第十六話 命の懸けどころ
第十六話、投下です!
運命は万全の状態を待ってはくれません。
どうする、シャーマン?
「『世界の死すべき時』……」バオルはそれを見た時、思わずつぶやいた。
王家の墓で見た記憶。降り注ぐ炎の雨。エリオット王と師匠たちが、命を懸けて食い止められなかった悪夢が、目の前に展開されていた。しかも、降り注ぐ火球は記憶に出てきた炎のしずくより、遥かに大きい。
ここだけでなく、モザビ平野全体に降り注ぐ火球は問答無用に両軍を圧殺していく。不幸中の幸いは降るスピードが遅く、数も土砂降りというレベルではないので、辛うじて避難する時間があるところか。
モリブデンが総員に退避の指令を出すが、その直後、槍隊の一角に火球が直撃した。人々の命が瞬く間に焼き尽くされるのを感じて、バオルは立ち向かう覚悟を決める。
「すまない、二人とも」天に杖を掲げたまま、自分に近づいてきたリーサと、ハープーンに向けて謝罪の言葉を発するバオル。「僕は、あれを食い止める。ここで死ぬかも知れない」
驚いてバオルの腕を取って逃げようとする二人だが、背後の地面に火球が着弾して吹き飛ばされる。彼らの頬に、爆散した火の粉がいくつもへばりついた。
バオルは不死の杖を手に、空を仰ぎ見る。奇跡的にも槍隊と先ほどの着弾以外で、今のところ野営地に直撃した火球はなし。師匠たちがやった時みたいに、水の魔道士など都合よくいない。ならば打つ手は限られる。
先ほどの風の魔法で風向きを操作。迫る火球に対して、向かい風を発生させる。上空に押し留められた火球たちは、後から降ってくる火球たちに追突され、大爆発を起こした。
バオルの考えた作戦は、火で火を消すというものだ。水という直接的な解決ができなくても、これなら相手がいる限り対処できる、と考えたのである。
だが誤算があった。バオルが思っていたよりも火球の火力は強かったのだ。多くの火球の激突によって生まれた爆風は、バオルの身体をまるで竜巻に巻かれた木の葉のように、いともたやすく宙に浮かせた。後方に投げ出されたバオルは、その身体をきりもみ回転させつつ、天幕を二つもぶち抜き、野営地の柵すら破って空堀の中に頭から突っ込んだ。どうにか立ち上がった時には、すでにハープーンとリーサに取り押さえられていた。
「バカ野郎が! 何が『死ぬかも知れない』だ! ただ、自殺しようとしてるだけじゃねえか!」
ハープーンが砕けた口調になるのも、十年ぶりくらいだろうか。
「バオルさん、あなたは私の言葉を待っていたって言いましたよね。『生きて、生きて、生き抜きます』。偉そうに。私にだけ守らせて、自分はとっとと死ぬんですか!」
リーサが強くたしなめる。
「頼む、これが僕の使命だ」
よく見えない。血で前が。それでも、火球が着弾する度に轟音と共に大地が揺れているのが伝わる。
「今が『世界の死すべき時』なんだよ」
「『世界の死すべき時』っていうのは、イコール『お前の死すべき時』なのか? あ?」嫌がるバオルを、ハープーンは無理やり背中に担ぎ、アーゾフ軍の退却した方向へ走り出した。「それが主客転倒っつーんだ。お前が死んだら、どのみち何も守れんぞ」
「でも師匠たちだって、こうやって命を懸けて……やらせてくれ」
「今は……今は、こらえて下さい!」
走りながら、リーサが必死の声と形相で、バオルに懇願する。泣きそうだったが、その涙は怒りからだろう。彼女も自分の無力が、嫌で嫌でたまらないのだ。
「お師匠様と同じことをしても、お師匠様と同じ運命を迎えるだけです。探し出さなければ。これが本当に『世界の死すべき時』だというのならば、その原因を。目の前の事象だけに囚われて、大元を叩かなければ、バオルさんの命も理想も、この場限りの自己満足で終わってしまいます! 私は……こんなところで、バオルさんに死んでほしくない! 死に急がないで下さい! お願いです!」
再び轟音。身を焦がす熱風。木が、草が、そこに住まう多くの命が、悲鳴を上げる間もなく一瞬で燃え尽きる。
しかし、彼らの死を生かすことは、今の自分にはできない。吹っ飛ばされた時のダメージが予想以上に大きかったらしく、儀を行うための対話を試みると、頭が割れそうに痛むのだ。
修行をしていた時にも、限界以上の力を行使しようとすれば、決まってこの症状が出た。その度に、師匠は自分の努力を認めてくれたが、「それ以上、無理をするな。死ぬぞ」と付け加えていたのだ。
「ここで命を懸けても、自己満足の犬死に」言葉にすると、何とむなしいことか。
誰にも顧みられない、孤独で無残な最期。皮肉にも自分が提示し、リーサが否認した生き様を、体現しようとしていたのだ。情けなさ過ぎて、笑い話にもならなかった。
「ちくしょう……ちくしょう!」
ハープーンの背中で、バオルは悔恨の咆哮を上げた。今の自分には、師匠たちに託された願いを叶えることはできない。そして、この火球により死んでいく命を守ることも、その死を生かすこともできない。
彼らの魂は中空を漂い、頼りにする寄る辺なく、無為な寂莫の時を過ごすのだ。いつか、自分たちを安らかに眠らせてくれる者が現れるまで。
不可能の山が、バオルの心を押しつぶす。今までの修行は、人生は何だったのかと自分を責め立てる。彼らを孤独にさせているのは自分なのだ。
バオルは顔面を染める血を拭い、割れるような頭痛に耐えながら、死に行く命たちをその目に焼き付ける。自らの無力が招いたこの結果を、自分は決して忘れない。
炎の雨が止んだのは数刻後。焼け残った森の中を、夜の帳が一層暗く覆い始める。斥候隊が野営地の跡から帰ってきた。現場に残っていた資材で仮設のテントをいくつか作成し、怪我人を収容する。
脱落した者は、あの炎によって跡形もなく焼き尽くされてしまった。戦場を見てきた別の斥候隊も黙って首を振る。双方合わせて二万以上の兵が、炎に焼かれて散り散りになってしまったのだ。
バオルも治療用の小さい仮設テントで、出血の止まらない頭部の手当てを受けていた。裂傷が三ヶ所あり、その一つには木片が突き刺さっていたらしい。
本来ならば何針も縫うところだが、バオルは抜糸の手間を考えて包帯のみを所望した。力を使えるようになれば、自力で傷をふさぐことができる。
「無理をしたら、本当に死んじゃいますよ」
担当の衛生兵がガーゼで血を拭い、包帯を巻いていく。バオルと同じくらいの年頃の女性で、茶色い髪を首の後ろで束ねている。
「それにしても、何をしているんですか」
「あの火球を食い止めようと」
「そんなこと、聞いていません」
包帯がキュッと締まる。頭の中に刺すような痛みが走った。
「どうしてこんな前線にいるんですか? 本来、シャーマンは都市でぬくぬくしているものでしょう? 弟を殺してまで、ここに来たかったんですか」
「弟さん……」
「都市の偵察部隊の犠牲者」
いすに座り直した彼女は、バオルをにらみつけていた。
「初陣でした。昨日まで、『この戦で、成り上がってやる! 姉ちゃんたちに楽させてやる!』って息巻いていたんですよ。ふふ、馬鹿みたい。何あっさりやられてんのよ。まだなんにも始まっていないのに。笑えるでしょう? ねえ、笑えますよね?」
バオルは黙っている。
「父さんは第一陣。昼からずっと帰ってきてないの。生きてるかしら、逃げてるかしら、死んでるかしら。あの炎の雨に巻き込まれたなら、死体すら残らないわねえ。分かりますか、シャーマンさん」
彼女は診療台に置いてあるメスを一本手に取った。同じく台に置かれたカンテラの明かりに照らされて、銀色の刃は妖しく光っている。
「私、シャーマンになりたかったんですよ。小さい頃から勉強して、弟子入りもして。でも駄目でした。感じなかったんです、命を。いくら頑張っても、私の声は誰の魂にも届かない。シャーマンさんは言ったわ。君は命に恵まれ過ぎていたって。命を知らな過ぎるんだって。私の夢は絶たれた。それでも命を救いたくて、医者になったの」
片手で器用にメスを回した彼女は、その柄を握り締める。その刃の数寸先には、バオルの胸板があった。その刃が突き立てば、バオルの鮮血がテントの床を濡らすことになる。
「私たち夢破れた負け犬が、くたばっていくおかげで、あなたは高みにいられるのに。怪我のために儀ができない? ふざけないで! そんなことで私たちに仕事を与えたつもり? その驕り、吐き気がするわ」
「私は……」
「あなたの事情など知らない。でも、あなたたちが動くと、事態が悪くなる! 私にはそうとしか思えない! 弟も父さんも奪って、私に何の恨みがある? 何の恨みがあるのよ! あんた、一体何なのよ!」
バオルは怖じずに、じっと彼女の顔を見据えている。彼女のメスは力が入り過ぎて小刻みに震えていた。しかし、やがて彼女はメスを元のように診療台の上に戻す。
「奪うんだったら、もっと別のものを奪ってよ」
涙声でつぶやいた彼女は、そっとイスから立ち上がりテントを出て行った。
バオルも続いてテントを出ると、出口の影に隠れるようにハープーンが腕組みをして、支柱に寄りかかっていた。左手にはバオルから預かっていた不死の杖が、右手には投げナイフが握られている。もし彼女のメスが閃いていれば、彼のナイフが血を吸う事になっていただろう。
ハープーンは投げナイフをしまって、言った。
「女難の相だな、バオル」
「リーサの言う、自己満足に走った結果がこれだよ」
「せめて事前に相談しろや。お前、『死を生かす力』とやらで、なんでもできると思ってたのか? 同じ力を使えるシグルド師だって、何人も協力して、ようやく痛み分けだったんだろ。策もなしに一人で勝てるわけないだろうが」
「ごもっともでございます……」
ハープーンとは十年来の付き合いだが、砕けた口調の説教は本当に久しぶりだ。
エリオット王の言葉が頭をよぎった。自分の力と、人々の命が一つになる時、まことのシャーマンの使命、「世界の死すべき時」に立ち向かうことが見えてくる、と
「世界の死すべき時」と早合点した自分の行動は、誰も望んでいなかった。あのまま死んでいたならば、エリオット王の願いすら裏切ることになっていただろう。
自分は盲目だった。
「なら、僕のやることは決まっている。今、ここで望まれていることをしていく」
「もういいのか?」
「正直きついが、やってやるさ」
うなずいたハープーンから、不死の杖を受け取った。
自分よりも傷ついている兵士はたくさんいる。彼らの苦痛を一刻も早く取り除くのだ。たとえ、さっきの彼女の仕事を奪うことになろうとも。
「どうやら、いつぞやみたいにお前をぶん殴ってやる必要はなさそうだな」
「今殴られたら、冗談抜きで死にそうだよ」
「リーサも、収容用のテントで手伝いをしているところだ。いくぞ」
バオルはハープーンの後に続く。血と薬の臭いが風に乗って、彼らの鼻をくすぐり、肌をなでていった。バオルは現実を見せ付けられた、あの日の気持ちを思い出す。
しっかり助け、しっかり恨まれる。それで構わない。




