強い。

 まるで山という壁に囲まれたようなこの町は静かに佇んでいた。

「昔話みたいな場所だな。本当にここか?」

「うん。ここだと思う」

 すると遠くのほうでこちらにむかって手を振る女性がいた。

 遠目からでも彼女がかなりの美人だとわかった。

 俺たちが近づいていくと、彼女の美人さが過剰でないことがわかった。

「ようこそおいでくださいました。私、この町で小料理屋を営んでおります聖子と申します」

 聖子は丁寧にお辞儀をした。

「事前に役所のほうから通達がありまして、木村さんたちをお迎えに上がりました」

「どうも、すみません」

 堅い挨拶になんだか肩がこる。

「早速お住まいに案内いたします」

 聖子についていくが、人っ子一人見当たらない。それに感づいたのか聖子は、

「誰もおりませんでしょ?向こうのほうに広い田畑がありまして、みなそこにおります」

「農家なんですか?」

「ええ、ここの町人は基本的に自給自足で暮らしてますから。町とは名ばかりで、役所もここから遠く離れた場所にありますし、電気も水道もないんですから」

「まるで国から見放されたようですね」

 と俺は何気なく言ったが、自分の失言にハッとなった。

 しかし聖子は微笑んで。

「確かに都会から来られると不便に感じるかもしれませんけども、これが本来の人間らしい営みではないか、と私たちは考えてるんです。自然とともに育み、恩恵を授かる。たしかに国が私たちになにかをやってくれることなくても、私たちは私たちで生きていくだけです」

 俺は首をかしげたけど、みれいは感動したようにうなずいた。

「着きました」

 聖子が立ち止まると、そこには平屋の家があった。年月は当然経っていて、都会の貧困街にもなさそうなほど質素な家だ。

 ただ中は思いのほか綺麗だった。どうやら聖子たちが事前に掃除しておいてくれたらしい。

「狭いですけど、気に入っていただけたら幸いです」

「いえ、すっごくありがたいです!」

 みれいは感動を込めていった。元々都会生まれの彼女にとって、こういう家は馴染みがないから感動できる。

「お風呂の炊き方や窯の使い方もお教えいたします」

 聖子はそう言って、いろいろと実践してくれた。

 みれいはいちいち声を上げて驚く。

 俺はただそんなふたりを見守るだけだった。

「最初は不便でございましょうから、もしも何かあったら私や、町の者に声をかけてください。みんな家族のようなものですから、助けてくれますよ」

 聖子はそう言ってこの家から出ていった。

 なぜか俺は緊張していたことに初めてきづいた。この町の雰囲気だろうか?それとも聖子が美人だからだろうか?

 その時、いきなりみれいが飛びついてきた。

 俺を押し倒すと、激しくキスをしてくる。こんな彼女は久しぶりだった。

「なんだよ、急に」

「だって……。なんか幸せなんだもん」

 みれいは瞳を濡らして言った。

 俺はそんな彼女を見て久々に笑った。

 俺も彼女を受け入れようとした時、ガタッと窓が震えるのがわかった。

 何気なく窓を見ると、そこには瞳の大きな少女がひとり立っていた。

 少女は見つかって慌てたのか、そこから急いで離れようとする。

 俺はその彼女を追いかけようとした。それは俺自身にもわからなかったが、彼女と話さなければいけないような気がしたからだ。

 家を出た瞬間、少女が膝を抱えて倒れていた。どうやらこけてケガをしたらしい。

「大丈夫か?」

 少女は瞳を大きくして私を見る。彼女は興奮しているのか息が上がっている。もしかしたらさっきのやりとりを見て興奮したのだろうか?

 少女はゆっくり起き上がると急に睨み付けてきた。

「……出てけ」

「え?」

「ここから出てけ!」 

 少女は言った。

 俺は別に怒りはなかった。だけど理由が知りたかった。

「なんで?俺たちが邪魔か?」

「邪魔!それだけじゃない、あんたたちがいると……」

 と少女が言いかけた時、

「おーい」

 と背後から声が聞こえた。

 70くらいの老人が日焼けした顔で近づいてくる。

 少女の顔は青ざめ、なにか言いたそうにしながら、走って去ってしまった。

「あんたが隣に越してきた木村さんだろ?」

 老人は人のいい笑顔で言った。

「俺はな、隣に住む佐伯。佐伯大五郎、よろしくな」

「こちらこそ」

 俺は佐伯のことよりも、あの少女のことが気になっていた。

「ところでさっきの女の子は、誰なんですか?」

「ああ、あれは聖子さんとこの娘のはるちゃんだわ。別嬪だろ?はるちゃんにもお姉さんがいてねえ、お姉さんも別嬪なんだけど、はるちゃんよりもおとなしいね」

 聖子の娘?たしかに似ているような気がしてくる。

「ところで、ほれ」

 と言って佐伯は籠に入ったきゅうりとトマト差し出して、

「これやるよ。引っ越し祝いだ」

 俺は戸惑いながらも、

「ありがとうございます」

 と礼を言った。

 佐伯はまた人のいい顔で、

「困ったことがあったら言えよ。この町は家族なんだから」

 俺は無言でうなずいた。

 ただ「家族」と強調した佐伯の言い方があまり好きじゃない。なんだか窮屈だ。

 家に戻るとみれいは心配そうな顔をしていた。だけど手に持ったトマトやきゅうりを見ると、すぐに喜ぶ。

「おいしそう!」

 肩の力が抜ける。

 同時にあの少女、はるの存在が頭から離れなかった。

「出てけ!」

 他の人たちと違って、なんであそこまで俺たちを拒絶するのか。

 ただ漠然としたこの町の不安を感じていた。

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