006話 確認
アランは寝る気にもなれず、自分の机の上で書類を広げていた。溜まっていた仕事を片付けようとするが少しも捗らない。左手で頭を抱え、右手でぐるぐると線を描く。アランの頭の中にはマーサしかいなかった。
なかったことにしてもいい……ということは、なかったことにしなくても良いということなのだろうか……。断片的な記憶では嫌そうではなかった。せめて嫌な思い出として残っていなければいいが……。いや、よくよく考えるとさっきの自分の態度は最悪だったのではないか? まさか嫌われてしまったのではないか?
アランはマーサの気持ちが分からないうえに、自分がどうしたいのかも分からなかった。だから同じ事を何度も繰り返し考えていた。
暫くすると扉を叩く音が聞こえてきたため、意識をもとに戻し、背筋を伸ばした。
「はい」
声をかけるとゆっくり扉が開き、そこにはマーサが立っていた。姿を見ただけで心臓が跳ねる。しかし、アランはそれをおくびにも出さない。
「どうしましたか?」
「アルバート様からアラン様が二日酔いで休んでいらっしゃると聞きましたので、お粥とお飲物をお持ちいたしました。中に入ってもよろしいでしょうか?」
アランは戸惑いつつもマーサを中に入れる。マーサはワゴンを押しながら中へと入ってきた。
「お仕事をされていたのですか? 体調が良くないのであれば、あまり無理はしないでくださいね。あと、食欲はないかもしれませんが、二日酔いに効くものが入っておりますので是非お召し上がりください。恐らく午後の会議には体調も改善されるかと思われます」
マーサは何事もなかったかのように、テーブルに並べながら淡々と説明をしてくれた。ローテーブルに用意したため、マーサは膝をついた状態でアランを見上げた。
「どうぞ」
やはりいつものように優しい笑みを浮かべている。
「すみません……わざわざありがとうございます」
アランはとりあえず嫌われてはいないのだと分かると、嬉しくて思わず笑顔になる。そんな自分が恥ずかしく、手で口元を隠した。
しかし、マーサは見逃さなかった。今日初めて見せるアランの笑顔がマーサの胸にトクンと響く。
ここに来るまでの間、マーサはとても不安だった。
今朝は具合が悪かっただけであって、あの冷たい態度は自分の早とちりだったのかもしれない。と、そう思って体に良いものを用意したはいいが、それもまた勘違いなのかもしれない。
お酒の勢いでしてしまう話やお酒で記憶がなくなるなどという話はよくある。もしそうだとしたら、いきなり押し掛けたら引いてしまうのではないか。
マーサは良くないことを想定してしまい、部屋の前まで来たものの、なかなか扉を叩くことが出来なかった。何度も帰ろうかとも思った。しかし、心配でもあったし、理由を付けてでも会いたいかったのだ。
昨夜、「俺と経験してみますか?」とアランに問われ、返事を伝える時間もないまま唇を奪われた。物凄く驚いたが、嫌ではなかった。エリー様のためにもなるし、そういった行為に興味もあった。ならば、一度くらい試してみるのも悪くない。アランであれば、割り切って接してくれるだろう。ただ、そう思って体を許した。
そう思っていたのに……。
マーサは昨日までは誰かと付き合うことなど考えたこともなかった。いや、諦めていた。しかし、「付き合いませんか?」とアランから訊ねられたとき、とても嬉しかった。この時、初めて女性としての喜びを感じたのだった。それに、アランであれば諦めていた色々なことが上手くいくような気がした。だから付き合うことを承諾をした……。
今朝は思わず勝手な想像で身を引いてしまったが、なかったことにするのはやはり寂しい。
そして、一歩を踏み出した。
先ほど見せたアランの笑顔で、少なくとも不快に思われていないことがわかり、マーサはほっとした。
勇気を出して良かった。
アランに促され、向かいのソファーに座る。マーサはアランの食べている姿を見つめながら、今後についてしっかり確認するべきなのではないかと考えていた。
勘違いだったと、拒絶されるかもしれないが、確認せずに終わるよりは良いと思い、意を決した。
「アラン様。一つお聞きしたいことが――――」
その時、扉を叩く音が聞こえた。アランは右手を上げてマーサに待ってというポーズをして、扉に向かってどうぞと声をかけた。それと同時にマーサは素早く立ち上がり壁際に立つ。
顔を覗かせたのはセイン王子とギルだった。
「おはよーアラン。あ、マーサさんもおはようございます。入っていい?」
セイン王子はにこにこと笑顔で二人を交互に見た。